第八話 【感情】
パーティから帰ってきた夜。私は疲れ果て、お風呂から上がりすぐにベッドに入る。今日は色んなことがありすぎて、正直気持ちの整理が全くできない。
「寝よう」
疲れた時には寝るのが一番だ。私はきつく目を瞑ると、すぐに夢の世界へと誘われた。
起きると、そこには懐かしい景色があった。オレンジ色の煉瓦造りの建物に、赤い絨毯が真っ直ぐ引かれている。魔術学園、その中庭に面した廊下だ。なぜ、こんな場所にいるのか、私は自室で寝ていなかったか。周りを見ると鏡があったので覗きこむ。そこには、私の顔が映るが、少し若い。
「なんで?」
疑問を口にしたところで解決しないが、問わない訳にもいかない。しかし誰も回答はしてくれなかった。
「あぁ、メリ、こんな所にいたのか」
「クレイ様?」
声のした方を見ると、そこには、明るめの茶色の上着に、赤いネクタイ、灰色のベストを着ているクレイの姿があった。魔術学園、小等部六年の格好だ。
「お昼を食べようと思って、一緒にどうかな?」
クレイは笑顔で話しかけてくる。服装さながら、クレイ本人も若い。
そこでようやく、ここが夢の世界であることを理解した。今日クレイと会ったから、頭の中で過去の記憶が再生されているのだろう。
「ほら、おいで」
クレイは手招きをする。この頃は物にも人にも触れないようにしていたっけ。そんな事を軽く考えていたら、クレイがこちらに寄ってくる。
「メリ、どうしたんだい、ほら一緒においでよ、ね?」
クレイが私の手を掴む。即座にゾワッとして、私はその手を振りほどいた。触らないでと言う前に、パリンと隣にあった鏡が割れる甲高い音がして、私は飛び起きた。
起きて窓を見る。外はまだ暗く夜中であるのがわかる。手を見るとじっとりと嫌な汗が滲み、身体中も汗でベタつく。
「リアルな夢だった」
むしろ、夢でよかったと安堵した時、視界に服が入る。お風呂から出た時に寝巻きに着替えたのだが、その時は新品同様だったはず。しかし、今見ると、所々裂けている。
「……え?」
自分でも青ざめるのがわかる。それは、紛れもなく、破壊の力だ。
なんで今? 結界の力がなくなった? それとも意味をなさなくなったというのか。いや待てよ、服以外の被害は? 部屋は大丈夫なのか。
「メリ!」
バン! と乱暴に扉が開かれる。瞬間、こないで! と叫ぼうとしたのを、カルデラに止められた。
パーティから帰ってきた夜。疲れていたメリはティアラに任せ。私はマーベスと両親と共に食堂に座る。
「クレイ・チャールねぇ、確かに最近婚約してるよ」
「そんな人がなんでメリちゃんと話していたのかしらねぇ」
話題はもちろん、クレイのことだ。反応を見る限りでは、二人は元からの知り合いであるように思う。
「閉じこもる前の知り合いでしょう」
閉じこもる時には、全ての関係を絶っていたはずだ。
元来、魔術師は、神に愛さし者とされ、繁栄の象徴として大切に育てられる。しかし、その魔術師が、故意的に又は無意識に、罪のない一般人を傷つけた時、神に背いたと見なされ、陽の届かない暗い地下に幽閉される。その際、恋人や友人、家族までもが関係を絶たねばならない。それは、罪人がこれ以上罪を重ねないための処置であった。どんな者であれ近づけば傷つける、最悪殺してしまうかもしれないから。これで一番きついのは、恋人と離れ離れになることだろうと、言われていたのを思い出す。
「やっぱり、メリちゃんの婚約者かしらねぇ、もうとっくに破棄してるだろうけど」
母の言葉に、そうだろうなと思うと同時に、メリに婚約者がいたという事実を改めて叩きつけられ、何かもやったしたものを感じる。
カンボワーズ家は魔術師の家系だ。家が決めた婚約者はいるだろう。クロム家は、両親が政略結婚をあまり好かず、婚約者などいらないと豪語したため、私もマーベスも現在に至るまで婚約者などいた事はないが、これは稀である。王族でわざわざ政略結婚などする必要のない地位を確立しているからこその余裕だ。まぁ、その決定に両親は少々後悔しているようだが。
「えーっとつまり、メリさんに復縁を迫ったってこと? 自分にも婚約者がいるのに?」
マーベスは顔を顰めて言う。自分もまた顔を顰めた。
二人の話を全て聞いた訳ではない。むしろ、最後の方の会話だった。
「お言葉ですが、カルデラが手段を選ばないなんて、今更な話です」
