第4話 ―節約は台所から―
リーゼルの執務室を出たララは、まっすぐに厨房へ向かっていた。
迷いのない足取り。
目的地も理由も、自分の中ではすでに決まっている。
その後ろを、護衛のランゼルが静かに歩く。
「……どちらに向かわれますか?」
控えめな問いかけに、ララは足を止めずに答える。
「厨房よ」
「厨房、ですか……?」
わずかに眉が動く。
けれど、それ以上は何も聞かない。
──厨房。
その言葉を頭の中で繰り返しながら、彼は黙って考える。
理由は分からない。けれど、この人には何か考えがある。
ララは振り返りもせず、当然のように言った。
「節約って言ったら、まずは台所でしょ?」
それはまるで、“家の常識”を語るような軽さだった。
言い終えると同時に、ララはまた前を向いて歩き出す。
理解はできない。
けれど、彼女が何をしようとしているのか──見てみたい。
その背に向けるまなざしには、気づかぬうちに
淡い興味がにじんでいた。
ランゼルは何も言わず、その背を追った。
***
厨房の扉を開けた瞬間、熱気がぶわっと押し寄せてきた。
まず目に飛び込んできたのは、中央のかまど。
ビスを使って火をおこす、大型の調理炉だ。
──でも、その上に鍋はない。
なのに、かまどの火だけが、ごうごうと燃えていた。
「あーっ……なんてビスの無駄……!」
思わず声が漏れそうになる。
まだ昼食の準備には時間がある。こんなに早く火を入れてどうするの。
みんな、ビスがどこかから湧いてくるとでも思ってるのかしら。
さらに視線を移すと、今度はシンクの水道。
蛇口から、水がじゃあじゃあ流れっぱなし。
誰も使っていない。なのに止められていない。
「……ここ、源泉かけ流しの温泉じゃないのよ?」
心の中で思わずツッコミを入れる。
しかも、水を汲み上げるのにもビスが必要なのに……!
水も有限。ビスも有限。
うちの財政? もっと有限。
もう、今すぐにでも駆け寄って止めたい。
けど──
「無駄よ!」って怒鳴り込んでも、きっと誰もピンとこない。
使っている人にとっては、それが“いつもどおり”なのだから。
どう伝えるべきか、どうしたら気づいてもらえる?
そう考えながら、ふと上を見た。
──照明が、ついていた。
昼間なのに、厨房のあちこちのランプが煌々と。
窓からは、たっぷり光が入っているのに。
「……もったいない」
ぽつりと、小さくつぶやいた。
***
「……もったいない?」
ララの声を拾った見習いが、思わず音だけを繰り返す。
それに釣られるように、周りのスタッフが一斉にララの存在に気づいた。
朝食の片付けを終えて、ひと息ついていた和やかな雰囲気。
その空気が、一瞬にして凍りつく。
「おう……じょ……さま……?」
静まり返った室内に、誰かの困惑がぽつりと響く。
驚きと戸惑いの入り混じった表情で、皆がばたばたと礼を取る。
ララはその様子を見ながら、ふっと微笑んだ。
「邪魔するわね。楽にして」
言葉は軽やか。けれど、その視線は鋭くて、容赦がない。
料理長が引き攣った顔で、なんとか声をしぼり出す。
「こ、これはこれは……王女さま……ご、ご視察で……?」
ララは首を横に振った。
「いいえ。ちょっと見に来ただけよ」
その一言で、料理長の顔色がもう一段階くらい薄くなる。
厨房の空気が、ぴしりと張り詰めた。
誰も動かない。誰も話さない。燃え続けるかまどの音だけが、むなしく響いている。
さぁ──
今、ララの台所改革の火蓋が切って落とされたのだった。