133.『深淵の使徒・マザーフォレスト』
気付くとそこに居た。
直感で分かる。
コレは夢であると。
視界は靄が掛かかり、色褪せて見えた。
どうやら俺の身体は無い様で、視界だけがその場に浮いている感じだろうか。
俗にいう三人称視点という奴だ。
そして今、俺が見ている風景は。
懐かしい日本の一般家庭って感じの部屋だった。
この世界に来てからまだ数か月だが、何年振りかに見るような懐かしさがあった。
とはいえ、俺の実家とは違う。年代までは分からないな。恐らくアパートかマンションだろうか、とにかく別の家庭だろう。
何故なら明確な違いがある。
部屋は、ベビーグッズが溢れており。
何より、部屋の一角にベビーベッドが置かれていた。
⋯⋯視界は動くのだろうか。お、いけるな。
俺はベビーベッドに近寄り、中を覗き込む。
中には、ピンク色のベビー服を着た赤ん坊がスヤスヤ眠っていた。
まんまるな顔に、ムチッとした手足。まるでちぎりパンの様だ。
気持ちよさそうに眠っているな。
そう思いながら、赤ん坊を眺めていると、扉の開く音が聞こえた。
音の聞こえた方向に振り向くと、1人の女性が部屋に入って来た。
黒く艶のある長く美しい髪を携えた、顔立ちの整った人だった。
女性は部屋に入ると、駆け寄る様にベビーベッドへと近寄ると、スヤスヤ眠る赤ん坊を嬉しそうに眺めていた。
俺は改めて部屋を見回すと、この女性と夫であろう男性と共に映った写真が飾られており、それよりも多く赤ん坊の写真が飾られていた。
赤ん坊を抱く女性の顔は、写真からでも分かる位に幸せそうな笑顔だった。
幸せな家庭なんだろうな。
でも、なんでこんな夢を俺は見ているんだ?この女性は少なくとも俺の両親とは違う、全然面影がないし、似てもいない。赤の他人だ。
取り合えず、部屋の中をウロウロしてみるが、特にこれといった何かが有るわけでも無い様だ。
俺が部屋の中をウロウロしていると。
女性が何かを思い出したように立ち上がり、隣の部屋の扉へと向かった。
女性が扉に手を掛け、ドアノブを回し、扉を開けると。
俺の視界は光に包まれた。
覚えのあるその光景。
それは。
俺が異世界へと、飛ばされた光と同じだった。
◇
光が収まり、目に映る光景は。
先程の部屋とはまるで違う光景だった。
石造りの部屋に何十人もの人間が居り、全員が俺の居る方を見て拝んでいた。
背後に人の気配を感じ、後ろを振り返り、その光景を見る。
そこには。
先程の女性が1人、唖然とした表情で佇んでいた。
彼女は来てしまったのだ、たった1人で、愛する我が子を残し。
この異世界へと。
◇
そこからの彼女は、とても見られたものでは無かった。
長い髪を振り乱しながら、泣き叫び、何かを懇願する様に、周りの人間へと縋っていた。
その光景に周りの人間達は困惑している様子だったが、必死で彼女を落ち着かせようとしていた。
それでも彼女は取り乱し、暴れた。
そして、彼女の手が地面に触れると光り輝き、そこから勢いよく樹木が誕生した。
流石にその光景には彼女も驚き、自身の手と木を交互に見つめ、唖然としていた。
唖然とする彼女とは裏腹に、周りの人間はその光景を見て歓声を上げていた。
彼女は植物を操る能力を授かったのだろうか、それにしても周りの人間が歓喜している意味がその時はわからなかった。
急に視界の場面が変わり、何処かの外へと移った。
その光景を見て、周りの人間が歓喜していた理由を知る事となった。
目の前に広がるのは荒れ果てた荒野、草一本も生えていない不毛の大地だった。
そして、先ほどの女性が前に出るとしゃがみ込み、地面に触れる。
