10.相意
学会が行われるビルにあるフードコートにクィンとツェン、ソフィアとシルファが向かい合って座っている。
「シルファちゃん、託児所から出ちまったみたいで。届けようと思ってたんですよ。騒がせて失礼を致しました」
そう言った赤眼の男に金髪の女が言葉を返す。
「早とちりした私も悪かったわね。娘を保護してくれてありがとう」
「ありがとうございます!」
母娘の言葉にツェンが微笑みを返す。
「男として当然の義務を果たしたまでで」
その返答に苦い表情をしたソフィアにクィンが告げる。
「単刀直入に言おう。レーベルクは何処にいる」
コミュニケーションの欠片も感じられない言にツェンが横槍を入れる。
「クィンちゃん。そりゃぁないんじゃないの」
その言葉に190cm以上の巨漢に盛り上がっていくクィンの肉体を見て、ツェンがシルファに声をかける。
「お母さん、話があるみたいだからさ。遊びに行かないかい?」
「行くー」
「待ちなさい」
厳格な表情でソフィアがツェンを引き留め、言葉を続ける。
「シルファ。知らない人についていってはいけないと教えたでしょう」
「だって、もう知り合い」
その言葉を聞いて溜息を吐き、娘を諭そうとする女にクィンが言う。
「おい」
ドスを利かせた女の一声がその場にいる全員の注目を集める。
「お前は自分の子供を他人に対して溜息を吐くような人間に育てたいのか?」
「さすが心理学の権威ドクター・クィン。対応がまずかったのは認めるわ」
理性的に交わされる会話を聞き、周囲からの二人に対する評価を確固たるものにした。
「シルファ、お母さんの横にいて」
ツェンの顔を見上げた少女に、腰を落として赤眼の男が言う。
「悪いね。お母さん、寂しいってよ」
「また遊んでくれる?」
寂しそうな表情をしたシルファに対し頷くツェンに金髪の女から厳しい指摘が飛ぶ。
「貴方は誰なの? 娘を保護してくれたことには感謝するけど、親がいる以上その子を連れ回そうとするのは非常識だと思わない?」
「そいつぁ失礼致しました。私、ツェンという名前でドクター・クィンの助手をやらせていただいております」
クィンが意図した設定を汲み取った赤眼の男が、相応の口調で嘘の身分を説明した。
「その名前、ふざけて言ってるの?」
東国出身であろうと思われる黒髪と彼の地で畏怖されている赤眼を見た女が告げる。カラーコンタクトまでつけてどれほど人を馬鹿にする男なのかと、それがソフィアの逆鱗に触れた。
「こいつぁ本名でな。あんま女の子にイラつきたくないんだが」
「ガキみたいな男が人を女の子扱い? 笑わせないで」
東国の娼館で使われる隠語、『ツェン』は『愛しの君』を意味する言葉だと知っているソフィアが、自身と大して変わらない年齢と思われる二十歳程の男と言い合いを始めようとした。
「やめろ」
「やめて!!」
二人にとって大切な存在の言葉が各々を制止する。その先にあるはずの娘にかける声が出てこないソフィアを横目にクィンが告げる。
「ツェン。その娘を頼む」
「よろしいンで?」
ソフィアに目をやった赤眼の男にクィンが答える。
「お前が女と揉め事を起こすとまた世界が滅ぶ」
「そりゃ有難いご配慮ですが、このままじゃまた誘拐って言われそうでしてねぇ」
クィンが光らせた青い眼の内で上記の会話が行われた。
「ソフィア。隣接する大学の施設内をツェンに案内させる」
金髪の女に青い眼を光らせたクィンがそう言った。ソフィアに赤眼の男の記憶が流れ込んでくる。
眉間に皺を寄せたソフィアが告げる。
「貴方の奥さんがくれた名前を侮辱したのは謝罪します。ごめんなさい」
その言葉に赤眼の男が飄々と言葉を返す。
「ああ、いーッス。いーッス。分かっていただければ。呼びづらかったらシェンとかツォンとかでも構いませんから」
「シルファに何かしたらタダじゃおかないからね。ツェン」
赤眼の男に懐く娘を見て金髪の女が釘を刺す。
「ご安心を。俺ぁ女の子を傷つけられませんもので」
ソフィアにそう告げた赤眼の男がシルファの手を取って施設の外へ歩き始めた。