298.ハイクを詠め
ローブの女のもとへ戻ると、里の住人たちが慌てていた。
遠目からでも何となくそう感じてはいたが、彼らの言葉を聞き、心の中でため息をついた。
「すいやせん! いきなり姿が消えて、逃げられやした!!」
……まあ、そうなるよな。
今まで出会ったローブ姿の連中は、みないきなり姿を消す術を持っていた。
あの女がそれを持っていてもおかしくはない。
なんかこう……魔法を封じる魔道具でもあればいいんだけどな。
とりあえず詳しく聞くか。
「消えたっていうのは、具体的にどういう感じで?」
「あー、魔法陣が出て、そのまま消えやした。たしか……『一度戻って戦力を増やしてからまた来ますぅ』と言ってやした」
「そうですか、ありがとうございます」
戦力を増やしてまた来る……か。
そうなると、しばらくはこの里に滞在しないといけないが……滞在するかは皆と相談だな。
女のことはひとまず置いておくとして、このアムニオスをどうするか。
一応、魔王の残骸は取り外してはあるが、それがどういう判定になるのか分からない。
「マリア。この塊は、もう死んでいるってことでいいのか?」
「どうでしょ〜、私の血を混ぜて固めただけですので、もしかしたら生きてるかもしれません」
「なら、トドメは刺しておいたほうがいいな」
血の塊となったアムニオスに手を向ける。
……なんだか、今ならいける気がする。
そんな予感を覚え、呪文を唱える。
「〈深淵の崩壊〉」
アムニオスの真下に深緑の魔法陣が描かれ、同時に頭上には漆黒の魔法陣が現れ、禍々しい重圧と呻き声のような魔力が漏れ出す。
二つの魔法陣の動きが止まり、次の瞬間――漆黒の魔法陣から重力の奔流が降り注ぐ。
同時に、深緑の魔法陣から茨が伸び、アムニオスを絡め取って拘束する。
降り注ぐ重力の奔流と衝撃が、アムニオスを押しつぶしていった。
一瞬の抵抗の後、アムニオスの赤く染まった体は、地面の染みへと変わった。
復活は……しないな。よし、今度こそ、ちゃんと殺せたようだ。
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レベルアップしました。
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おっと、まさかのレベルアップか。
不意に頭の中に響く声に、少し驚いた。
忍びの里に来る途中でレベルが上がったから、しばらくはないと思っていたが、このアムニオスとかいうのは、それなりに経験値が高かったらしい。
そう思ったものの、この世界でのレベルアップは、あくまでも参考程度にしかならない。
なぜなら、自分のレベルが何なのか正確にはわからないからだ。
一応、鑑定魔法はあるらしいが、レベルの数値まではわからないという。
だから律義に数えている人しか、自分のレベルを把握していない。もちろん俺も把握していない。十から先は数えるのを忘れたので、現在何レベルなのかすらわからない。
まあ、その話は今は置いておこう。
今の最優先は、ローブの女を追うかどうかだ。
もっとも、行き先がわからない以上、追いようがない。
里の住人たちがなぜか、女を逃がした責任の押し付け合いを始めた頃、里長がやって来てこう言った。
「お客人方。この里を守っていただき有難う御座います。後の事はハンゾウを向かわせたので、皆様方はお休みください」
◇忍びの里周辺のとある山中
木にもたれ掛かり、一人の女が舌打ち混じりに悪態をつく。
「あ~もぉ~、なんなんですか、まったく! なんであんなイカれた奴らがいるんですかねぇ。『不死』の祝福持ちと戦うなんて、バカのやることですよ。私たちが長年かけて、国で管理するように仕向けてきたというのに……ほんと、だからゲバルト派は嫌いなんですよ……」
そんな女の近くに、一人と一匹の影が現れた。
一人は黒い衣装に身を包み、鉄の面頬には、この世界の言葉でない『忍者』の二文字。