メリにしては珍しく、とても冷たい声だった。私の話をしている彼女自体見たことはなく、不思議に感じていた。一体何をそんなに拒絶しているのだろうと。
「だったら、なんで!」
すぐに切羽詰まったような、男性の声がし、メリに手を伸ばす。私は炎魔法を発動しかけ、メリが転びそうなところを目視し、すぐに彼女を支えるため走り出した。すんでのところでなんとか抱きとめる。魔法を優先していたら、背中を打っていただろう、危ない危ない。
「大丈夫ですか? メリさん」
「カルデラ!」
メリは自分を見て、安堵したような表情をする。その体が微かに震えており、振動が手に伝わってくる。彼女ができるだけ安心できるよう、笑顔を作ると、目の前の男を見た。
クレイ・チャール。チャール家の次男で、一族の中でもずば抜けた雷魔法の使い手。頭もキレる男で、政財界のうら若きホープとさえ言われている。最近同じく政財界で活躍している、ルルムカラス家のご令嬢と婚約を発表したはずだ。ルルムカラス家は魔術師の家系ではないため、チャール家に入ることで、その地位を確固たるものにしようとしているのだろう。典型的な政略結婚である。そんな男がメリに何の用だ。
「私の婚約者に何用でしょうか」
「婚約者……? メリ、そいつと婚約しているのかい?」
質問しているのはこちらだが、どうもクレイは自分には興味がないらしい。メリだけを見つめている。そして、メリの体が一瞬強ばったのを感じ抱きしめる手に力を込める。
メリは何か言いたげにしていたが、こくりと力なく頷くだけだった。そんな彼女の反応に何を思ったのか、クレイはしばらくメリを見つめ、小さく頷くと。口元だけに笑顔を作る。
「なるほどね、失礼致しました」
完璧な一礼を見せ。自分の隣を通り過ぎる。その時雷魔法の気配を感じ、自分も瞬時に結界を貼る。互いが言葉も、視線も交わさず、魔法のみの牽制で終わる。メリはというと、まだ小刻みに震えており、恐らく魔法の牽制があったなど気付く余裕もなかっただろう。クレイが去ったの合図にへたりこんだ時は怪我をしたのではないかと焦ったものである。
つい先程のことを思い出しつつ、まだ、メリが震えていた感覚の残る手を見る。あの男はメリだけを見ていた。それがどうにも腹ただしい。
「……兄さんはさ、ここ四ヶ月で変わったよね」
「変わりましたか?」
「うん、僕ね兄さんにメリさんを紹介して心底良かったと思ってるよ!」
誇らしげに言われる。メリの情報を持ってきたのはマーベスだ。先輩から聞いたと言っていた。恐らくマーベスも半信半疑でメリのことを話していただろうし、仮に事実でも連れ出せるとは思ってなかったのだろう。それは姉君である、サリサ嬢に感謝しなくてはないならい、本来危険人物とされた魔術師の連れ出しは許されていない。しかし、メリは自分で傷つけたいわけではなかった。それをサリサ嬢はわかっていたのだろう。おすすめはできないが、彼女を救いたいとも考えていたはずだ。だからこそ、自分の申し入れに難色こそ示したが、拒絶は示さなかった。
「ほんと変わったよね、兄さんが女性にみとれるなんて、まず見られなかったしさー」
「あらあら、メリちゃんが可愛いものだから、みとれていたのね、私も見たかったわぁ」
「母様、茶化さないでください」
ふふふと母は上品に笑う。
確かに、ドレス姿のメリには衝撃を受けた。元々の愛らしい容姿が、際立つようにメイクされ、彼女の趣味に合わせた、シンプルながらも上品なドレスはとても似合っていたし、言葉を失ったのは事実だ。クロいム家は貴族のパーティに多く参加する。今回のような王主催のパーティに至っては、集まる者達が己の権力と財力を示すように、豪勢に着飾ることも多く、女性のドレスなんて見慣れていると思っていたが、柔らかく微笑む彼女に、なんと声をかけたら正解なのか、物凄く悩んだ。結局言葉は見つからなかったが。
「カルデラがちゃんと男で父さんは安心したよ、この魔法馬鹿を変えてくれたメリちゃんには感謝しないと」
軽快に笑う父に苦笑いを返す他ない。
メリは感謝されたところで困ると思う。確かに婚約はしているが、そこに恋愛感情はない。メリは自分のことを飼い主の扱いだし、自分はメリのことを、研究対象として見て、扱っている。あれだけ魔力が高いのだ、逃がすわけにはいかない。婚約は、彼女をこの家に縛るための鎖なのであって、好きだからというものではないのだが、それを言ったところで理解はできないだろうから、口を噤んだ。
