第二話 【神に溺愛され人に見放された者】
カルデラ・クロム、二十九歳。クロム家の長男で、無属性の魔術師である。
この世のあらゆる魔術を使いこなせる無属性。その中でもクロム家は、魔力が高い事で有名であり、自分カルデラもまた例に漏れず魔力が高い。元々一般人よりも、できる事が多い魔術師の地位が高くなるのは必然で、クロム家もまた地位は高い。高いと言うか、王族である。
無属性は各方面から重宝されてきた、それは王も同じであり、クロム家はその魔力の高さから、王に代々仕えてきた。そのため、王家の血も薄くだが入っている。しかし自分はそれが煩わしいと感じていた。
「兄さんは勿体ないよね」
「何がでしょう?」
魔術書を読んでいると、ふいに弟、マーベスが話しかけてくる。マーベスは、真顔でじっと私を見つめていたが、諦めたようにため息を吐いた。
「本当にマギア王のお願い断るの?」
マギア・アムレート、この国アムレートの王。王と言っても一見するとただのおっさんである。見た目にも口調にも威厳は感じ取れず、他国から舐められることも多いが、その腕は確かであり、魔術師ではないのに、王の座に座っている。
そんな王から、先日打診があった。それは王の一人娘である、リテア・アムレートとの婚姻の打診である。
「えぇ、断りますよ」
「なんでさ」
マーベスは心底わからないという顔をしている。まぁ、言わんとすることはわかる。リテアと結婚すれば将来は保証される。普通なら断らないのだろうが、自分はあの女に対しての興味はない。
「魔法の使えない者など興味はありませんよ」
「これだから変人って言われるんだよ、兄さんは」
再びため息を漏らすマーベスをチラリと見遣り、魔術書に視線を戻す。
自分にとって、魔法以外のものは邪魔でしかなかった。物心着いた時から、自分が扱う魔法に魅入っていた。神が与えた奇跡と呼ばれているが、それは確かに自分の意思で、自分の力で起こせる現象。それは奇跡なんて代物ではない、魔法は化学だ、魔力というエネルギーを原料に術として人の目に映る。つまり、エネルギーさえ解明出来れば原理も何もかもを理解できる。そう考え、魔法にのめり込んでいった。魔法が解明できるならなんでもやった、非道と言われようと邪道と罵られようと、構わなかった。自分の全ては魔法なのだから。そんな自分を変人と呼び、畏怖する者がいる、いるというより殆どだ。弟のマーベスは魔法より、対人関係を優先するため、それとも比べられ、腫れ物扱いだ。正直、リテアが婚姻を申し込もうとした理由がわからない。ま、興味もないが。
婚姻を断り、魔法の研究をしている日々の中、一つの情報がもたらされた。
「ねぇ兄さん、メリ・カンボワーズって知ってる?」
「カンボワーズ? 炎魔法の名家ですね」
マーベスが珍しくウキウキと話しかけてきた。カンボワーズ家、炎魔法の扱いが長けた魔術師の家系であり、現在はサリサ・カンボワーズが女主人として君臨している。関わりはないが、気にしていた家系ではあった。あそこの魔力の高さは評価に値する。
「そうそう、そのカンボワーズなんだけど、今サリサさんが実権を握ってるじゃない、彼女にはね、妹がいるらしいんだよ」
「それがメリ・カンボーズさんですか?」
頷かれ、それでねと食い気味に話が続けられる。こんなに興奮しているとは珍しいこともあるものだなぁと、話半分に聞こうとしていたが、次の言葉に顔を上げざるおえなかった。
「僕も確かなことはわからないんだけど、十年くらい前から姿を見せないらしいんだよね、なんでも魔術を使わずに、人を傷つけたり、物を壊したりするんだってさ」
「魔術を使わずに? つまり、魔力そのものを放出していると?」
魔力はエネルギー。魔術師は魔力を魔法に変え、術とする。そうしないと発動時に体がもたないからだ。
しかし、マーベスの話を信じるなら、彼女は魔法に変えず、術にもせず、エネルギーそのものを扱っていることとなる。いや、扱っているのではない、体から常にエネルギーが漏れ出しているというのだろうか。そんな事ありえるのか? 試案顔になる私を見て、マーベスは満足気に笑う。
