第四話 【日常】
私がクロム家に来て早くも半月が経った。その間破壊が起こることはなく、私は人生で初めて普通の日常を送っている。
来た最初の一週間は健康診断に当てられた。結果は惨敗。カルデラ主導で行われたのだが、あまりにも悪い結果にカルデラを含めた、呼び出された若い医師までもが青ざめ、よく生きてますねと言われたほどである。まぁ、十年ろくに食べていないし、衛生環境に至っては劣悪と言っても過言ではなかった。私の痩せこけた全身を見て驚愕し言葉が出なかった彼らを見た時はおかしくて笑いそうだった。
そんな事があり、まずは健康状態を改善しようと、一日三食、栄養管理がしっかりとされた美味しい料理を食べ、適度な運動をし、部屋は常に綺麗に保たれ、ゆっくり湯船に浸かる時間も与えられた。そんな生活を続けていれば、病的なほど青白かった肌は赤みを取り戻し、体も少しだけふっくらとした。体重も増えた、と言ってもまだまだ痩せ型なのだけれど。
「メリさん、だいぶ健康状態いいんじゃない?」
「お陰様で、こんないい生活しているの初めてよ」
肩を竦めて言うと、マーベスは訝しげな顔をする。
「全く、まだうら若い女の子を十年も閉じ込めた上に放置だなんて、信じらんないね!」
「仕方ないわよ、近づけなかったんですもの」
怒気を含めた物言いに、宥めるように言葉を紡ぐ。怒ってくれるのは嬉しいが、むしろ現在がおかしいのだ、こうして普通に暮らしている、それがどれだけ特別な事か。目の前の男に言っても理解できないだろうけれど。
食後の紅茶休憩も終わり。軽い運動のため中庭に出る。すると、ぐるぐる歩き回っている男性が目に入った。
「カルデラ?」
彼を呼ぶと私の方へ顔を上げる。そして、人の良さそうな笑顔を浮かべこちらに来た。
「こんにちは、メリさん」
「こんにちは」
最初は部屋に迎えに来ていたカルデラだったが、最近は忙しいらしく、こうしてたまに屋敷内で見かけると挨拶を交わす。
「運動ですか?」
「えぇ、最近は長く歩けるようになったし、少しなら走れるのよ」
運動が始まった最初は、恐ろしく筋力が弱っており、歩けても数分だった。この屋敷に来た当初にカルデラがことある事に私の手を掴んでいたのは、私を支えるためだと知ったのは、運動が始まり階段すら一人では上がれないとわかった時だ。マーベスが背中を押してくれていたのも同じ理由だったらしい。強引に見えてちゃんと私のことを考えた行動だったようだ。
「ふむ順調なようですね、貴女の魔力を解明するにしても、体は重要ですからね」
こいつは相変わらず人を実験動物扱いである。早く実験を始めたいのでと言われそうだ。まぁ、その事に不満はない。むしろ丁重に扱われたら困ってしまう。このくらい雑な方が安心できた。
その後は体調が良いことをしばらく報告して、カルデラはその場を去ろうと私に背を向け歩き出したのを見送る。しかしカルデラは二、三歩進むとくるりとこちらを見た。
「そうだメリさん、三ヶ月後にリテア嬢の誕生日パーティがあるのは知っていますか?」
「誕生日パーティ?」
リテア嬢と言うと、リテア・アムレート様のことだろうか。彼女の誕生日ならば、この国が盛り上がるんだろうなとは思う。私には関係ないが。
「はい、リテア嬢のことは、知っているとは思いますが、彼女のパーティとなればそれはそれは盛大に行われます」
「でしょうね」
「そこに貴女を連れていこうかと思いまして」
……は? 今なんて言った? 私を連れてくって? この男は正気か。リテア様だぞ、この国の宝だぞ、国の姫のパーティに危険人物を連れて行く馬鹿がいるか、いや目の前にいるんだけど。
「それは流石に遠慮するわ」
「そう言わないでくださいよ、このパーティのために、両親は城に駆り出されているのです、貴女を紹介したいですし、外の世界を知る良い機会だと思いませんか?」
「私、貴方の婚約者ではないわよ」
まるで婚約者を連れて行くように言われ、顔を顰めたら、カルデラは試案顔になる。
そのまま数分、黙りこくっていると、頷いてそれはそれは良い笑顔を見せた。
「では、婚約者として貴女を連れて行きましょう、それなら文句はありませんね?」
「文句しかないわ! 冗談じゃないわよ!」
なんだその名案! と言わんばかりの顔は。何も名案じゃないし、人生の選択を誤るようなことを簡単にしようとするんじゃない。
「ダメですか?」
「むしろ何で良いと思ったの」
「だって私の婚約者であれば、パーティに参加しても違和感ありませんから」
そこまでして私を連れていきたいのかこの男は。今はなんでもないが、いつ破壊が始動するかわからない、そんな娘を連れ歩く時点で私には理解不能で、ましてや婚約者などと言ったらどうなるか……。
昔の記憶が蘇り、私は首を横に振った。人前に出るなんて冗談じゃない。
「まぁ、まだ時間はありますからゆっくり考えてください」
「どうやっても行かないわよ」
私の話なんて聞かず、ではと手を振り、今度こそその場から去る。一人残され、しばらく立ち尽くしていたが、嫌な記憶を振り払うように歩き出す。綺麗な中庭は、清々しく風が頬を撫でる。外がこんなに気持ちいいなんて知らなかった。
『外の世界を知る良い機会だと思いませんか?』
先程の彼の言葉が脳裏をよぎり、振り切るように首を振る。
「貴方は知らないのよ、私を連れて歩くことが、どんなに不名誉なことか」
