281.忘れた頃にやってくる
あのあと、俺たちは「忍びの里に行こう」ということで意見が一致した。
アナもその存在は知らなかったらしく、かなり乗り気だった。
まあ、実際に行けるかは向こうの返答次第なんだけどな。
ニンジャ君いわく、里との交信手段はあるらしいが、返答の往復には3日かかるそうだ。
さすがに相手から断られたら、無理に行くつもりはない。
無理に押しかけて機嫌を損ね、米・醤油・味噌の供給が止まるほうがよっぽど問題だ。
そんなわけで俺は、ニンジャ君がいつ来るかわからないから家で待機している。
とはいえ、テレビがあるわけでもないし、やみけん共と庭の手入れをしたり、筋トレしたりして、時間を潰していた。
その間、シャロたち3人娘は俺を置いて、適当な依頼を受けて街の外へと出かけていた。
……疎外感。
仕方のないこととはいえ、ちょっと寂しい。
クマさんに留守番を頼むこともできるが、彼も買い出しなどで家を空けることが多い。
結果、必然的に暇な俺が、留守番を引き受ける羽目になっていた。
そんなある日――。
「ソラ。お前に客だ」
ニンジャ君が我が家に来てから2日後。
俺がリビングでのんびり留守番していると、買い出しから帰って来たクマさんにそう声をかけられた。
俺に客? となると、ニンジャ君くらいしか心当たりが無い。
たしか、ニンジャ君との約束まで、あと1日あるはずだ。
もしかしたら予定より早まったのかもしれない。
そう思いながら、玄関にいるその人物に会いに行った。
「ソラさんでよろしいですか?」
玄関に立っていたのは、見覚えのない男だった。
「そうですが……どちら様ですか?」
記憶を探っても、この男に見覚えはない。
マジで誰だ……もしかして、俺たちに依頼を持ってきた人か?
だとしたらマズい……これが、パーティとして初めての指定依頼ってやつになる。
そうなると、断るのは難しい。
となると、忍びの里にはこの依頼を終えてから行くか?
そんなことを考えていたとき――。
「自分はレピオス様の使いの者です。レピオス様より、薬が完成したので取りに来てほしいとの伝言を承っております。もしお時間がよろしければ、このままご案内いたしますが、いかがなさいますか?」
……レピオス? 誰だっけ……レピオス……レピオス……。
ヤバい、本気で記憶にない……ん? 待てよ。薬が完成した……? なんだか思い出せそうな気がする。
俺が頭を捻っていると、目の前の男が信じられないものを見るような目で言った。
「えっ……レピオス様をご存じないのですか? ドレスラード随一の薬師ですよ?」
薬師……つまり、薬を作る人のことだよな。
そんな凄い薬師に薬を頼んだ覚えなんて――。
その瞬間、脳内に電流が走った。
記憶の底から浮かび上がる、ひとつの光景――モザイクの掛かった黒光りするキノコに頬ずりするおじいさん。
うん、絵面は最悪だ。
あれだ……イキリマクリタケを納品した、あの薬師だ。
それをきっかけに、他の記憶も一気に蘇ってきた。
そうそう、たしか俺にも「イキリマクリタケから作った薬を渡す」って話だったはずだ。
……最近いろいろありすぎて、すっかり忘れてたわ。
シャーリー亭に伝言がなかったってことは、つい最近完成したんだろうな。
……そうか、ついに完成したのか。
あの、イキリマクリタケを原材料にして作られるという、例の薬。
効能は――かなり強力な精力剤、らしい。
俺自身、そんなモノを使う必要は……ない。ないんだが!でもまあ、「備えあれば患いなし」って言葉もあるしな。もしもの時のために、“そういうモノ”を準備しておくのもアリかもしれない……まあ、そういう経験が無いから正直よく分からないけど、必要になる日が来る……のかも?