「やっぱり気になるよね、触っただけで物が壊れるらしいんだよ、兄さんなら絶対連れ出したいと思うだろ」
「当たり前です、魔力が常に盛れ出しているならばそれだけ魔力が高いということ、研究題材として興味深い」
魔術書なんて読んでいる場合ではない。彼女がいれば、どれだけの研究が進むだろうか、考えただけで楽しくなる。
「メリさんの話はね、魔術学園の先輩から聞いたんだよ、人を傷つけたから閉じ込められてるんだろって、結構可愛い見た目してるらしいから僕も興味あるんだ、とりあえずカンボワーズ家に連絡取ってみる?」
「お願いできますか?」
了解! と元気に返事したのを合図に、自分はまた魔術書に視線を戻した。
マーベスがアポをとった日。馬車に乗りカンボワーズ家に降り立つ。門の前に行くとすぐに、女主人である、サリサ嬢が顔を出した。固まった血のような、暗い赤色の髪が印象的な女性だ。
「カルデラ・クロム様ようこそいらっしゃいました」
丁寧な所作でお辞儀するサリサに軽く挨拶を返す。今、彼女に用はない。
「妹に会いたいとのことでしたが、その……」
「何か問題があるのですか?」
言い淀む彼女をじっと見る。何を言うのかはわかりきっていた。
「おすすめはできません、自殺しに行くようなものです」
「えぇ概要はわかっていますよ、触ったものを壊したり、傷つけたりするんですよね?」
こくりとゆっくり頷かれた。どうやらマーベスが持ってきた話は事実のようだ。だったら用があるのは彼女の妹、メリ・カンボワーズである。
私は再度、彼女に会わせてくれと頼み、渋々だが了承してくれた。ついでに、連れ出す許可も貰えた。サリサ嬢からしてみれば、邪魔なものを排除できるとでも考えたのだろう。人を傷つける魔術師程邪魔なものはない。自分でもそれを理解しているので公で人を傷つけることはしない、あくまで公ではだが。
サリサ嬢から呼ばれた男性の使用人が案内してくれたのは、屋敷の地下だった。薄暗い道を進むと、重苦しい鉄製の扉が見える。どうやら魔力を弾く結界が張られているようだ。
「メリ様がいらっしゃるのはこの部屋です」
扉には出窓が一つあり、開閉できるようになっている。恐らく食事を渡すためのものだろう。なんだか、気分が悪くなる思いになる。女性がこの部屋に閉じ込められている。外を見ることなく、十年もだ。さて、正気でいてくれるだろうか。
扉を開けると見た目通り重苦しい音がする。中を見ると、何も無かった。いや、壊れた何かが、散乱しており、中央にはぼーっとこちらを見る女性の姿がある。マーベスが、可愛い見た目と言っていたが、確かに可愛らしい容姿をしている。あまり食事をしていないのか、痩せてはいたが、腰より下まである綺麗なエメラルドグリーンの髪に、大きめの真っ黒い瞳には光こそないが、愛嬌が見え隠れする。
「やぁ、貴女がメリさんですね?」
なるべく警戒されないように笑顔で手を差し出すと、自分の期待とは裏腹に凄い勢いで距離を取られた。瞬間、魔力の気配を感じ、半信半疑だった考察が事実であると確信する。魔力が高すぎる故に常に体の外に出しているのだ。仮に体の中にため込めばその体はバラバラになるだろう、だから外に逃がしている。本当にそこまで高い魔力を保持している人間がいるとは。感動と嬉しさで今すぐにでも連れて帰りたい衝動を抑え込む。警戒されているし、拒絶されているのだ、これ以上警戒されるわけにはいかない。
ぐるりと改めて部屋を見渡す。瓦礫しかない部屋は、女性が十年もいたとは思えない程荒れている。この様子では、触らずとも物を壊してしまっているのだろう。もしや常に魔力量が増えているのか、いやしかしそんな話聞いたことがない。それとも、今までコントロールできていた部分が、閉じ込められた影響でコントロール不可能になっているのか、どちらにしても稀有なのに変わりはない。とにかく今は彼女からの警戒を解こう。
「ではまず、自己紹介を致しましょう。私はカルデラ・クロム、クロム家の長男です」
