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料理人を巡る攻防

「ドクター! ドクター・ユト!」


 女性の声が大学の回廊に響く。

 ルスランは足をとめ、後ろをふり返った。

 するとそこには、「帝国監査局」次官、ペトラ・ペペの姿があった。

 彼女は塵一つついていない眼鏡を光らせ、長い黒髪を左右に揺らしながら、つかつかと歩いてくる。

 ルスランは彼女へ朗らかに微笑んでみせた。


「これはこれは、ペペ次官。こんなところでお会いできるなんて嬉しいなあ」


 ピタリと足をとめたペトラは、自分の腰に手をあて目を細める。


「心にもないことを。むしろ今すぐ逃げ出したいのではないですか?」

「まさか。あなたとのお茶なら、いつでも大歓迎ですよ」


 ペトラはふんと鼻を鳴らした。


「私があなたに会いに来たのは、お茶をするためではありません。『港町の料理店購入』について伺うためです」


 朗々と言い放ったペトラに、ルスランは不敵な笑みを浮かべた。


「何か問題でもありましたか?」

「なぜ医師のあたなが、料理店を購入したのです?」


 ルスランは自嘲するように笑った。


「私は自分の金も自由に使えないのですか」

「いえ、それだけならもちろん問題はありません。ただ、それが食堂料理人の件と関係がある、となれば話は別です」


 ペトラはむんと胸を張る。


「あなた、あの料理人の給金の一部に、ご自身の研究費を充てているでしょう」

「ええ」

「なぜです?」

「研究の一環だからです。食の改善は、健康に直結するんですよ」


 ルスランは以前から病の予防に興味があった。いや興味なんてふんわりしたものではない。悲願といってもいいだろう。しかし現状、ルスラン自身が予防にまで手をまわす余裕はなかった。そしてルスランは、全くと言っていいほど、料理ができないのである。

 ならば、見込みのあるものを育てるまで。


「私も、食が医の基本とは聞いたことがあります。でもあんな田舎の料理人をどうしてわざわざ」


 怪訝そうな顔をするペトラを見て、ルスランはふふっと笑った。


「何がおかしいのです?」

「いや、失礼。ペペ次官はお優しいなと思って」


 言いながらルスランはゆっくりペトラとの距離をつめる。ペトラはルスランから距離を取るように後退ったが、すぐ後ろには壁があった。


「あなたは私が査問にかけられるかも、とこうして事前に言いにきてくださった。私を心配して下さったのでしょう?」

「なっ、そんなわけないでしょう」


 否定しながらも目をそらすペトラの顔を、ルスランが覗き込む。


「わざわざ来てくださったのはありがたいですが、心配して頂かなくても大丈夫です」


 自分の身は自分で守れますから、と言い残し、ルスランは呼びとめるペトラを残してその場から去った。


◆ ◆ ◆


 その日の仕事をすべて終えたココは、食糧庫からあるものを取って厨房にもどって来た。逸る胸を抑えつつ調理台に置いたそれは、藁に包まれた大豆である。


 先日、食糧庫で大量の大豆を発見したココは、その大豆を消費するため、図書館で借りてきた『異国の珍味』を開いた。

 そして作ったのがこれ。ナトゥである。極東にあるという伝説の島に伝わる珍味らしい。


「どんな感じかな」


 ココはナトゥを調理台に置いてそっと藁を開いてみた。すると、なんということでしょう。豆が糸を引いているではないか。

 しかもすごい匂い。


「作り方あってたかな……」


 見た目は珍妙極まりない。が、珍味とは得てして見た目が悪いもの。

 ココはナトゥを皿に移すと、塩を振りかけスプーンで混ぜて、一思いにいった。


(ナニ? コレ!)


