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アナグラム  作者: 七海美桜
今宵彼女の夢を見る

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過去・上

 まだ残って話を聞くという宮城たちを置いて、櫻子と篠原は黒岩建設を出た。彼らの話を聞いて、キタの事件も調べ始めるだろう。


 のんびりと温かい春の陽気と殺人事件と言う恐ろしい事件は、全く似合わないが――実際に、人が殺されているのだ。

 誰かが幸せでも、同時に不幸な目に遭っている人もいる。片方の眼で、全ての事を見てはいけない。しかしどんな理由があっても、人を殺してはいけない。


 篠原は、実家で一緒に暮らしている姪を思い出す。彼女の両親――篠原の兄夫婦は、無差別殺人事件の被害者だ。その事件のさ中、幼い姪を庇って二人とも殺された。篠原自身はまだ結婚もしていない。警察官になって一人暮らしを始めて間もなかったが、実家に戻り姪である唯菜(ゆいな)を引き取って両親と暮らしている。


 犯人は精神鑑定で『責任能力なし』と判断されて、未だに病院で生活していると聞く。篠原一家と同じくその事件の被害者の遺族たちと犯罪者の会を作り、弁護団と一緒になりしばらく争ったが最高裁でも敗訴した。殺人を犯した犯人の悲惨な家庭状況だった幼少期が云々と語られて、『犯人の人格形成時期に、彼も被害者だったのだ。彼の犯罪は、更生させることができるはずである』と、理不尽な判決で裁判は終わった。


 唯菜には、彼女の両親の生命保険と犯罪被害者等給付金を貰っているので、経済的に不自由な思いはさせていないと思っている。篠原も祖父もまだ働いているので、むしろ裕福な方なのかもしれない。

 しかし両親を目の前で失った彼女の心は、篠原がどんなに頑張っても癒せていないと分かっていた。それならせめて――そんな人達の力になりたくて、篠原は交番勤務を頑張っていた。小さな事からでいい、どうしたら困っている人を助けられるのか。


 そんな中で、思ってもいない異動を知らされたのだ。地元の人たちと交流する仕事から、事件の犯人を追う仕事へと。

 『我儘で女王様気取り。刑事局長に体で取り入ってエリートになった女』と言われる、見たこともないエリートである一条櫻子の世話係になれ、と言われた。交番勤務に心残りがあった篠原だったが、櫻子に会い色んな事を学んだ気がした。知り合ってまだ少しだが、未だに女性の社会進出を望まないドロドロした男社会の声。理不尽で不幸な殺人事件が多い事、一条櫻子が噂通りの女性ではない事。真剣に事件に向き合う姿。


 篠原は、この春から自分が変われる可能性を与えてくれた櫻子に感謝していた。家でも一生懸命珈琲を淹れる練習をしている篠原に、唯菜がよく話しかけてくれるようになったことも嬉しいきっかけだ。

 ようやく到着したタクシーを呼び止め、櫻子と篠原は曽根崎警察署に戻ってきた。


「榊光汰を見つけました」

 特別心理犯罪課に入ると、笹部がそういってから「おかえりなさい」と呟いた。

「ただいま、『国府方紗季』ね?」

 櫻子は、届けられた鉢に添えられていたメッセージカードを指で挟み、ゆっくり唇の端を上げて笑むとそれを二人に見せた。


「こんな簡単なアナグラムを見落としていたなんて、馬鹿だわ」


「ボスの言う通り、国府方紗季が榊光汰と同一人物です」

 パソコンの画面を見たまま、笹部はそう答えた。篠原だけが、理解できていない。

「え? アナグラムって何ですか? サキさんが、このカード送ってきたんですか?」

 櫻子は自分の椅子に腰を落として、篠原にも自分の椅子に座るように促した。篠原は大人しくそれに従った。国府方紗季は、『セシリア』のサキの本名だ。


「アナグラムって、文字を入れ替えると違う文字になる暗号の一部なのよ」

 櫻子は、篠原の為に説明する。

「まさか、本人が意識してアナグラムで名前を付けたとは考えにくいけど――でも、このメッセージカードを送ってきたのは、サキさんじゃないわ」

 僅かに、櫻子の眉間に皴が寄せられた。が、すぐにいつもの澄ました顔になる。

「ひらがなで、『こうかたさき』って書いてみて。そして、その文字を並び替えると『さかきこうた』ってなるでしょ?」


 櫻子の言葉通りにメモに書いて眺めてみると、確かに二人の名前になった。


「榊光汰が、国府方紗季になったのよ。そうして、『ユウ』は、サキさんと友人だった。そして、エマさんもそこに入っているから……多分、学校が同じだったのかしら? 詳しくは、ヤスさんに聞きに行きましょ。笹部君もね」

 櫻子の言葉に笹部は嫌そうな顔になったが、諦めたようにパソコンの電源を落としてノートパソコンをカバンに入れ始める。


 訳も分からないまま、篠原は総務に車の手配の連絡をした。


「誰が、『国府方紗季』と名乗るように仕向けたのかしら……?」

 櫻子は、そう小さく呟いていた。 

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