309.緑の領域
街道を進むにつれ、街道沿いの自然が色濃くなっていくのを感じた。
今まで見たことのない植物が増え、緑の匂いが濃くなっていく。
それと同時に首の後ろから、ピリピリとした感覚が襲う。
アナの威圧とも違う――まったく別の違和感。
周囲に人や魔物の気配は無いはずなのに、なにかに見られているように感じた。
ここはもう既に――深淵の使徒の領域内。
俺たちはそこに足を踏み入れた侵入者。
おいおい、義理とはいえママの息子である俺が来たってのに、随分な歓迎っぷりじゃないか。
侵入者? 違うね。どちらかというと帰省でしょ。俺が……帰ってきたぞ!
とはいうものの、気持ちはわかる。
いきなり現れた俺が、ママの息子面をしているんだ。気に入らないやつもいるだろう。でもしょうがないよね、ママが俺をボウヤと呼んでくれたんだ、わかる? 変な意地はらずに認めて欲しいよね。
不意に頭に木の実が当たる。
……痛ってーな、さっきから!
看板を超えてからというものの、ドングリのような硬い木の実が、俺を目掛けて飛んでくる。
軽く放り投げる程度の威力なので、大して痛くはない。痛くはないがムカつく。
いっそ魔法で消し飛ばそうかとも思ったが、さすがにやめておく。周囲の植物は恐らくママの眷属的なやつだろう。
眷属を消し飛ばして、ママに嫌われるのは避けたい。
とりあえず木の実を手に取り、投げ返す。
いててててて! こ、こいつらぁ!!
投げた木の実の数が何倍にもなって返ってきた。
クソが……ママにいいつけてやる……覚悟しておけよ……。
俺は街道沿いをキッと睨みつけた。
◇
あれからしばらく街道を進みんでいると――。
植物の種類が徐々に変わってきた。
見るからに怪しいものや、何故か興味を惹かれるようなもの、様々な匂いが入り交じり、不思議な気分にさせる。
こいつらは入口にいたやつらとは違うな……。
感情を押し殺し、ただジッと俺たちを観察しているように感じた。
言うなれば歴戦の猛者のような印象だ。
黙って見ててやるから、貴様らも大人しくしていろと、そう言っているように思えた。
近い――。
直感でそう感じる。
肌から伝わる感覚が、別のものへと変わった。
今までのピリピリしたものではなく、泥のように全身に纏わりつく。
重い……。
馬車が進むにつれ、その重さはどんどん増していく。
だが、ある境目を機にその重圧が消えると同時に、色とりどりの花が一斉に咲き誇り始めた。
いつの間にか現れた花のアーチは街道を外れ、森の中へと誘うように連なっていた。
なるほど……この先にいるんだな。
一旦馬車を停め、三人に確認する。
「アナ、シャロ、マリア。ここから先は何があるかわからない。不安だったら俺一人で行くが……どうする?」
俺の問い掛けに三人は応えた。
「私はソラと行くよ。何があっても私が守るから安心して」
「あたしも行くよー! ソラ一人だと何するかわかんないしねー」
「ふふふ、そうですね〜。私もご一緒致します」
俺は一つ頷き前を向いた。
「よし、行くぞ!」
手綱に力を込め、馬車を森の中へと進めた。
◇
森の中も、まるで俺たちを導くかのようにアーチ状の道が形作られていた。
本来なら垂直に立つはずの木々も、ゆるやかに湾曲して道を開ける。
普通に生きていれば、まず目にすることのない光景だった。
いよいよだ。あ、やばい、なんか緊張してきた。最初になんて言おう。「久しぶり」……違うな。「ただいま」もココは家じゃないからな……なんて言おう。
すると木のアーチの先に、目隠しをするように花のカーテンが垂れ下がっていた。
馬車を下り、俺たちは花のカーテンの前に並び立ち、手でカーテンを押し退け、足を踏み入れた。
