第13話 …それ、恋です。間違いありません!
議会が終わると、貴族たちは三々五々、名残惜しげに話し込んだり、そそくさと退出したりしていた。
そのざわめきの中、俺は壁際でひとり、視線だけを動かす。
今日のララは、いや、王女は──
人々の前に立ち、言葉を尽くして未来を語っていた。
堂々と、気負いなく、それでいて優しさを滲ませて。
あの姿を見て、ただ思った。
……早く傍へ行きたい。
「王女──」
呼びかけた声に、ぴたりと重なる別の声があった。
「王女様、ご挨拶をよろしいでしょうか?」
俺より一歩早く近づいたのは、宰相バロンの息子、ジュードだった。
肩にかかる金髪に、目元の黒子が印象的な青年。
貴族の中では珍しく実務にも明るく、王城でも評判がいい。
その男が、自然な笑みを浮かべて王女に話しかけていた。
「ええ、先ほどはご苦労様。無事に話がまとまって、よかったわ」
「とんでもない。あの場を収められるのは、王女様しかおられませんよ」
ララはにこやかに笑い、ジュードも柔らかく応じる。
言葉の端々に敬意がにじみ、それがまた鼻についた。
……いや、なぜ俺はそんなことを思う?
穏やかに言葉を交わすふたり。
並ぶ姿に、何とも言えない胸のざわめきが広がる。
喉の奥が詰まるような焦り。
その正体のわからぬまま、ふと耳に届いたのは、ふたりの笑い声だった。
──どうしようもなく、苛立った。
「王女、よろしければこの後、少しだけお時間をいただけませんか? 我が領でのビス節約策について、ご助言をいただきたく」
ジュードが一歩踏み出し、ララに手を差し出した。
それは控えめで紳士的な仕草だったが──俺には、あまりにも馴れ馴れしく映った。
ララがその手に向かって動こうとした、その瞬間。
俺は思わず声を発していた。
「王女。これより、王妃セリーヌ様へのご報告が残っております」
……遮った。完全に。
自分でも驚いた。
だがその時、さっきまで胸を占めていた焦りも苛立ちも、すうっと消えていた。
――ララが、他の誰かの手を取るのが嫌だった。
ただそれだけだった。
ララが、他の誰かの隣に立つのを見たくなかった。
そう、俺は……
もう、目を逸らせない。
彼女は、ただの“王女”ではない。
俺にとっては、唯一無二の──
……ララなのだ。
「そうね、忘れてたわ。お母様への報告……ごめんなさいね。また後日、時間を取るわ」
そう微笑んでジュードに告げると、ララは軽やかにその場を後にした。
そのすぐ後ろに──俺は何のためらいもなく並ぶ。
いつもなら、三歩後ろ。
護衛として当然の距離だった。
だが今日は、一歩だけ、その距離を詰めていた。
目の前に揺れる銀髪。
見慣れた背中。
……それなのに、今日はなぜか、違って見えた。
同じはずの景色が、妙に遠くて、近い。
そんな感覚が胸に残る。
──気づけば、五年前の記憶が蘇っていた。
* * *
あの年の初夏。
母国ノルフェリアから“遊学”と称して、各国の暮らしや政情を学べと命じられた俺は、
案内役も正式ルートもすべて振り切り、一人で国境を越えていた。
型どおりの貴族訪問など、俺には必要ない。
それよりも、自分の目で世界を見てみたかった。
そうして選んだのは、地図にも載っていない森の獣道。
魔物が出る可能性があることは承知の上だった。
だが──魔法と剣があれば、十分に対処できる自信があった。
森の奥で響いたのは、獣の咆哮と、金属のぶつかり合う音。
迷う暇などない。音のする方へ駆け寄ると、魔物に追い詰められた騎士たちがいた。
中央には、守られている一人の青年。
俺はすぐに左側に回り込み、剣に炎を纏わせる。
同時に風の刃を放ち、魔物の足元を崩した。
ぐらついたその隙に、勢いよく眉間へ炎の剣を突き立てる。
──沈黙。
騎士たちも、青年も、目を見開いたまま俺を見ていた。
「ありがとう。……こんな魔法、初めて見たよ」
驚きと感動が滲んだその声の主は、アルマティアの王太子、リーゼルだった。
「よければ、城へ来てくれないか? ちゃんとお礼をさせてほしい」
誘いを断る理由は、なかった。
城へと招かれた俺が最初に感じたのは、微かな違和感だった。
無駄に飾り立てるものもなければ、威圧するようなきらびやかさもない。
整ってはいるが、質素な造り。
「……うちの城、質素でしょ? 比べる場所がないとわかりづらいかもしれないけど」
リーゼルは照れくさそうに笑っていた。
だが、その言葉の裏にある空気に、俺は気づいた。
ここには“無駄”がない。
必要なものだけが、静かに整えられている。
それは俺の知るどの王宮とも違っていた。
「うちの妹がね、派手なのを嫌うんだよ。『見た目だけの装飾に意味はない』って、いつも小言を言われてる」
リーゼルの言葉に、不思議な感覚が湧く。
──王族で、そんな考えを持つ者がいるのか?
と、そこへ──
「おかえりなさいませ、お兄様」
現れたのは、まだ幼さを残した少女。
だがその佇まいは、不思議な威厳を帯びていた。
儚げな見た目とは裏腹に、彼女のまとう空気は、大人びていた。
……きっと、この子が“あの妹”だ。
その少女──ララは、五年の時を経て、今や国を導く王女となった。
外見の美しさはそのままに、
言葉は鋭く、眼差しは澄み、誰よりも現実を見据えている。
そして──
もう、目が離せない。
その理由を、俺はやっと理解した。
俺は……ララに恋をしている。