第25話 これは、ララのせいじゃない──王太子の覚悟
「王女様お待ちください!」
アーロンの静止の声も手も、ララには届かない。
「ララ、待って!」
足早に進むララを、リーゼルは慌てて追いかける。
――どうしてこんなに胸がざわつくの……
私は何を見落としたの……
不安の正体が、そこにある気がして。ララは、思わず駆け出していた。
気持ちばかりが急いて、うまく足が動かない……。
そんなに離れているわけでもないのに、店主と女性までの距離が遠く感じられた。
「どうして、小麦の値段が2日で4倍になるのよ!」
「仕方がないだろ、ここ数日品薄状態なんだよ。これが限界なんだ、赤字ギリギリなんだよ!」
女性と店主の喧嘩口調のやり取りに、周囲も様子を伺い出した。
――「何が起きているの?」
急ぎ足で近づく王女に、店主は目を見開いて驚く。
慌てて帽子を抜き、胸に手を当てて礼をとろうとした店主に、
『挨拶は今はいいから』と、手の動きだけでララが制した。
店主が下げかけた頭を戻していると──
「何があった?」
リーゼルと護衛騎士がララのそばまでやってきた。
さらに驚きの表情で固まる店主を見た女性は、何事かと後ろを振り返って顔をこわばらせた。
「王女…さま…⁉︎…っお‼︎、王太子殿下!」
女性の声は驚きで見事に裏返った。
二人を驚かせた事に申し訳なさを感じながらも、
「小麦がどうしたの?」と、ララは問わずにはいられなかった。
――わずかな沈黙を破って、店主は言いにくそうに口を開いた。
「ここ数日で小麦の買い占めが……起こりまして……。小麦不足が起こっています……」
「具体的にはいつから?」
ララの焦りは声ににじんでいた。
「4、5日前でしょうか……。その日は多くの人が、いつも買う量の何倍も買い込んでいて……。それが翌日も……。そうしたら、どこの店でも在庫がほとんど無くなって」
思い出すように、ぽつりぽつりと説明した。
そんなララと店主に近づく初老の男性。
ゆっくりと礼をとると、
「お話中申し訳ありません。私はこの朝市の責任者を務めております、モーリスと申します」と名乗った。
ララが目で促すと、モーリスは話を続けた。
「1週間ほど前でしょうか……、誰かが『ビスが不足するらしい。ビスが無くなったら生活できない。今のうちに、食料や日用品は備蓄した方がいいな』と話し始めたそうです……。
その噂が瞬く間に街に広がりました。噂と同時期に小麦がどんどん買われました」
モーリスの話を聞きながら、ララは心臓を掴まれたような、一瞬にして全身の血液が引いていくような感覚に襲われた。
――どうして……私は、
ちゃんと予測できなかったの……。
いいえ、予測できたはずよ……だって、
……前世で、そんな光景を何度も見た。
災害や不安の噂が広まれば、誰もが備蓄に走る。
あのときもそうだった。水、缶詰、小麦粉、紙類……棚から一斉に消えていった。
人は「不安」に背中を押されてしまう。
それを知らなかったわけじゃない。
――「気づけたはずなのに……。私のせいだ……」
徐々に顔色をなくし、呟くララ。
ララの後悔と懺悔のような小さな呟きが、リーゼルの耳に届いた。
はっとしてララを見ると、顔色は青白く、そして強く右手で左手を握り込んでいた。
とっさにリーゼルはララのその手を包み込んだ。
冷たく小刻みに震えるララの手は、なんだか小さな女の子だった頃の彼女を思い起こさせた。
これは、ララのせいじゃない──。
しっかり者のララに、僕は頼りすぎていた。
ララは決して強いわけでも、何でも見通せるわけでもないのに──。
ごめんね、ララ。
ララばかりにたくさんの物を背負わせていたね。
王太子は僕なのに──。
「ララ、君のせいではないよ。
これは先が見通せなかった、上に立つ者の責任。
そう、王太子である僕の責任だよ」
リーゼルはララの目を見て、まっすぐに語りかけた。
ララの瞳がリーゼルを捉えると、
「大丈夫だよ、ララ。ここからは僕に任せて!」と微笑んだ。
ララの瞳に、うっすらと涙の膜が浮かぶ。
ララから街の人々へ視線を向けたリーゼルは、力強く声を張った。
「小麦は国庫に保管してある備蓄分で調整をかける!
ビスの減少は事実だが、今すぐ底をつく状況ではない。
次のエネルギー転換に向けて、国は動いている!
不安を抱えるのは当然だ。だが、どうか冷静に行動してほしい。
――国は、皆の生活を守ることを約束する!」
わずかな時間、辺りは静寂に包まれた。
リーゼルの言葉が余韻を残しながら浸透していき、了承の意を伝えるように人々は礼をとった。




