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スイートスポット

 スーパーマーケットの、値下げコーナーでスイートスポットまみれのバナナを買った。ほとんど真っ黒で、よく売るなあ、といっそ感心する。それと同時、捨てられる寸前で、灯の消えそうなそれを見ているとなんだか今の自分の姿と重なってきてしまう。

 親の仕送りで生きている自分。丁寧な暮らし、なんて言いながら、日々無駄に時間をかけて怠惰に生きているだけの、偽物の『丁寧』を続ける自分。いけない、フラッシュバックしてしまいそうだ。

 かごの中に腐りかけのバナナを入れて、そのまま無人レジに向かう。誰とも会話せずに会計を終え、逃げ出すように店を出る。リュックサックの中から水筒と頓服を取り出して、急いで服用する。余計なことなんて考えるな。生活を送ることに集中しろ。自分に強く命令する。機械のように動け。丁寧な暮らしを行え、マシーンのように、人としての心を保つために。


 家について、買ってきたものをしまってから少し横になる。開けた窓から風が入ってくる。頬に髪が触れる。

 犬塚さんを思い出す。あの人は、今何をやっているのだろうか。あの人の喋りすぎる癖はメンタルクリニックに通っている意味と繋がりがありそうだな。目線も合わない。あの人には何があって、何を思って、何が歪んでしまったのだろう。目を閉じる。犬塚さんの姿を思い出そうとする。綺麗な人だったことと、黒い服だったこと、髪の毛が風に揺れていたこと。それしか思い出せなかった。



 起き上がって、台所へ向かう。腐りかけのバナナは今日中にどうにかしないとならないだろう。勢いで買ってきてしまったが、別に食べたかったわけでもなかった。少し考えて、ココア味のバナナケーキを焼くことにする。

 小麦粉、ベーキングパウダー、砂糖、純ココア、牛乳、オイルと材料を並べ、計量し、ボウルの中で剥いたバナナをフォークで荒く潰す。計量したものを順番に入れていき、シリコン製の焼き型に入れる。ある程度の高さからとん、とん、と型を落として空気を抜き、縦切りにしたバナナ一本を互い違いに飾るように乗せる。あらかじめ余熱しておいたオーブンの中にそっと入れて、タイマーをかけた。

 傷みかけのバナナをケーキにしてあげました。そんな文言でSNSにでも写真付きで掲載すれば、いくらかはいいねのマークが捺されたりするのだろうか。真実は腐りかけている食物に自身の惨めさを重ねて、そのフィルターで世界を見てしまっただけのことなのに。

 これが、私の持続可能な、精一杯の丁寧な暮らしか、と鼻で嗤う。オーブンの中のケーキはじわじわと焼けていき、ココアとバナナの甘ったるく少しだけ酸味のある香りが台所を支配する。そこに私の陰鬱な気配がぽつんと、陰のように黒く染みのような、汚れのような姿で突っ立っている。

 食器を洗おう。シンクの前に移動する。私が動くと、黒い染みの気配も動く。煙草の煙のようだ。残り香が、私の心を苦く、苦しくさせる。慌てて深く息を吸う。濡れたスポンジを握り、洗剤を付け、泡立てる。冷たい。冷静になれ。心が剥がれ落ちないように、真っ直ぐに立て。自分に念じる。お願いだから。大丈夫になれ。そう祈る。

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