すると、不毛の大地がみるみるうちに緑が芽生え、瞬く間に様々な植物が群生する大地へと変わっていった。
すごいな⋯⋯。
素直にそう思えた。思えたが、同時にある考えが頭の中に浮かぶ。
俺はその考えを振り払う様に、頭を振り頭の中から追い出した。
そしてまた場面が変わった。
今度は、女性が玉座の様な椅子に座り、目の前の人間全てがかしずいている光景だった。
何かを彼女に報告している様だったが、声が聞こえない為何を言っているのかまではわからない。
分からないが、彼女は光の消えた瞳でソレを承諾するそぶりをみせた。
するとその場の全員が立ち上がり、歓声を上げた。
場面が変わる。
⋯⋯ひどい光景だ。
目の前に広がる光景は、一言で言うなら悲惨そのもの。
恐らく戦争をしているのだろう、人と人が殺し合い、草原の緑を赤い血の色で染め上げていた。
その光景を、女性は高台からジッと見つめていた。
そして、地面に手を触れると。
戦場に突如として大量の木の根が伸び、敵であろう軍勢を蹂躙していった。
そして湧き上がる歓声。声は聞こえないが、きっと割れんばかりの大歓声が沸き起こっていたのだろう。
彼女は今何を思っているのだろうか⋯⋯。
表情が一切変化しない彼女の心の内を、俺は理解することが出来ないのだろう。
また場面が変わった。
今度は街の中か。
凱旋パレードという奴だろうか。
街の通りを人が埋め尽くしており、そこを荷車に乗った彼女が進んでいる。
その進行方向に、突然小さい子供が飛び出してきた。
パレードは止まり、兵隊が子供を排除しようとするが。
女性がソレを手で制し。
自身が乗っている荷車から跳躍すると、子供の前に舞い降りた。
恐らく子供を助ける為にそうしたのだろう。
兵隊の制止を無視し、女性は子供に近づき、しゃがみ込む。
何かを話しているのだろう。⋯⋯え?
すると子供は、女性に抱き付く様に体を寄せた。
体を寄せた子供は、直ぐに女性からその身を離した。
離れた子供の手には、血に濡れた刃が握られていた。
子供は直ぐに兵隊に取り押さえられ、女性の近くには回復魔法の使い手であろう人物が駆け寄るが、地面から生えた木の根にその体を縛り付けられ、身動きを封じられた。
次々に周りの人間が、木の根でその行動を阻害されていく。
女性は口から血を吐き、その場で仰向けに倒れ込んだ。
そして⋯⋯、子供は女性に近づき、震える手に力を込め、女性の胸に刃を突き立てた。
女性は子供に微笑みかけ、その頬を触ると、力を無くした腕が地面へと滑り落ち。
息絶えた。
何故だか知らないが。
女性と子供の話し声の最後、その言葉だけは聞くことが出来た。
その意図が何を意味しているのか分からないが、ハッキリこう聞こえた。
「坊やは、私を殺してくれる?」
また場面が変わった。
今度は森の中だった。
木々が生い茂る深い森の中。
確かに彼女は死んだはずだ。
俺の目に映るその光景は。
死して尚も彼女をこの世界へと縛り付ける、呪いの様なモノなのだろうか。
俺の目に映るソレは。
『緑の魔物』
その姿だった。
夢の中の彼女を見て、薄々予感はあった。
その姿を見て納得したし、俺の心の中にスッとある事実が入って来た。
『色の魔物』と呼ばれる存在は。
異世界人の成れの果てなのだと。
それはつまり、いずれ訪れる未来の自分の末路だという事が。
ああ、そうか。
『緑の魔物』が赤ん坊に執着する理由が解った。分かってしまった。
彼女は死して尚も探しているのだ、別の世界に置いてきてしまった我が子を。
理不尽に引き離され、二度とその手に抱く事の出来ない、小さいその存在を。
その時、ある感情が俺の中に流れこんできた。
⋯⋯これは彼女の感情か?