使うことなんて、たぶん無い。でも――無いよりは、あるほうがいい。
そう思うことにした。
クマさんに留守番を頼み、俺は使いの人に連れられて出かけることにした。
◇
案内された先は、ドレスラードの城壁近くにある薬師ギルドだった。
この世界には冒険者ギルドのほかにも、いくつものギルドが存在する。ここドレスラードも例外ではなく、街のあちこちに複数のギルドが点在している。
規模が一番大きいのは冒険者ギルド、次いで商人ギルドだ。
そのほか鍛冶師ギルドなど、職人系のギルドも存在し、それぞれ街のあちこちに拠点を構えている。
たとえば冒険者ギルドは、街の入口からそう遠くない場所にあり、商人ギルドは街の中央、鍛冶師ギルドは職人の多い区域に建っている。
そして薬師ギルドは、街の城壁に近いところにあった。
その理由は、名前のとおり薬品を扱っているからだ。
実際、建物の窓からは紫色の煙がもくもくと立ちのぼり、どこからともなくかすかに悲鳴も聞こえてくる。
帰りたい……。
あの立ちのぼる紫の煙だけで、足がすくむには十分すぎるほどの説得力がある。
薬だけ、誰か持ってきてくれないかなー。
そんな俺の淡い願いは、あっさりと打ち砕かれる。
使いの男は、悪びれもせず当然のように言った。
「あの煙のことはお気になさらず。本当に危ないときは、皆そろって我先に外へ飛び出してきますから」
「……そうですか」
「ささ、お急ぎください。レピオス様がお待ちです」
「……はい」
観念した俺は、薬師ギルドの中へと足を踏み入れた。
うーん、なんというか……独特な匂いだ。
薬師ギルドの廊下を歩いていると、ドアの前を通るたびに匂いが変わる。
消毒液のような匂いがしたかと思えば、次は鼻にツンとくる刺激臭。その次は妙に甘かったり、逆に強烈に臭かったり……。長時間ここにいたら、鼻が壊れそうだ。
はやく帰りたい。
「やばっ! 退避ーっ!」
「ぎゃー!!」
「ほげぇぇぇぇぇっ!」
通り過ぎた部屋の中から、爆発音と共に悲鳴が上がった。
「お気になさらず。よくあることですので」
よくあってたまるか。
このまま逃げたほうが正解なんじゃないかと思う。
そう思いながらも、薬師ギルドの2階へと上がり、装飾の施された重厚な扉の前へと辿り着いた。
使いの男が扉をノックし、声をかける。
「レピオス様、ソラ殿をお連れいたしました」
一拍置いて。
「入れ」
その返答を聞いた使いの男は扉を開き、俺に中へ入るよう手で合図した。
「失礼します」
部屋の中は応接間のようになっていて、中央にはテーブルがひとつ。その両脇に向かい合う形でソファーが2脚、置かれている。
片方のソファーに座っていたのは、見覚えのあるあの老人――レピオス氏だった。
向かい側のソファーには、豪奢な服を纏った中年の男と、そのうしろに見覚えのある執事服のナイスミドル――セバスさんが静かに立っていた。
「なんでセバスさんが?」という疑問が浮かんだが、すぐにレピオス氏の声がそれを打ち消した。
「おお、来たか。約束の品はもう出来ておる、ここに座りなさい」
「あっ、はい」
レピオス氏はそう言い、自分の隣の空いた席を手でぽんぽんと叩いて示した。
使いの男は一礼し扉を閉めたので、俺は素直にその隣へ腰かける。
正面に目を向ける。
ひとりはどう見ても、アネモス家の執事セバスさんだ。
そんな人物が付き従う相手など、限られている。
庶民の衣服とは格が違う、絢爛な装いの中年男性。
顔立ちにもどこか“見覚え”がある。
これはもう……“確定”だろ。
「小僧。このお方は、ドレスラードを治めるアネモス家の当主――フィーロ様であらせられる」
ですよねー!




