335.一人っきり
下の階層へと足を踏み入れた。
通路は薄暗く、床も壁も天井も、これまでのダンジョンより一層、洞窟のような様相を呈していた。
薄暗いが……俺の目なら問題なく見える。
理屈はよくわからないが、俺の目は夜目がきく。
真夜中だろうと、ある程度の明るさで見ることができる。
そんな俺の目でも薄暗いと感じるということは、ここから先はほとんど光がない世界なのだろう。
俺はその様子を見て、恐怖よりも先に安堵した。
よかった、俺以外のやつが転移しなくて……これ俺以外だったら詰んでただろ……。
アナとマリアとアウラお嬢様なら大丈夫か? あの三人なら大丈夫な気もするが、シャロはダメだ。
防御に全振りなので攻撃手段を持っていない。
最後にあいつの斧を見たのは何時だったか……思い出せないな。
とにかくシャロでなくてよかった。
怖がりはしないだろうが、無事に帰って来られるとは思えない。
最悪のケースも十分あり得る。
そう考えると、転移したのが俺で本当によかった……。
大きく深呼吸し――。
暗いダンジョンを進み出した。
◇
洞窟のような通路は、岩肌も点在しており、隠れる箇所がいくつもあった。
岩陰からの奇襲を警戒し、今まで以上に慎重に進んでいると、黒く蠢く影が見えた。
――思わず身構える。
それが何なのか、見極める必要がある。
俺はホラーは苦手だが、暗い部屋は問題ない。
翼にも「何で?」と言われたが、俺が怖いのは部屋に居る“異物”に対しての恐怖だ。
ただ暗いだけの部屋ならいい。
明るくても暗くても、そこに幽霊やそれに準じた何かが居ると怖い。
シンプルに幽霊か、それに似た何かが怖いんだ。
今見えている“何か”が、幽霊や骸骨のような見た目じゃないことを祈ろう。
蠢く影は、ゆっくりとした動作で移動していた。
大きさは一メートルほどで、見た感じサソリに近い。以前鉱山都市で戦った[鉱石喰らい]と違い、ハサミが四本付いている。
種類が違うのだろうか……亜種という可能性もある。
数は一匹。
この階層の魔物の強さを測るには丁度いい。
俺は剣を抜き放ち、呪文――〈深淵の弩砲〉をサソリの魔物に向かって放った。
漆黒の矢は真っ直ぐ魔物に向かって飛び、直撃したが――。
その身に纏う殻の表面を、僅かに削り取る事しかできなかった。
――弾かれた?! マジかよ!!
突然攻撃された事に気付いた魔物は、即座にコチラを補足し襲い掛かる。
すぐに追撃の魔法――〈深淵の弩砲〉を放つも、決定打に欠ける。
放った四本の矢は、足を打ち抜きもぎ取り、表皮を削り取るも、魔物を倒すには至らない。
剣に魔力を込め、迫りくる魔物へ意識を集中する。
おそらく硬いのは体の上に付いている殻の部分だけだろう。
その殻の下は無防備な肉があるに違いない。
ならば打てる手は一つだ。
「〈深淵の墓所〉!」
洞窟内に呪文が反響した。
魔物の真下に現れた魔法陣から、無数の円錐状の棘の柱が乱立し、その体を穿つ。
何本もの漆黒の棘がその身を貫き、ようやく動きを止めた。
その時俺が感じていたのは、達成感ではなく――。
このレベルの魔物を相手にしなくてはいけないという、絶望に似た感情だった。
◇
それから更に慎重に進んだ。
幸いにも、ダンジョン内は隠れる所が多くなっており、分岐が幾つもあった。
時には身を隠し、対処可能な数ならば打って出る。
その繰り返しだった。
精神的にも限界が近い。
度重なる連戦と警戒で、精神が摩耗していた。
出会う全ての魔物が、俺の魔法に耐性がある様に効果が薄い。
いや、効果はある。
あるのだが、どれも鎧の隙間を通すような正確さを求められる。
岩陰で一休みしながら俺は思案する。
……この状況、ヤバくないか?
食料はいつ入れたのかわからない物も含めて、何だかんだ一か月分はある。
ポーションも虹色に光るのが大量にある。
だがそれはあくまでも、制限時間のようなものだ。
この二つが無くなれば俺に待っているのは――死。
その考えに至り、ブルリと身震いした。
まだ死ぬ訳にはいかない。
何としても最下層へ行き、皆の元に帰るんだ。
帰れる保証なんてないが……それでも、その希望に縋るしかない。
立ち上がると暗闇の中を歩き出した。
◇
何とか下へ降りられる階段を見つけることが出来た。
早速階段を降り、クリスタルのある中間地点へ辿り着く。
淡い光を放つクリスタルに触れ、頭の中で一階層目をイメージするも、やはり何も起きない。
それならばと、転移した部屋を頭に思い描く――。
冷や汗が一つ流れ落ちる。
どうやら戻ることも出来ない……いや、そもそもクリスタル自体が機能していないのか? くそっ、何もわからねえ……。
クリスタルから手を離し、部屋の隅で腰を下ろす。
この部屋には魔物が入ってこられないので、少し安心して過ごせる。
〈収納魔法〉から食料を取りだし、〈水生成魔法〉で水をコップに注ぐ。
雫が作ってくれた生活魔法。
これのおかげで、こんな状況でも何とか生きていける。
本当に……あいつには頭が上がらないな。
食事を済ませ、〈収納魔法〉の奥底にしまってあったロックタートルの甲羅を引き摺り出すと、被るようにして甲羅の内側に潜り込む。
これでもしも魔物が襲って来ても、ある程度は時間を稼げる。
いくらクリスタルのある場所は安全地帯といっても、既にイレギュラーな事態が起きているんだ、油断はできない。
甲羅の下で体を丸め、野営用の毛布に身を包む。
一人きりが、こんなにも冷たく、重い静寂だと感じたのは、いったいいつぶりだろうか。
元の世界では当たり前だったはずのこの空気が、今では鉛のように重く胸にのしかかる。
この世界に来てからは、誰かの気配が絶えず傍にあった。
部屋から一歩踏み出せば、シャロの活発な足音が聞こえてきた。
アナの穏やかな微笑み。
マリアの少し間の抜けた話し声。
小言の多いクマさんや何も喋らないが主張の激しいボス。
それに、いつも酒を飲んでる爺さん。
ただそこに居るだけで、心安らぐ存在のママ――。
みんな、今どうしているだろうか。
いきなり俺が消えて、さぞかし慌てているだろう。
意外と「そのうち帰ってくるさ」と笑い合っているかもしれない。
指輪に魔力を込め、俺は“まだ生きている”ことを伝える。
光が消え、再び灯るのを見届けて、俺は静かに瞼を閉じた。