 ココは目をパチクリさせ、残っているナトゥをかきこんだ。どうやら下手物が旨いというのは真であったようだ。


 とそこへ裏戸を叩く音がする。こんな遅くに誰か知らん、とココが裏戸を開けると。

 ヘラっと笑う白髪の男が立っていた。


「突撃! 食堂のばんごは――」

「本日の営業は終了しました」


 そう告げ、ココは扉を閉める。


「ちょ、ちょっと待ちなさい。せっかくやってきた俺に、何か食べさせてくれないのかい?」

「え、だって……。もう皿も鍋も全部洗ったんだもん」


 しばし沈黙がおりる。こういうのを絶句というのかもしれないが、彼は扉の向こうなので表情は分からない。帰ったのかな、と思った頃、扉の向こうから声がした。


「……わかった、洗うから。自分で皿も鍋も洗うから! 何か食べさせてください」


 語尾が心なしか涙声になっている気がした。

 さすがにココも、彼がなんだか可哀に思えてくる。

 仕方ない。食材費と残業代は別途請求することにしよう。


「簡単なものしかできませんよ」


 ココは扉を開けて、ルスランを中へ入れてやった。


 直後、ココは頭を再び仕事脳に切り替え、素早くメニューを考える。考えながら、体は食糧庫に向かっていた。


 鶏肉、じゃがいも、玉ねぎ、鶏卵、チーズ、バジルも少し籠に入れて厨房へ戻る。これで鶏肉の在庫がなくなってしまったが、明日ミランダが絞めてくれるはずなので大丈夫だろう。


 ココは食材を一口大に切りながら、ルスランにクッキングストーブ(備え付け薪コンロ)の火つけを頼んだ。

 ルスランは外から薪をとってくると、竈の中で空気が通りやすいようにそれを組む。乾いた木くずにマッチで火をつけ、組みあげた薪の隙間に滑り込ませた。火はゆっくりと薪に広がっていく。竈の前でしゃがみ込んでいたルスランは、じっとその火を見つめながら、呟くように言葉をこぼした。


「俺、監査局に目をつけられたみたいだ」


 ココは手を止め、ルスランの方へ目を向ける。


「監査局って……あなた何したんですか?」

「何もしてないよ。ただ、俺は異国出身だからね。何かと目を付けられやすいんだ」


 この国は交易で栄えた国であるので異国人は多い。かくいうココも半分は異国人の血が入っている。父は東の大国、煉国の元僧侶だった。ココの母に恋してこの国にやってきたのだが、父のように市井で暮らしていた分には異国人だろうと特段辛い目にあうことはない。

 ただし、それはあくまで庶民に限ったこと。

 高官や要職となると向けられる目は厳しいものとなる。ルスランは見たところまだ二十歳かそこいらだろうに、すでに帝国公認医師の資格を有している。ただでさえ、妬まれそうなところへ、さらにそれが異国人となると、ケチをつけてくる輩がいてもおかしくはないのだ。


「ところで君さあ、君の家で会うより前に、俺とどこかで会ったことある?」


 卵を攪拌しはじめていたココは、手を動かしながら記憶を辿った。

 家で会う前となると――。


「港町の商店街で見かけましたね。ちょうどあなたが、町娘たちに襲われてるところ」

「へえ、あそこにいたのか。そっか……」


 なんだか納得いかないような声を出すルスランである。でもそれまでに彼と会っているなんてことはあり得ない。こんな目立つ人を見かけたら、忘れるわけがないのだから。


 ココはあまり気に留めることなく、フライパンに手をかざした。そろそろよさそうである。

 フライパンにバターをひとかけら、塩をまぶした鶏肉とじゃがいも、玉ねぎを投入し、火が通ったら溶き卵を入れる。そこへチーズを削り入れ、卵が固まったら皿にひっくり返す。ケーキのように切り分けてバジルを振りかけたら具沢山オムレツ(トルティージャ)の完成だ。


 ルスランは本当にお腹が空いていたらしく、ものすごい勢いで具たくさんオムレツを頬張っていた。


 そしてルスランが宣言通り皿と鍋を洗っていた頃。大学の隣にある皇宮では、一人の少年が職を追われ、大学への移動辞令を申し渡されていたのだった。

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