第七話 【夢の裏】
忘却魔法が解除できず、一ヶ月が経とうとしていた。何度も弾くことを試みているが、全く効果はない。
「はぁー、一体どんだけの魔力を込めたんだよ」
魔力が薄れているのは感じていたが、それでも弾けないのだから、相当な魔力が使われている。父なら弾けるのかもしれないが、他者が弾くのは命の危険を伴うので、得策ではない。
そもそも術をかけた奴は誰なんだ、なんの目的で自分に術をかけたんだ? ふと、ヴァニイの言葉が蘇る。その状態じゃ守れるもんも守れなさそうだ、あいつはそう言った。それに、ディウムが、彼女を狙っているような言葉も言っていた。
「これも、記憶を無くす前なら、解読できたんだろうな」
自分は何をやらかしてディウムを怒らしているのか、恐らく彼女……メリ関連なのだろう。忘れているのだからそうに違いない。
「くっそ……」
思い出せないことが腹ただしい。自分が思い出せないことでメリを傷つけているのではないか? 悲しませているのではないか? その考えがさらに焦りを加速させる。
「元の関係にもよるだろうが、傷ついてないことはないよな」
ネックレスに手を当てる。覚えてない自分が、メリを見るだけで、こんなにも愛しく思うのだ、メリから見た自分は、どのように映るのだろう。
愛の絆。この花言葉を知っていて、選んでいるならば、使用人と主人の関係ではなかったはずだ。
「婚約者……だとしたら、相当辛いよな」
メリの右手の指輪を思い出す。そして、指輪に付いている宝石が、自分の魔力からできていることに、気付かない自分ではない。その魔力は、彼女を守るように包んでいた。実際守っているのだろう。自分がそういう風に作ったということである。それが意味することに、なんとも言えない罪悪感を覚える。
それは罪滅ぼしのつもりだった。メリを更に追い込むなんて思ってもみなかった。メリの休みが残り数日となり、言い様のない寂しさを覚え、彼女を一日独占できればなと考えた。
「メリさん、もうすぐ学園に戻るんですよね?」
「はい、カルデラ様も良くなりましたから」
「では、その前に街へ出かけませんか?」
「え……?」
驚きと戸惑いを含んだ顔をされる。嫌なのだろうか、そんな不安が、表情に出る。
「嫌……ですか?」
「い、いえ! そんなことはないです!」
すぐに、答えが返ってきたこと、それが、自分の望んだ答えであることに安心する。嫌がられていなかった、それだけで嬉しいのだ。
そして、デート当日。流石にローブで行くわけにもいかず、普段着でロビーにて待つと、いつもと違ってお洒落をしたメリが、階段から降りてきた。とてつもなく可愛い彼女を、街に連れて行くのは、はばかれたが、デートができない方が嫌なので、手を引き馬車に乗り込む。馬車では、メリに服装のことについて聞かれた。もしかして、記憶を無くす前に、デートをしたことはなかったのだろうか。自分は一体何をしていたんだ。
街につき、御者に夕刻までには帰ることを伝える。メリを見ると、どこか遠くを見ていた。それに、なんだかイラッとして、メリの手に自分の手を絡ませる。
「では、参りましょうかメリさん」
メリは、小さく頷くだけだったが、その顔は照れているのか、少し赤い。そんな様子が愛らしくて、足取りが軽くなる。
それは甘く痺れる夢のようだった。手からメリの温度が伝わり、らしくもなく少し緊張する。行く場所も決めておらず、ふらっとしようとだけ考えていたことを後悔した。こういうのはちゃんと考えておくべきだと反省する。どこに行こうか思案していると、メリから強く握られたのを感じ取る。メリを見ると、なんだか泣きそうな顔をしている気がする。何か不安なことがあるのだろか、もしかして街に来たことすらないのではないだろうか。メリを安心させようと、笑顔を返し、その手を握り返す。メリは目を見開くと、少し俯いて、言葉を紡ぐ。
「あ、あの、カルデラ様、どこに行かれるんですか?」
カルデラ様、という他人行儀な言い方に、少しだけ寂しさを覚えるが、主人と使用人だ、仕方ない。ここは変わらないだろう。
自分では行き先を全く決めてなかったので、メリに気になる店はないかと聞く。彼女は、何故か深呼吸すると、周りを見た。どんな店を選ぶのかとワクワクしていると、一つのカフェを指さす。
「あそこなんてどうでしょう?」
ピンクの外観が可愛く、女の子趣味なそのカフェは、中も結構なものであった。とりあえず、男一人であれば入りにくいことこの上ない。ただ、それをメリが選んだと思うと、女性らしいなと思う。実際、人形のような可愛らしさを持つメリが、この店にいるのには違和感がなかった。
「何食べますか?」
「えーっと……」
メリは、壁に貼ってあったメニュー表をまじまじと見る。
目線を追うと、ストロベリーパフェとチョコレートケーキを行ったり来たりしていた。この二つで悩んでいるのか。
「じゃあ、すとろべりーぱふぇで」
緊張しているのか、その言葉は拙い。恐る恐る、右手人差し指で、パフェを指すその動作は、どこまでも可愛い。
「わかりました、紅茶も一緒に頼みましょうか、メリさん、席取りお願いできますか?」
「かしこまりました」
