第38話 シルクスパイダーと、決意と、嫉妬のはじまり
ララの考えは、いつだってまっすぐで、誰かのため。
そんなララのそばにいたくて、気がつけば、故郷ノルフェリアでさえ長く滞在するのを躊躇っていた。
託児室の時も、今この瞬間も。
彼女の行動すべてがまぶしくて──
ララから視線を外し、窓の外へと目を向けた。
太陽の光を反射する川に差しかかると、馬車は頑丈な石の橋を渡り始めた。
思ったよりも揺れが大きく、前に座るララの身体がふらりと傾ぐ。
「王女……、大丈夫ですか?」
思わず支えた肩は、驚くほど細く、華奢で。
──こんなに小さくか弱い女性が、国を背負っている。
支えたい。そして、守りたい。
……もう、俺の心は決まっていた。
橋を渡り終えると、そこには賑やかで活気に満ちた世界が広がっていた。
行き交う荷馬車や河船、人々の話し声。
川沿いに立ち並ぶ建物の煙突からは、白や灰色の煙がゆるやかに立ちのぼる。
夏の木々の匂いに混じって、植物を蒸したような甘い香りと、木炭の焦げた匂いが馬車の中に流れ込んできた。
やがて目的地が近づくと、馬車はゆっくりと速度を落とし、門をくぐる。
「着いたのね。あら、機織り機の音が聞こえるわね」
少し楽しそうに言うララの横顔に、思わず口元が緩んだ。
開いた窓から、夏の風に乗って仕事の音が心地よく流れ込んでくる。
馬車を降りたララを迎えたのは、恰幅の良い四十代ほどの女性だった。
「いらっしゃいませ、王女様。ここの工場長を務めております、マルグリットと申します」
「初めまして、ララよ。今日はお願いがあってここを訪ねたの」
「はい、なんでもシルクスパイダーの糸をご所望とか」
「そうなの。シルクスパイダーの糸で、布を織ってほしいの」
「おやまぁ、珍しいことを考えるねぇ、お姫様」
「高温にも耐えられて、熱を逃がしにくい布が欲しいの。ちょっと試したいことがあってね」
そう話しながら、思案気な表情を浮かべるララ。
「でも、シルクスパイダーの糸って細いんでしょう? 見たことがないから、布になるのかしら……」
マルグリットは軽く目配せし、従業員に糸を持ってこさせた。
「これですよ。お姫様のお髪のように綺麗でしょう?」
差し出された糸の束を手にしたララは、感嘆の声を上げ、俺を見る。
「うわぁ、本当に細くて滑らか……ほら、ランゼルも触ってみて」
──ララの髪のように美しい……
まるでララの髪に手を伸ばすような錯覚に、一瞬だけ躊躇った。
「あら、蜘蛛が苦手なの? だから触りたくないとか?」
「いや、苦手では……」
受け取った手のひらに糸の感触が広がる。
それだけで、耳に熱が集まっていくのがわかった。
横を見ると、バートンの肩が小刻みに揺れている。……笑いを堪えてるんだろう。
睨み返そうとしたが、顔までも熱くなってしまい、振り向けない。
ララは工場長と話し込んでいて、俺の動揺には気づいていない。
──よかった……
すっと深く息を吸い込み、気持ちを落ち着かせる。
いまだに肩を震わせるバートンを睨みながら。
「元々ここでは、特殊ファイバー用に糸を編んでいるんだって! 編んだ糸を織機にかければ、布にできるって」
工場長との話がまとまったのか、嬉しそうにララが声を弾ませた。
「ハンカチくらいの大きさだったら、30分ほどでできるみたいなの」
その姿があまりにも生き生きとしていて、自然と目を細めてしまう。
「それはよかったです」
短く答え、糸の束を返す。
──その時、ふとララの髪が視界に入った。
忘れたはずの思考が、また顔を出し、頬が一瞬で朱に染まる。
「……どれだけ初心なんですか、ランゼルさん」
バートンの小さな呟きにも、反応できなかった。
*****
「なんて滑らかな手触り……」
出来上がったシルクスパイダーの布を、嬉しそうに撫でるララ。
その様子に興味を示すバートンへ、布を手渡す。
「バートン、これからはあなたの腕の見せ所ね!」
「っあ‼︎……そうだった……今からが本番、大丈夫かなぁ……」
不安げな顔で答えるバートンに、ララは優しく微笑んだ。
「そんなに気負わないで。大丈夫。うまくいかない時は、また違う方法を考えましょう」
「たぶん、できるとは思うんだよ……。難しいだけで……」
出会って間もないはずの二人なのに、まるで旧知の友人のようなやり取り。
……なぜだか、モヤモヤしてしまう。
優秀な魔導士なのは間違いない。
だからこそ、ララがもっと安心できるような言葉をかけてやればいいものを。
気づけば、バートンの肩に手を置いていた。
思いが顔に出ていたのだろう。
「っ‼︎ っはい、できます!」
驚いて振り返ったバートンは、背筋をピンと伸ばしてハキハキと答えた。
その様子を笑いながら見つめるララの隣で、工場長が言う。
「布の量産が必要な時は、手紙でいいので大きさや長さを教えてくださいね」
*****
帰ろうとララを先頭に歩いていた時。
玄関先に、慌ただしく駆け込んでくる男性の姿があった。
「よかった! 間に合いました。お会いできて嬉しいです!」
そう言ってララの手を取ったのは――ロバート大臣の息子、ジュードだった。
……っあ、議会の時の大臣の息子か……!
思わずララの手をジュードから奪い、彼女をそっと背後に隠す。
「あら、ジュードさん? どうしてここに?」
「ここの織物工場は、うちの所有なんです。王女様がいらっしゃると伺って、ぜひお会いしたくて」
隠したはずのララが、前に出て話し始める。
「そうだったの。今ちょうど、マルグリットさんに試作の布を作ってもらったところよ」
「試作? 何にお使いで?」
「ほら、この前、議会でエネルギー源の転換のこと話したでしょ?」
ララとジュードの何気ない会話にさえ、胸の奥がざわつく。
「魔力に切り替える前に、何か節約できないかって思って試作してみるの」
「それで、この布が必要なのですね」
「まだこれから実験だけど、うまくいけば公共施設のビスの節約になるわ」
「さすが王女様ですね。また色々とお話をお伺いしたいです。今後の政策に向けて、何か協力できることがあれば、ぜひ手伝わせてください」
まさに、非の打ち所のない好青年。……腹が立つほどに。
「ありがとう。多くの人の協力が得られたら、うまくいきそうね」
ララが微笑んだ、その時。
「では、よかったら今から我が家でお茶でもーー」
……考えるより先に、口が動いていた。
「王女、急いで戻ってバートンの魔法の準備を」
驚いたララが目を見開く。だが、
「そうね、早い方がいいわね」
ランゼルの提案をすんなり受け入れた。
──これは、完全に嫉妬だな……。
そう思って反省はした。
けれど、後悔はなかった。




