第39話 「魔導士の誇りと、優しい手」
「どうして魔法は発動するのに、定着しないんだ……」
目の下に濃いクマを作ったバートンが、掠れた声で呟いた。
トントン――
静かな音が扉越しに響く。だが、中からの返事はない。
「バートン、大丈夫なの? 今朝も食事に来ないって、副料理長が心配してたわよ」
心配の滲んだ声でララが呼びかける。
「サンドイッチ、持ってきたの。……開けてくれる?」
「……。」
困ったようにララがランゼルを振り返ると、彼は無言でうなずき、扉の取っ手を回した。
「おい、返事くらい……」
そう言いかけて、ランゼルの声が止まった。
中にいたバートンは、驚くほど顔色が悪く、ただ呆然とシルクスパイダーの布を見つめていた。
「ちょっと、バートン! ひどい顔色よ……とりあえず休みましょう」
ララが駆け寄る。
「ランゼル、ベッドまで運んでくれる?」
頷いたランゼルが姿勢を低くし、肩に手をかけたそのとき。
「……まだ大丈夫……平気……。僕は……これくらい……」
バートンは力なくもその手を払いのけ、机から離れようとしない。
その声は、普段の人懐こく柔らかな雰囲気とはまるで違っていた。
「バートン、まずは休み――」
ララの言葉にかぶせるように、バートンは低く嘆いた。
「もう三日もかかってるんだ……。僕にだって、魔導士としての誇りくらい……ある……。魔法は発動するのに、定着しない……っ」
意地とプライドと疲労が交じったその姿に、ララは言葉を探しながら口を開いた。
「バートン、真剣に取り組んでくれて、本当にありがとう。とっても感謝しているわ。……でもね、こんなに追い込まれているあなたを見たら、放っておけないの」
バートンはわずかに視線を向けたが、また机に向き直る。
「まずはご飯を食べて、一旦休みましょう?」
「……わかった、後で食べるから、そこに置いといて……」
――今は、届かないわね……
無理に言葉をかけるのは逆効果かもしれない。そう思ったララは、そっと部屋を後にした。
「また来るわ」
そう優しく声をかけ、扉を閉める。
通りかかったレネに声をかける。
「レネ、お願いがあるんだけど。バートンにハーブティーを淹れてくれる?」
「はい、どの種類にいたします?」
少し考えて、ララはふわりと笑った。
「そうね……リンデンとオレンジフラワーがいいわ。少しでも、気分転換になれば」
⸻
昼過ぎ。
強い日差しが照りつける中庭を、バートンがふらふらと歩いていた。
その不安定な足取りに気づいたアーロンが、慌てて駆け寄る。
「おい、大丈夫か? 気分が悪いのか?」
返事のないまま、バートンは膝から崩れ落ちた。
「っおい! しっかりしろ!」
アーロンは慌てて彼を担ぎ上げ、救護室へと走った。
⸻
「……あれ? ここって……」
静まり返った室内に、バートンの呟きが落ちた。
「っあ‼︎」
すぐにララが顔を覗き込み、安堵の笑みを浮かべる。
「よかった……目が覚めたのね」
まだ状況がつかめていないバートンが、首を傾げる。
「ここは……? なんで僕、ここに……?」
ランゼルが静かに答える。
「魔力切れだ。中庭で倒れていたところを騎士が見つけてくれた。アーロンが運んでくれたんだ」
「……そうだったんですね。覚えてないな……」
「おい、自分の身体くらい管理しろ! 周りがどれだけ心配したと思ってる!」
いつになく強い声でランゼルが叱責する。
思わず驚いたバートンとララ。
「ランゼル、その辺で」
ララが穏やかに制すると、ランゼルは肩をすくめて下がった。
ララは椅子を引き寄せ、ベッドの傍に腰を下ろす。
「ねぇ、バートン。あなたの頑張りには、本当に感謝しているわ。……でももし、この依頼があなたの負担になっているなら、別の方法を考えようと思うの」
バートンは首を横に振った。
「違うんです。負担じゃない……」
ララが静かに目を細めると、バートンは続けた。
「意地を張ってただけなんです。できると思ってやってみたけど、上手くいかなくて……悔しくて。
今まで、ある程度のことは何でもできたから……。できない自分に腹が立って……周りの心配も無視して……。まるで子どもですよね」
苦笑するバートン。
しばらく沈黙が流れたが、ララが静かに口を開いた。
「……誰にだって、そういう時ってあると思うの。周りの忠告が聞こえなくなって、自分だけで抱え込もうとしてしまう時って」
バートンの目が、ララを見つめる。
「私にもあったの。全部、自分が何とかしないとって思ってた。でも、違ったわ。
本当は、いつも周りにいたのよ。手を差し伸べてくれる人、助けたいと思ってくれてる人が」
ララの優しいまなざしが、バートンを包み込む。
「だから、私たちにも手伝わせてくれないかしら?
魔法は使えないけど、一緒に考えることはできる。……どうか一人で悩まないで」
バートンの口元が、かすかに震えた。
「……っ、心配かけてごめんなさい……。こんなに上手くいかないこと、初めてなんだ……」
頬をつたう涙は、悔しさか、それとも安堵か。
「辛かったわね……。よく頑張ったわ……。
大丈夫、次はきっと上手くいくわよ」
ララはそっとバートンの空いた左手に手を重ねた。
そして、優しくトントンと叩く。
まるで母が眠る子どもを宥めるように、ゆったりとしたリズムで。
窓から差し込むオレンジ色の光が、静かな救護室を温かく照らしていた。




