285.登山道は危険が危ない
忍びの里を目指してドレスラードを出発してから、5日が経った。
その間に魔物の襲撃もあり、4日目あたりから街道は整備されていない道に変わり、そろそろ馬車での移動がきつくなってきた。
元貴族の馬車とはいえ、振動が響くようになり、訓練も一時中断。
俺は大人しくアナの隣に座り、馬車の手綱を握ることにした。
2つの太陽が頭上に差しかかる頃、ニンジャ君が馬車を停めるように指示してきた。
辺りを見回しても森が広がり、その先には大きな山がそびえ立っていた。
もしかしてアレを登った先にあるとか……? 4日で踏破できるだろうか……。
「ここからは徒歩でござる。里はあの山の向こう側にあるのでござるが、迂回するルートがあるので、そっちを行くでござる」
よかった。さすがに頂上までは行かなくてよさそうだ。
俺たちは登山の準備を始めた。
馬車を〈収納魔法〉へ仕舞い、手持ちの荷物をなるべく減らして装備も軽装に変えた。
〈収納魔法〉の奥底に仕舞っていた皮の防具が、こんな形で役に立つとは。
全員が装備を整え、いざ出発しようとした――その時。
「ソラー、お腹すいたー」
「……先に昼飯にするか」
時間的にも丁度よかったので、食事をしてから出発することにした。
◇
ニンジャ君は森の中をスイスイと進んでいく。
手入れのされていない森を進むのが、こんなにきついとは……。
アナとクマさんは余裕そうだが、俺とシャロとマリアの3人は慣れない道に悪戦苦闘していた。
しばらく森の中を掻き分けながら歩いていると、少しずつ傾斜が上がってきた。
そういえば山を登るのはロックタートル以来か……。あの頃に比べて、かなり身体能力が上がっている。
前はこれだけ歩けばヘトヘトだったのに、今では少し息が切れるくらいで済んでいる。
不意にマリアが足を止めた。
「どうし――あっ、やべ」
マリアの異変に気付き、止めるために腕を掴もうとしたが、それよりも早く駆け出してしまった。
「追えー!」
「えっ、マリア殿はどうしたでござるか?」
「呪いの影響だ! 追うぞ!」
俺がそう言うと、全員がマリアを追って駆け出した。
途中まで馬車の中で待機させていたので、すっかり忘れていた。
マリアは魔物を見ると、呪いの影響で襲い掛かってしまう。
これまでの検証結果から、視界に魔物が入ると10秒間は呪いによって体が勝手に動いてしまうことがわかっている。
その10秒を過ぎれば問題はないが、今回のように突然走り出されると対処が難しい。
しかも今回は魔物の姿が見えない。
マリアは一体何に反応したんだ?
そんな俺の疑問もすぐに解消された。
森の中の一本の木に向かって、マリアが拳を叩き込んだ。
その行動に「?」が浮かんだが、ニンジャ君の一言ですべてが明らかになった。
「トレントでござる!」
トレント――確か冒険者ギルドの資料で見かけた魔物だ。
木と同じ姿をしており、獲物を待ち伏せして襲うのが特徴だったはずだ。
火に弱いそうだが、あいにく俺たちの中に火の魔法を使える者はいない。
ここは俺の魔法の出番だ。
いっちょカッコいいところを見せてやりますかな!!
「〈氷柱〉」
薄桃色の氷柱がトレントに殺到し、瞬く間にハリネズミのように串刺しにしてしまった。
アナさんの素早い行動には頭が下がるね……。
トレントに突き刺さった氷柱が砕け散ると、穴だらけになった無残な姿だけが残った。
今さらだが、ニンジャ君にこの周辺の魔物情報を聞いておくのを忘れていた。
これは完全に俺の落ち度だ。
事前にトレントがいるとわかっていれば対処のしようはあったはずだ。
とりあえず今日は、マリアが暴走しないよう対策を講じないといけない。
さすがに目隠しをして山を登らせるわけにはいかない。
……これしかないか。
◇
「マリア、ストップ!」
結局、マリアの対処法として手を握りながら山を登ることにした。
今もボーンモンキーという骨だけの猿の魔物が不意に現れ、襲い掛かろうとしているマリアを俺が止める形になっていた。
魔物を前にしても、10秒耐えればマリアは正気に戻る。
ち、力強! 手を引っ張るだけではマリアは止まりそうもない。
仕方ない……仕方ないんだ! 俺はマリアを抱き締めて止めることにした。うっひょー。
7、8、9、10。マリアは正気に戻った。
マリアが正気に戻ったので、即座に魔法を放った。
〈深淵の砲弾〉がボーンモンキーの体を抉り、消滅させた。
打ち漏らした個体をシャロがガードし、ニンジャ君が首を跳ねて狩っている。
アナとクマさんは腕を組み、後方で保護者面をしていた。手伝えや!
そんなことを繰り返していると、
王都の帰り道以来のレベルアップの瞬間が訪れた。
――――――――――
レベルアップしました。
——————————
無機質な声が頭に響く。
王都に行ってからもそれなりにレベルは上がっているのだがドレスラードに戻ってからは久しぶりだ。
そして――更に声が響く。
――――――――――
〈深淵の崩壊〉を獲得しました
――――――――――
うぎぎごががががああああ。
頭に強烈な痛みが走った。
この世界では、新たな魔法を覚える際になぜか痛みがある。
それでも普段は強い頭痛程度だが、今回の痛みは雫から授かった〈限界突破〉と同等の激しさだった。
頭を押さえて悶絶する俺を、マリアが優しく抱き留め——。
「〈回復魔法〉」
マリアの回復魔法のおかげで痛みが和らぎ、落ち付くことができた。
この痛みは回復魔法で緩和することができるのか……。
「ありがとう、マリア」
「いえいえ。他に痛いところはありますか〜?」
「いや大丈夫だ、先に進もう」
久しぶりに新しい魔法を覚えた。
〈深淵の崩壊〉か。
一応魔法を覚えた時に、どんな魔法なのかなんとなく理解するが、実際に試してみないと正確な威力がわからない。
俺の魔法の威力を考えると、山で試すより平地のほうが安全だろう。
ドレスラードに戻ってから要検証だな。
俺は皆に新たな魔法を得たことを伝えた。
シャロが「撃って撃ってー」と騒いでいるが、そんな簡単に撃てるものじゃない。
アナとマリアが上目遣いで「私たちも見たい」というので俺は仕方なく撃つことにした。
適当な方角に手を向け、呪文を唱える。
「〈深淵の崩壊〉」
音もなく展開される2つの魔法陣――漆黒は天に、深緑は地に。
漆黒と深緑、2つの魔法陣が回転し始める。
どちらの陣からも、禍々しい重圧と呻き声のような魔力が漏れ出す。
魔法陣の動きが止まった——次の瞬間、上空の魔法陣から落ちてきたのは、まるで奈落そのものを象ったかのような重力の奔流。
同時に、地面の魔法陣から茨が浮かび上がり、魔法陣内のすべてを絡め取る。
まるで深淵に引きずり込むように、漆黒の魔法陣から放たれる重力の奔流と衝撃が地に叩きつけられた。
地面が裂け、空間が軋み、対象は影も残さず呑み込まれていく。
それはただの破壊ではない。
崩壊の名に相応しい、“存在の否定”。
沈黙のあと、魔法陣は音もなく消え、
そこに残るのは——凹んだ大地と、冷たい余韻だけだった。
 