「さて、夜も遅い今日は寝るとしよう」
「そうね、クレイくんのことは気がかりだけれど、今はどうしようもないわ」
両親に続き、マーベスが席を立ち。三階の自室へそれぞれ向かう。自分は彼らを見送ると、自室に入ろうと扉に手をかけ、その手を止めた。
パリンとガラスか、いや、鏡のような重たいものが割れる音が頭に響く。瞬間的にソレがメリに纏わせていた結界が壊れた音だと判断し、走り出した。メリに纏わせていた結界は強固なものだ、しかし、メリ本人の魔力に比べればそれは薄いガラスのようなものであるのは事実。破ろうと思えばいつでも破れはする。しかし、彼女は魔力の扱い方を知らない、つまりそれが示すのは魔力の暴走だ。
焦っているのでノックもせず、乱雑に部屋の扉を開ける。
「メリ!」
叫ぶように部屋に入ると、青ざめた彼女の姿がある。暴走した割には、部屋は綺麗で、まだ初段階であるのが見て取れた。どうやら、結界が壊れただけで、まだ周りへの被害はないようだ。結界を張り直すべく、早足でメリに近づこうとすると、その目に怯えた色が宿る。
「こな……」
叫ぼうとしたメリの口をキスで塞ぐ。
この行動は衝動的だった。頭で考えるより先に、体が動き、唇を重ねる。
「んっ……」
ベッドにメリが倒れ込み、苦しそうな吐息が漏れる。そのまま、舌を入れ込むと呆気なくするりと、口内に侵入できた。グチュと唾液が混ざり合う音が響き、しばらく舌を絡め合う。唇を離すと、メリは荒い息をしていた。熱の篭った瞳が自分を捕える。その顔に手を当てた。
「カルデラ……?」
彼女の言葉にハッと我に返る。今、自分は何をしようとした? 彼女を襲おうとしてなかったか? 自分でも予想だにしてなかった行動に、無言になる。しかし、冷静ではなかった。
まだ、ベッドに横たわっているメリを見る。そこに先程のような怯えた色は見られないが、戸惑っているのは理解出来た。
「メリ、お前は俺の婚約者だ」
「え、えぇ」
「前にも言った通り、この屋敷に来た時点でお前は、俺のものだ、誰かに渡すことはないし、地下への幽閉なんてものは許さない」
メリの左手に絡めた右手に力を込める。
「それは王であろうと、クレイとかいう男であっても同じことだ、わかっているな?」
「拒否権はないんでしょ」
少し不貞腐れたようなメリの態度に、自分は手を離し、起き上がる。メリも一緒に上半身を起こした。
「結界が壊れただけだ、張り直す」
少し裂けた服を見つつ、結界のための呪文を唱える。結界が再度張られたことを確認し、メリにおやすみと言うと、部屋を後にする。
そして足早に自室へ戻ると、椅子に腰掛け、あーっと大きく声を出す。
「何やってんですか私は」
メリに叫ばれた時、拒絶されたようで恐怖を感じた。こないでと言おうとしたのだろう、それは自分を傷つけるかもしれないから、咄嗟に出た言葉のはずだ。しかし、それを聞くのを恐れた。だからってアレはないだろ! と自分で自分に突っ込みを入れてしまう。
「……明日朝一番に謝りにいきますか」
何かやったら謝る。これが一番だ。
パタンと扉が閉められる。部屋に残された私は惚けていた。唇にはまだ、カルデラからされたキスの感覚が残り、心臓が物凄い速さで脈打っている。
「な、なんなのよいきなり」
今まで二人の間に恋愛感情なんてないと思っていた、いや、今もないのだが。その為私はカルデラを、あくまで飼い主として、そしてクロム家の変人長男としてしか見ていなかった。関わりとすればマーベスの方が多いし、話しやすいのでむしろマーベスはちゃんとマーベスとして認識している。
今日の今の今まで、カルデラに関してはどこか他人事であったのだ。それが急にキスをされ、舌まで入れられ、しかもなぜか敬語ではない彼を見て、初めて男として意識した。
「あいつ、あっちが素だったりするのかしら」
もしかして無理して敬語を使ってる? いやだとしたら、ご両親が気付くか。ならば、冷静でなかっただけ? 結界が壊れたとか言ってたし、焦っていたのかも。
考えても仕方ないので、二度寝しようとベッドに入る。布団を被ってみたが、寝れる気配はない。
「いや寝れるか!」
この状況で寝られる程、私は図太くなかった。
結局朝まで寝られず、明るくなってため息を吐きつつ、私は着替えるのだった。