エピローグ
櫻子が帰り、また静寂になる。
「桐生、部屋に戻れ」
ガラスの部屋から移動するようにと、先ほどは櫻子の声が聞こえていたスピーカーから、無機質な声音をした青山の声が届いた。蒼馬は黙って施錠されたドアの前に立つ。すると自動的に、そのドアのロック解除された音が聞こえた。ゆっくりとした仕草で、蒼馬は出たドアのすぐその向かいにある部屋に入る。蒼馬が向かい側の部屋に入ると、五重にドアをロックする音が聞こえた。
「今日は、晴れていたのかな」
その部屋は先ほどの真っ白な部屋と変わらなかったが、ガラスの面はない。ドアが何処だったか分からないほど、部屋全体が真っ白だ。照明のようなものはない。しかし蒼馬が備え付けられているベッドに横になれば部屋は暗くなるし、起きれば天井が明るくなる。室温も適温が設定されていて、水道とミネラルウォーターのサーバーも置かれている。
本棚はないが、人間の力では壊せない机と椅子も備え付けられていた。仕切りがあり、トイレも設置されている。ここは、彼だけの彼の為に作られた彼だけの厳重な監獄だった。
パソコンや文房具もない。本が時間を潰す唯一のものだが、主に哲学書や宗教関係が多い。与えられる本は、週に一回で入れ替えられる。「新聞が欲しい」との願いは、二年かかって聞き入れられた。
元号が変わる事も、新聞で知った。ネットやテレビやラジオもない。勿論、面会に来る者もいない。今まで誰かが面会に来ても、蒼馬は会いはするがけして口を開かなかった。
「佐久間菫の娘の、一条櫻子を警察官にしろ。勿論、彼女に相応しい階級を与えるんだ。僕の面会は、彼女だけだ。誰が来ても、会ってもいいが会話はしない。僕は、彼女の問いにしか答えない」
桐生蒼馬は、確保されてからそう言って口を噤んだ。十年近くも。
そうして、蒼馬はずっと待っていたのだ。一条櫻子が大人になり警察官になり、自分に会いに来る日を。この日を、ずっと待っていた。
「菫さん……彼女は、貴女と似ているけど性格は少し違うみたいだね。それが少し残念かな」
蒼馬はボタンを押して話しかける。
「クライスラーの『愛の哀しみ』を」
暫くして、ヴァイオリンとピアノの物悲しいクラシックが部屋に流れた。蒼馬はその曲を聞きながら、ベッドに横になった。部屋の電気が消える。
「彼女を貴女みたいに変えればいいんだよね。簡単な事だ、ああ、早く彼女の香りを嗅ぎたい。触れたい――彼女こそ、僕に相応しい」
瞳を閉じた蒼馬は、そう呟いた。今宵は、ようやく十数年ぶりに自分の眼で見る事が出来た美しい櫻子の夢を見よう。そう、ダンスでも踊ろう。
世界は、僕と美しい櫻子の為にあるのだ。と。
蒼馬は、瞳を閉じた。




