第12話 アルマティアの“オカン”
議会は、どこか穏やかな空気を漂わせながら終盤へと差し掛かっていた。
……だが──
その空気を一変させる、小さな声がララの耳に届く。
「……とにかく、帰ったらビスをできる限り買い込んでおこう。せめて100個は確保しておきたいな」
「はは、うちもそれくらいは……いや、念のため150個は用意するか」
席の後ろ側で交わされていた小声のやりとり。だが、ララの耳は逃さなかった。
椅子を引く音もなく、静かに立ち上がる。
視線はまっすぐ、正面を見据えたまま──通る声で、語り始める。
「もし、あなたが……今この瞬間、流通しているビスを100個、自分の領地にストックするとしましょう」
ララは一拍置いた。
「そしてその噂を聞いた隣の領主が、さらに安心のために150個ストックしたら……次は?」
議場に、ぴたりと静寂が落ちる。
「そうやって、次々に貴族が買い占めに走れば──誰が困ると思いますか?」
声がやや低くなる。
「……そう、民です」
会場の空気が、微かにざわついた。
「日々の生活に必要なエネルギーが届かず、灯りも、調理も、暖も取れない。民の生活は回らなくなります。当然、生活ができなければ税収も途絶えます。それは各領地だけでなく、国全体の財源に関わる話です」
ララは、軽く息を吐いた。
「魔法導入に向けた準備にも、大きな影響が出るでしょう」
議場の空気が一気に引き締まっていくのを、肌で感じる。
でも──それでもなお、言わねばならない。
「“自分さえ良ければ”という行動が、巡り巡って、自分の領地を苦しめることになる。どうか、それを忘れないでください」
ララの視線が、議場をゆっくりと見渡す。
眉をひそめていた老貴族が、ふと視線を逸らし、小さく頷いた。
若い貴族の一人が、口を結びながら、そっと拳を膝の上で握る。
──その変化は、とても小さい。けれど確かに、“何か”が生まれ始めていた。
と、そのとき。
ララの視線の先、議場の扉の隙間から、ちらりと覗く影が見えた。
王妃セリーヌだった。
派手めなアイシャドウといつもの完璧メイクで、ちらりとララを一瞥。
その目は「よしよし」とでも言いたげな母の眼差しを浮かべ──さっと扉の影へと戻っていった。
(……お母さま……?)
思わず笑いそうになるのを堪えたその瞬間──
「……買い占めが発覚した場合、その領地の税率を3パーセント引き上げるものとする!」
どこか朗読のような響きで、国王ヨハンが宣言した。
場内がざわめきに包まれる。
驚いたのは、誰よりもララとリーゼルだった。
目を丸くして顔を見合わせ、思わず父を振り向く。
(お父さまが……即断を?)
ぽかんとする二人にだけ届くような小声で、国王はぽつりと漏らす。
「……王妃がな。『ララたちの味方しなさいよ』って……いやあ、母は強いなぁ」
そして、片目だけで小さくウインク。
(やっぱり……見てたんですね、お母さま)
ララがふっと肩の力を抜いたそのとき──
「……俺たち、自分のことしか考えてなかったな……」
ぽつりと漏れた声。
それは、先ほど買い占めを口にしていた貴族の一人だった。
「仕方ありません。不安になるのは、誰しも同じです」
ララは、その声にゆっくり振り返る。
「でも──ここで思いとどまり、誤ちに気づけたのなら、上出来です」
そう言って微笑んだララに、周囲の数人が静かに頭を下げた。
国王ヨハンは、腕を組みながらぽつりと呟く。
「……ララは一体、誰目線で話してるんだ?」
そのつぶやきを拾って、宰相バロンがうなずく。
「王女は──アルマティアの“オカン”なのです」