外の世界は知りたいに決まってる。こうして外に出た以上、欲は出てしまうもので、知らないことを知る喜びや、綺麗なものをもっと見てみたいとは思うが、その考えが浮かぶ度に押し殺す。それは私には過ぎた願いなのだ。
「やっぱり、あの部屋に戻りたいわね」
知ることは楽しい、けれど、それと同じくらい苦しいものだ。人が見向きもしないような小さな花や、誰が見ても感嘆を漏らす程咲き誇る薔薇でも、私の前では散りゆくのだから。永遠なんて存在しない、安全は保証されない。
悶々としながら、運動を終わらせると。中庭にある椅子に座り、ぼーっと景色を眺める。気を抜くとカルデラの言葉が蘇り、なんとも言えない気持ちになる。
「メリさん、浮かない顔してるね、兄さんと何かあった?」
マーベスが、ニコニコしながら来る。いや、彼はいつも笑顔だけれど。しかしここでマーベスに会うのは運が良い、兄の事を一番知っているはずだ。私は先程の会話を話す。
「全く冗談じゃないわよ」
「なるほどなるほど、そう来たか」
怒る私とは反して、マーベスは納得したように頷いている。
「多分ね、それはリテアさんを遠ざけるためだよ」
「リテア様を?」
私の隣に腰掛けると、私を連れてくる数日前に、カルデラはリテア様との婚姻の話を断ったことを告られた。待てあいつそんな勿体ないことしたのか。
「あ、メリさんも勿体ないと思う? 僕もねそう言ったんだよ、そしたら兄さんったら、魔法が使えない人には興味がないってさ」
「興味がないって……」
「兄さん見た目かっこいいし、魔術の天才だから、リテアさんは気に入ってるみたいなんだよね、でも兄さんにとっては邪魔みたい」
邪魔とまで言いますか。一国の姫に対してなんと無礼な。
私とは違いすぎる世界に更に頭を抱えた、つまり、リテア様に諦めてもらうために、私に婚約者を演じろと。できるかそんなこと。
「仮に私が婚約者だと言ったら、リテア様怒られるでしょうね」
「あっははー! 怒るねー!」
怒られるで済めばいいけれど。相手は姫だ、いくらでも私のことは調べられるだろう。そうすれば人を傷つける魔術師だとわかるはずだ、そんな娘が、自分が気に入ってる男の傍にいるなんて気分が悪い所ではない、最悪死刑だ。
「いやでもそれはそれでいいのかも」
「メリさん?」
両親は私を怖がって家に寄り付かなくなった。そんな両親に変わり、姉様が今あの家を動かしている。私が死ねば両親は安心してあの家に帰れるし、姉様だって無理して女主人をやらなくていい。王の決定であればカルデラだって逆らえない。婚約者はやり過ぎなので無理だが、私が彼と一緒に行っただけで、調べる対象にはなるのではないだろうか。
「ねぇマーベス、私が仮にカルデラについていくなら、連れってことにはなるわよね?」
「そりゃそうさ、兄さんが女性を連れ立ったことなんてないから、目立つと思うよ」
「わかったわ」
私は決意を固める。
カルデラと共にリテア様の誕生日パーティへ行く。そしてリテア様の目に付くようにする。死刑まで行かずとも、閉じ込めるのは当たり前だ。私がこの世界の歴史から消えれればいい、王に捕まればもうほとんど死んだ扱いだろう、カンボワーズ家で幽閉されているより外へ出れる可能性は少ない。それは願ったり叶ったりなのだ。
月明かりが明るい夜。今日は満月のようだ。控えめにドアがノックされる音がして、どうぞと言うと、何か困ったような顔をしたマーベスが顔を出す。
「兄さん、今いい?」
「こんな時間に珍しいですね、どうかしましたか?」
「うん、あの、メリさんのことなんだけど」
メリのこと? 体調でも崩したのだろうか。それにしては焦りが見えないが。
「兄さん、リテアさんのパーティにメリさんを連れていこうとしてるでしょ?」
「メリさんから聞いたんですか?」
「うんそう、それでねきっと兄さんはリテアさんを遠ざけたいんだろうって説明したんだけど……」
段々と顔に影が落ちる。確かにマーベスの言う通りだ、自分としてはリテアとの婚姻の件は完全に破棄したい。まだ諦めてなさそうなあの女に、貴女とは絶対に結婚しませんと突きつける目的がある。メリの魔力は高い、今は魔力を弾く結界を常に纏わせているから外には漏れていないが、魔術師が見ればすぐにわかることだろう。それだけ強大な魔力が彼女の周りにはある。メリ本人は魔法が使えずとも、並の魔術師であれば手は出さないはずだ。王やリテアは感じ取れないだろうが、直属の魔術師や両親であれば感じ、何かあっても王を止めるはずだ。牽制には打って付けと言えよう。
「最初こそ、勿体ないみたいな反応だったんだけど、最後の方はね、なんか怖かったよ」
「怖かった? メリさんがですか?」
「うん、なんだろう、まるで死にに行こうとしてるみたいだった、ねぇ、メリさんを連れて行くの辞めた方がいいよ、彼女僕らが思ってるより嫌な事考えてると思う」
不安そうな顔をされる。どうやら、この半月で二人は仲良くなったようだ、マーベスからすれば、大切な友人を売りに行く感覚なのかもしれない。
死にに行くように見えた……それはどういうことだろうか。誕生日パーティでどうやって死ぬというのか。本当にその為に行くというなら、確かに連れて行くわけにはいかない、あの女へ牽制はしたいが、メリを失いたくはない。彼女は鍵だ、魔法は化学だと証明するための生き証人である。
「少し話してみる必要がありますね」
本心を語るとは限らない。それでも話さなければならないのだ。