第28話 サンドイッチと、ただいまの朝
——小麦買い占め騒動から1週間目の早朝。
「今日は南区画のサンドイッチ、食べられるかしら?」
簡素なワンピースに身を包み、弾んだ声でリーゼルに話しかけるララの腕には、なぜか空のバスケットが。
「そうだね。……って、ララはなんでバスケットまで持ってるの?」
妹の楽しそうな様子に、リーゼルは目を細めて微笑んだ。
「サンドイッチも食べたいけど、託児室の子どもたちにもお土産買いたいんだもの」
「今日も視察なんだけどね……。街の様子を見に」
「わかってるってば。美味しそうな果物やパンがあったら、子どもたちに買ってあげたいなって思ったの」
口を尖らせて話すララの瞳は、どこか甘えた様子で楽しそう。
そんな兄妹のやり取りを、護衛のアーロンとカイが微笑ましく見守っていた。
「それじゃ、朝市に向かおうか。ララのサンドイッチが売り切れる前に」
冗談混じりにリーゼルが言うと、ララは声を出して笑った。
ちょっとだけ弾んだような足取りに、ララの髪が、ご機嫌な馬の尾のように揺れている。
リーゼルより少し前を歩くララが振り返って、
「小麦の買い占めが広がらなくて良かったわ。兄様の対応の速さの賜物ね」
と微笑んだ。
「皆の協力のおかげさ。今回は噂のスピードがそれほど早くなかったことが、幸いだったね」
「そうね……。でも、不安を予測できなかったことは後悔してるの……。もっと早く正しい情報が伝わるように、段取りを考えておくべきだったわ」
「今回の教訓をしっかり、次に活かせばいいさ。だって、今からが本番だよ?」
「確かに……。魔法の導入って、絶対みんな混乱すると思うわ」
思案顔のララに、リーゼルは軽く指をさす。
「まずは今の様子をしっかり確認しようか」
「そうね! 兄様、行きましょう!」
ララはリーゼルの手を取ると、少しだけ早足で朝市へと進み出した。
***
「店主、小麦300グラムお願いね」
「おう! 値段が戻ってよかったよな?」
「本当に王家の方には感謝しかないわ……。すぐに対応してくださったから、生活に支障が出なかったもの」
「あぁ、まったく。すごい王子様とお姫様だよなあ」
揉めていたとは思えないほど、にこやかに会話するふたり。
「お母さん、今日はこの果物が食べたい!」
元気な声をあげる男の子。
「坊主、このリンゴは甘いぞ! 見る目あるな」
「それなら、リンゴ3個くださいな」
と財布を準備する母親。
「あら、野菜の値段がいつも通りだわね」
と微笑み合う老夫婦に、
「収穫量が増え出したからね。今日はこのトマト、一つサービスするよ!」
と張りのある声で応じる店主。
ララの目に映ったのは、活気のある人々と賑やかな朝市の様子。
——あぁ、活気がある。皆が生き生きしているわ。
「よかった……」
思わず胸の内が、声になった。
「普段の生活に戻ったみたいだね。それじゃ、念願のサンドイッチを食べに行こうか?」
「そうね」
嬉しそうな笑顔を浮かべて、ララは頷いた。
四人はゆっくりと、朝の賑わいの中へと消えていった——。
***
「本当にサンドイッチが美味しかったわ」
バスケットを抱えたララは満足げに言った。
「アーロンのおかげだね。またおすすめがあったら教えてくれるかい?」
向かいの座席に座るアーロンにリーゼルが話しかけた。
「もちろんです! まだまだ、おすすめはたくさんありますよ」
楽しげな会話が車内に満ちていた。
「ララもお土産、買えてよかったね」
「はい。城に着いたら、さっそく託児室に届けてきます」
と笑顔で答えるララ。
馬車が城門をくぐり、窓の外に目を向けたそのとき――
見慣れた黒髪の騎士が目に留まる。
——あっ!
馬車が止まり、扉が開くやいなや、ララは一番に飛び降りた。
「ララ、危ないよ!」
呼び止めるリーゼルの声に、
「大丈夫! 先に行くわ!」
と走り出す。
座席に置かれたバスケットを掴み、アーロンが急いでララを追った。
ワンピースの裾を軽く握りながら、ララは走る。
必死に足を動かしても、あと数メートルが遠い。
思うように進まないもどかしさに、待ちきれず、声がこぼれた。
「ランゼル! おかえりなさい!」
白馬の背を降りたランゼルは、後ろから聞こえたその愛しい声に振り返る。
精一杯の速さで駆け寄ってくるララの姿に、
歓喜と愛情を宿した瞳で、そっと微笑んだ。
「ただいま、戻りました。ララ王女」
——朝の柔らかな光と、穏やかな風がふたりをそっと包み込んだ。
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第一部・完