理解する、たとえ他人の赤子をその手に抱こうと、それは別の母親の子であり、自分の愛する子では無いと。
それでも探し続けるしかない、母親が突然消えた部屋に1人取り残された我が子を。
きっと私の事を恨んでんでいるだろう、憎んでいるだろう、自分を置いて消えた薄情な母親だと、その存在すら消してしまいたいと思えるほどの母親だと。そう思われても仕方がない。
それでも、もう一度逢いたい。
やっとの思いで、ようやく授かれた愛しの子。
もう一度この手で抱き締め。一言、いや何度も謝りたい。
見届けたかった、その成長の日々を。
一緒に体験したかった様々な事を。
一体どんな顔で笑うのだろうか、どんな風に怒るのだろうか、喧嘩だってするだろう。
いずれは素敵な人と出会い、自分に紹介してくれるであろう日を夢見たりもした。
そんな日は、もう二度と訪れない。
訪れないのだ。
絶対に。
俺の中に色々な感情が流れこんで来る。
悲しみ、怒り、諦め、無気力。
その中でも一番強く感じた感情。
それは。
時間が経つにつれ、あの子との記憶が薄れていく自分自身への怒り、そしてこの世界への激しい憎悪。
あの子の事を忘れる事。何よりもそれが一番許せなかった。
幾ら崇め奉られようと、その思いは一層強くなり、濁る泥水の様に自分の心の奥底へと溜まっていった。
それが溜まりに溜まったある時、目の前に子供が現れた。
一目見ればわかる、先の戦争で滅ぼした国の子だろう。
その子から強い殺意と憎悪を感じた。
だからこそ、その願いを叶えようと思った。
そうだ、だから。
「坊やは、私を殺してくれる?」
この人生を終わらせようと思った。
ああ、良い子ね坊や。
子供に触れたのはいつぶりだろうか。
坊やはきっと惨たらしく殺されるだろう、それを良しとして、自分で死ぬことも出来ない臆病な私を許してほしい。
徐々に体が冷たくなる。
ああ、やっとあの子の元に行ける⋯⋯。
やっと。
やっと⋯⋯。
次に目に映るのは何も無い森林。
⋯⋯私は誰だろうか。
たしか名前は、⋯⋯⋯⋯名前とは?何も思い出せない。
思い出せないのに、何か忘れている事だけはわかる。
何かを探さなくてはいけない。
ソレが何なのかは分からない。
分からないが、探さなくてはいけない。
◇
それから色々な場所を回った。
自分が探しているモノが、アカチャンというモノなのだと分かった。
分かっただけで、どれも偽物ばかり。
時にはその偽物を奪おうとする醜い存在もいた、たとえ偽物でも奪われるわけにはいかない、持てる力の限りを使いそれに抗う。
奪われてなるものか、もう二度と、二度と⋯⋯。
抗い、探し続けるも、探し物を見つける事が出来ない。
そしてある日、1人の赤ん坊に出会った。
その赤ん坊は、他の子よりも大きく、泣きもしない大人しい子だった。
そしてその子は、あるモノをくれた。
名前は分からない、それでも、記憶の奥底にある特別なモノだと理解できた。
理由は分からないが、感情が溢れてくる。
ただただ、嬉しく、そして同時に悲しくもあった、本来は別の存在から受け取るべき物であったと。そう思えた。
しかし、不思議とその事を許せる自分がいた。
ああ、血の繋がりが無くとも、私の子であるのだと、そう思えた。
だからこそ守ろう。
側に居る事が出来ずとも、守る力を授けましょう。
『深淵の使徒』としての力を、我が子に。
ああ、私の愛しい坊や。
離れていても、貴方の側で見守っていますよ。
我が加護を
貴方に
どんな困難や脅威をも打ち砕くその力を
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『深淵の使徒』の加護を得ました。
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