241.夢の続き。
面の良い男は、いくら曇らせてもいいと法律で決まっているので仕方ない。
震える手に、はっきりと伝わる感触。
幾度となく魔物を斬った時と同じ――肉を断ち切る、あの生々しい感触。
刃を伝い、流れ落ちる赤い雫は静かに、地面を赤く染めあげていく。
なんで――なんで君は。
眼前の男の、黒く塗りつぶされた仮面が崩れていく。露わになったのは、いつもの――。
忘れるはずがない。君の顔だった。
視界が、まるで白黒写真のように、急速に色を失っていく。
「なんで……」
喉の奥から絞り出した声は、かすれて震えていた。
違う、違うんだ……僕は、“あの結末”を変えたくて……。
手にした剣が力を失い、地面に落ちた。
思わず、1歩、2歩と後ずさる。
空は口から血を吐き、膝を折り、そのまま前のめりに崩れ落ちようとした。
「空っ!!」
咄嗟に腕を伸ばし、その体を抱きとめる。しかし、震える手には力が入らない。歯を食いしばり、全身で必死に支える。
純白の鎧が、じわじわと赤黒く染まっていく。
「どうして、なんで、なんでこんな――」
――はっ! そうだ、ポーションを!
震える声で呪文を絞り出し、〈収納魔法〉から一番良いポーションを取り出す。
だが、その手に――空の手がそっと重ねられた。
「いい……だい、じょぶ……ゲホッ」
血を吐きつつも、空はかすかに微笑みながらそう言った。
「大丈夫なわけあるか!」
必死にポーションをふりかざそうとするが、空はその手を振り払う。
「すまん……このままで……いいんだ」
空の体から、少しずつ確実に、命の灯が消えていく。
そんな……嘘だ。どうして、こんなことに――。
空の行動が理解できない。
なんで? どうして? その問いだけが、何度も何度も頭の中を駆け巡る。
なんで……君は笑っているんだ。
嫌だ、僕を1人にしないでくれ。
もう一度君に会えたんだ。
二度と手離したくない。
握った手から、力がスッと抜け落ちていく。
まるで、糸の切れた人形のように――その体はゆっくりと崩れ落ちた。
腕の中で静かに眠る、親友は安らかな顔をしていた。
どうして――。
僕があの時、君に助けを求めたから?
わかっていた、何度だって見てきた。君を殺す夢の内容を。それなのに……なぜ、防げなかった?
僕は本当に空を助けたかったのか? どうしてあの時、剣を握っていたんだ。こんな物、最初から放り捨ててしまえばよかったのに。
夢ならどうか覚めてくれ。
そんな思いとは裏腹に、一向に目が覚めることはなかった。
これは、あの夢の続き。
覚めることのない悪夢。
終わりの物語。
あぁ――もう、全てがどうでもいい。
そうだ。空が言っていた、僕たち異世界の人間が死ぬと、『使徒』という存在になるって。
なら、もう迷う理由なんて無い。君のいない世界に未練なんてあるものか。
僕も、すぐにそっちへいくよ。
“空の血”で赤く濡れた剣を掴む。
その刃を、そっと喉元に当てた。
あとは、ただ――力を込めるだけ。それだけで、君のもとへ行ける。
剣を握る手に力を籠めた。
だがその時。
視界の端に、“何か”が映った。
見たこともない、微細な光の粒子たち。
それは一定の形を保ち、ゆっくりと僕と空の傍へと舞い降りてくる。
その“何か”のせいで、剣を握る力が緩む。
なんだ、これは。不思議な光だ。その光の粒子を見ても、僕の心は何も感じなかった。
そして――光の粒子が、そっと空の体を包み込んだ。
その光景を――ただ見守ることしかできなかった。
横たわる空の体に、”ある変化”が起こり始めた。
「傷が――治っていく?」
光の粒子が空の体を包み込んだその瞬間、奇跡のような光景が広がった。
胸当ての隙間から覗く傷が、ゆっくりと、確かに塞がっていく。
血の気を失っていた空の顔にも、かすかに温もりが戻り始めていた。
ガシャンと、剣が手から零れ落ちる。
これは……夢か?
僕は何もしていない。なのに……こんな、こんな奇跡が起きるなんて。
微かに空の呼吸音が聞こえ始めた。
その瞬間、全身の力が抜けるのを感じた。よかった……本当に。
一筋の涙が頬を伝う。
役割は終えたとばかりに、光の粒子が空の体の中にスっと入っていく。
傷は治った。
だけど、まだ顔色が悪い。
外傷が塞がったとはいえ、空は血を流し過ぎたんだ。
直接ポーションを飲ませた方がいいかな……。
⋯⋯仕方、ないか。
〈収納魔法〉から新しいポーションの小瓶を手に取り、口に含む。
意識のない唇に、顔を近づける。
こんな方法しかないとわかっていても、胸の奥にある躊躇いは消えてくれなかった。かすかに残る彼の息が、唇に触れる。
手でそっと顔を傾け、自分の唇を重ねる――。
息を吹き込むように、そっとポーションを流し込む。すると、空の喉がかすかに動いた。
……よかった、ちゃんと飲んでくれた。
離れた唇には、微かに血の味が残る。
この瞬間に抱いた想いは、きっと誰にも打ち明けない。
この一瞬だけは、誰にも渡せない。僕だけのものだ。
自分でもおかしいと思っている。
この思いが、一般的ではないと。
それでも。
僕は君のことが――。
ラストの口移しは、書くかどうかギリギリまで悩みました。「別にポーションの瓶を口に突っ込めばよくね?」という考えもあったので悩みました。本当に悩みましたよ? 悩んで、悩んだ結果。主人公は意識が無いので、せっかくなのでブチュッといってもらいました。しょうがないですよね? 意識の無い主人公が悪い。それに、命を救う為の救命目的のマウストゥーマウスですから、何もやましいことはありません。
そんなわけで次回から、主人公視点に戻ります。
いつものノリになるので、温度差で体調を崩さぬようお気をつけ下さい。