一匹は背の低い、胸に白い三日月のような模様を持つ熊種の獣人。
近付く気配に気づいた女は立ち上がり、警戒する。
「何か私にご用ですかぁ?」
「お主、拙者たちの里を荒らした賊でござるな? 長の命により貴様を殺しにまいった」
「――はっ、私を殺すんですかぁ? さっきは生け捕りが目的だったので、かなり手加減したんですよ? わかってます? お前らごときが私を殺せるなど、思い上がるな!!」
激高する女に向かって、熊種の獣人が一歩前に出て言った。
「そうだな――だからオレも来た。元はといえば、百年前のオレたちの不始末が原因だ。あの時、全員殺しておくべきだったな」
獣人の言葉に、女は不思議そうに首を傾げる。
「百年前の不始末? 何を言っているんですかぁ?」
「――こういうことだ」
獣人が空中に魔法陣を描く――すると、空中から2mはあろう巨大な鎧が落下し地面を揺らした。
鎧を見た女は、目を大きく見開き叫ぶ。
「貴様……『赤錆』か!!」
女が赤錆と呼んだ鎧は全身に赤い錆が浮かんでおり、獣人は静かにうなずき告げた。
「そうだ。シズクの後始末、という訳ではないが……ここで貴様を葬らせてもらう」
獣人の言葉に、女は頭を掻きむしりながら叫ぶ。
「ああ、ああああああ!! なんでなんでなんで! なんでこんなところに赤錆まで!?…………ふー、いいです……わかりました。これもあのお方に会うための試練だと思いましょう」
女は急に冷静さを取り戻し、静かに言った。
「私の名はフェルシア。狂王神教・第八席。お前らはここで殺す。我らが同胞の仇を打たせてもらう」
女の周囲に、紫色の魔法陣が幾つも浮かび上がる。
獣人はすぐさま、赤錆と呼ばれる鎧の兜から中に入り――瞳に火が灯ると、二対の巨大な武器を取り出し構えた。
そんな二人のやり取りに、男が声をあげた。
「お二人とも待たれよ」
今にも戦闘が始まりそうな二人は、その一言でピタリと動きを止める。
「どうかしたのか?」
「なんなんですか?」
そんな二人の抗議に、男は言った。
「ミーシャ殿、その女は拙者の獲物でござる。横入りは御遠慮願いたい」
「……そうか、わかった」
ミーシャと呼ばれた獣人は静かに武器を下ろし、数歩後ろに下がった。
男は手を合わせてお辞儀をした。
「ドーモ、フェルシア=サン。三代目ハンゾウです」
女は呆気にとられたような表情を浮かべた。
「……はぁ? なんですかそれは」
女はアイサツをされたにもかかわらず、それを無視した。
それはトテモ・シツレイな行為である。
だがしかし、彼女は忍者ではない。
ならばこのシツレイな行為も許されるだろう。
ハンゾウは続けて言った。
「ハイクを詠め」
否、ハンゾウは激昂していた。
短剣を静かに構え、女の出方を待つ。
女は呆れた様子で口を開いた。
「……はぁ。何なんですか、ハイクってぇ。遊びに付き合ってる暇はないんですよぉ?」
「それが貴様の最後の言葉でござるか」
「話、聞いてますぅ?」
「里に仇なす者に、慈悲はない」
「……そうですか。なら、死ね。〈腐蝕槍雨〉」
上空に展開された魔法陣から、鼻を刺す酸の匂いが広がった。
次の瞬間、無数の腐食性の雨が槍のように降り注ぎ、周囲の木々や岩が泡立ちながら溶かし始めた。
雨が降りかかる刹那、ハンゾウの体が揺らぎ、空間に溶け込むように掻き消えた。
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消えた!? どこに――。
その瞬間、ヒュンッ――と音がした。
視界が揺れ、自分の“逆さまの体”が見えた。
――は? なんで、私の体が……?
そんな疑問が浮かんだが、答えはすぐに返ってきた。
降り注ぐ腐食の雨とともに、体から血の噴水がほとばしり――力なく崩れ落ちた。
――な、んで……まだ、死にたく……。
「きょ、う……おうさ……ま……」
そんな言葉が零れ、転がり落ちた頭の瞳から光が消えた。