一緒に並んで待つことも考えたが、女性を長時間立たせるわけにもいかず、席取をメリに頼む。メリは、足早に店を出ると、真っ直ぐにテラス席へと向かった。気になっていたようだ。その様子に、少々子供みたいだと思う。
自分に、彼女との記憶があったらなと思わなくはない。愛しい者を忘れているのだ、焦るし苛立ちもする。ただ、そのせいで距離が遠のくのは本望ではない、忘れているからこそ、その距離は近くでありたい。思い出した時に後悔しないよう、その手を離さないために、逃がさないために。
自分は、メリが迷っていたチョコレートケーキを頼み、料理が乗せられたトレイを持って、メリが待つテラス席へと向かう。すると、メリは男性に話しかられており、その顔は睨むようだった。すぐに、男性とメリの間に入る。メリに話しかけるとはいい度胸だ。
「私の連れに、何か御用でしょうか」
威嚇するように言葉を紡ぐ。自分の様子に怖がった男性は、逃げるようにその場を後にした。やれやれ、メリを一人にするのは危ない。
「あの、ありがとうございます、すみません」
「いえ、メリさんが謝ることではありませんよ、謝るのはむしろ私です、可愛い女性を一人にするのは危ないですね、もう離れませんから安心してください」
謝るられたので、安心させるよう、諭すように言う。そして、料理を席に置く。
メリを見ると、不思議そうにチョコレートケーキを見ていた。自分とチョコレートケーキが合致しないのだろう。普段チョコレート自体は食べるが、確かにケーキは食べない。あくまでも、疲労回復効果を見込んで食べるので小粒ので充分だ。今日は、メリが迷っていたからという理由で頼んでいる。
フォークでケーキを一口大の大きさに斬る。そして、乗せ、差し出す。
「メリさん、どうぞ」
自分の言葉に、メリは目を丸くして、顔を赤くする。想像通りの反応で、つい顔が緩む。彼女は正直だ、言葉にこそしないが、顔には感情がよく出る。困惑する様子をただ眺めていると、その口を開き、チョコレートケーキを食べる。恐る恐る口に運ぶその仕草は、一緒に来て良かったなと思わせるには充分だった。
「美味しいですか?」
「は、はい」
口に手を当て、何かを必死に押さえ込もうとしている。それがなんなのか、自分にはわからない。愛の絆、それが表す意味。メリがまだ、自分の事を愛してくれているならば、忘れていようと、近くにいたいと思ってくれるならば。
これ以上なく嬉しいんだろうなと思う。それと同時に、早く思い出さなければとも。このままではいられない、ディウムがメリを狙っている。それ即ち、メリに命の危険が迫っているということだ。あいつに渡すわけにはいかない、記憶を無くす前であれば、ディウムがメリを狙う理由も、何もかもわかっていたはずだ。あのイカレ野郎の性格上、そんな長い時間は待たないだろう、自分の獲物を長く放置する奴ではない。
じっとその顔を見る。自分が守らなければならないのだ、マーベスは、互いに大事にするから、傷付けているんだと言っていた。それは、あいつから見た正直な評価なのだろう。ディウムが関わっているなら、自分がメリを遠ざけるのは当たり前だ。自分自身あの男に勝てる保証はないのだから。油断して、掠め取られれば、取り返すのは難しい。それだけ、魔力も何もかもが強いのだ。そういう男である。
「ど、どうぞ、カルデラ様」
メリの声に我に返る。目の前に、生クリームを乗せたスプーンが差し出されている。
自分の真似をしたのか、それとも、お返しなのか。とにかく今はこの幸せを噛み締めることにしようと、差し出されたそれを食べた。
その後は、メリが気になった店に入って行った。小物やアクセリー雑貨などが多く、さすが女の子だなと思う。道中、入った店で店主がメリと自分を交互に見る。
「よー嬢さん、喜んでもらえたみたいだな!」
「は、はい、その節はお世話になりました」
メリは店主にぺこりと頭を下げる。
「兄さんも、喜んでもらえたようで良かったぜ、いやー、良い商売をしたもんだ!」
その視線には、ネックレスがあることに気付く。なるほど、メリはこの店で買ったのか。
「はい、ありがとうございます、大事にしてますよ」
ネックレスに手を当て、店主に笑いかけると、うんうんと頷き、幸せにな! と祝辞を述べる。どうやらカップルだと思われているらしい。メリはまた一礼して、店を後にする。
「これ、先程の店で選んだんですね」
「は、はい、店主の方に、花言葉を教えて頂きまして、く……」
メリは、言葉を続けようとして、あっという顔をする。そして、首を振ると、にこりと力なく笑った。
「ティアラと一緒に選んだんです」
「そうでしたか、ありがとうございます」
続く言葉は気になったが、自分のために選んでくれた確証は得た。そしてメリが花言葉を知っていることも。
帰りに母から頼まれた紅茶をエルミニル紅茶館に取りに行く、夫妻は城に行っていると不在だった。あの夫妻が今更城になんの用だ? と疑問になったが、どうせ騎士団関係だなと考える。メリはなぜか、安堵するような表情をしていた。
こうして、デートは幕を下ろした。明日からメリは学園に行く。寂しくなるなと窓から見える満月を眺めた。