そこには一人の女性が、植物で形作られた玉座に腰掛け、静かに目を閉じていた。
その姿は、かつて見た記憶の中の人物と瓜二つ。
深淵の使徒になる前の姿――。
しかし、その姿は人のものとは明らかに異なっていた。
肌は木の質感を帯び、髪は蔓となり、衣服は幾重もの植物が折り重なって形作られていた。
女性は目を閉じたまま、微動だにしない。
俺は意を決して、一歩踏み出す。
その瞬間――空気が変わった。
全ての音が止まり、静寂が訪れた。
目に見えない重圧に押し潰されそうになり、身動き一つできない。
本能で感じた。
勝ち目なんてない。
生物としての次元が、あまりにも違いすぎる。
今すぐにこの場から逃げ出したい。
体の震えが止まらない。
動きを止めた俺の背中を、誰かが後ろから押した。
「早く行ってあげなよー」
シャロが笑いながらそう言った。
この状況をものともしないシャロを見て、不思議と恐怖心が消えていた。
まったく……みっともない姿を見せてしまった。そうだよな、怖がってどうするよ。俺は自分の意思で会いに来たんだ。
足を踏み出し、一歩、また一歩と歩みを進める。
肺に空気を吸い込み――吐き出すように名を叫んだ。
「ママ!」
するとママは玉座から立ち上がり、地面から伸びた植物を体に巻き付け始めた。
みるみるうちにその体は膨らみ、俺の知る姿へと変わっていった。
先程までの重圧が消えた。
ママは手を前に出し、「おいで」という仕草をした。
「マ、ママ〜」
駆け寄る俺をその手に抱き、あやすようにゆらゆらと揺れ始めた。
『ボウヤ』
はい、貴女のボウヤです。
あ、やば、安心したら眠気が……。
ママの腕に抱かれた安心感からか、睡魔が襲って来た。
無理もない、緊張していたからな。目に見えないプレッシャーが重くのしかかっていたんだ。仕方ないよね。
俺はママの腕の中でキャッキャしていた。
「ソラ?」
アナの声が聞こえた俺は、ママに下ろすように促し地面へ降り立つ。
コホンと咳払い。
「アナ。この人が俺のママだ。正確には義理のママなんだけどな……それでも俺にとっては、ママであることに変わりはない人だ」
『ボウヤ……』
そしてママに向き直り、アナたちを紹介する。
「ママ。この子はアナスタシア・ベールイ。俺の仲間だ。ママに紹介したくて連れて来たんだ。あと後ろの二人は前にも会っているよね。小さい方がシャロで、大きい方がマリアだ」
「シャロでーす」
「マリアと申します」
確か前回はちゃんと名乗ってなかったと思うからな……どうだっけか、忘れてしまった。
俺の紹介が終わると、アナがママの前に歩み寄り、頭を下げた。
「アナスタシア・べールイといいます。ソラとはパーティを組んでて……その、凄く大事な仲間、です……認めてくれますか?」
……? 何を認めるんだろう。
仲間としてなら、もうとっくに認めているというのに。
ママは俺とアナを交互に見て、何かに気づいたような仕草をした。
『――!? ボウヤ……』
はい、貴女のボウヤです。
ママはアナに向かって手を差し出す。
アナはママを見つめ、ひとつ頷くとその手を握った。
なにか二人の間に芽生えたようだ。
俺にはわからないけど……。
まあいいか、無事にママに紹介もできたんだ。オールオッケーってことで。
すると、どこからともなくグゥ〜と音が鳴った。
音の方を見ると、シャロがお腹を抑えながら言った。
「お腹すいたー!」
時間的にもソロソロ昼飯時だ。
ママともっと話していたいが、焦ることはない、時間はたっぷりあるんだ。
「それじゃ、昼飯するか」
「「はーい」」
昼飯の準備を始める俺たちを他所に、アナとママは見つめ合ったまま、動こうとしなかった。