叩き込まれた礼儀作法を駆使し、敵ではないと示す。しかし、彼女の眉間にはシワが寄っていた。
いや、クロム家の長男が来たと言えばそうなるか。変人としての自分か、そもそもクロム家だからか、訝しげにされるのには慣れている。ただ、できれば後者であってほしいと願っている自分がいた。それが、言葉にも現れる。
「その様子ですと、クロム家のことはご存知のようですね」
なるべく優しく言ったつもりだったが、彼女の笑顔は引きつっている。そして、言葉を発しない。何か失敗しただろうかと、心配になった時、背後からパリンとガラスが割れる音がした。同時に彼女の顔が青ざめる。そして、見た目からは想像つかない大声を出された。
「出て行って! そしてその扉を閉めて!」
正直驚いた。想像よりは、正気を保っているなと思っていたが、その切羽詰まる叫びは、自分の力と他者の評価に対する恐怖が感じられる。その言葉だけで、どんな生活をしてきたのかが伺える。
ここまで案内してきた男使用人の方を向くと、酷く怯えた顔をして、コクコクと頷いている。やれやれ、男が怯えてどうする。
「仕方ありませんね」
扉には魔力を弾く結界がある。閉めれば少なくとも外には漏れださないだろう。自分自身にも、同じ結界を纏わせているので、扉を閉めても問題はない。扉が閉まると、安堵したような息遣いが聞こえる。余程緊張していたのだろう、扉一つでここまで安心できるとは。
「大丈夫ですか?」
「えぇ、だいじょ……は?」
にこりと笑った彼女だったが、自分を見てすぐにその笑顔は消えた。うーん、警戒が解けない。
「扉は閉めましたよ、大丈夫です」
「いや、なんであんたがいるのよ」
即答で返されてしまう。なんでと言われても、自分の目的は貴女なのだから、ここで出ていくわけがない。というより、こんな、良い研究素体をみすみす見逃すわけがない。連れて帰るまで諦めはしない。
私の答えに、彼女は、わからないと言った顔をし、不思議そうに死にたいのかと問うてきた。死にたいわけあるかと言いたいが、サリサが言った言葉が脳裏を過る。自殺しに行くようなもの、きっと彼女も同じ事を考えているのだろう。これは、私が怪我をしないということを見せないと信頼されなさそうだ。
「じゃあ、出ていきなさいよ」
「えぇ、出ていきますよ、メリさん、貴女と一緒にね」
喋るのと同時に彼女の腕を強引に引っ張る、そして腕の中に抱きとめた。ここまで近付けば流石にわかるだろう。しかし、彼女は諦めが悪いらしく、離れようとする。離すわけにはいかず、その手に力を込めた。
「ちょっと、離して」
「嫌ですよ、離したら逃げるでしょう?」
可愛らしい顔が目の前にあり、少し緊張はするが、連れ出すなら今だ。強引にでもこの部屋から出してやる。
しばらく見つめ合っていると、あれ? といった顔をする。気づいたようだ。
「やっと気付きました? 私は怪我などしませんから御安心ください」
「な……んで……?」
戸惑っているのだろう。少し考えれば、この部屋同じく魔力を弾く結界を張っているのだと気付くだろうか、その余裕すらないようだ。
ならば、優しく、諭すように話しかければいい。不安など感じなくなるくらい。
「貴女の力は破壊ではありません、ただ魔力が強過ぎるのです、体が耐えるために外に魔力を逃がそうとしているだけなのですよ」
抱きしめる力を強めながら、まるで赤子をあやすように、少しでも私の言葉が届けば気を許してくれるはずだ。
「魔力はいわばエネルギーです、魔法を扱うためのね、しかし多量は毒となる、使用者にも周りにも、今の貴女はそんな状態です」
そして、毒は解毒すればいい。この場合は魔力を弾く結界を常に彼女に纏わせていれば、問題ない。あとは徐々にコントロールする練習をすればいいのだ。
こちらの言葉をどう受け取ったのかはわからないが、力なくしがみついていた彼女の手に力が篭もる。それを合図に抱き上げた。
「ちょ、ちょっと!」
「では行きましょうか、私の腕の中にいれば周りの物を破壊することはありませんよ」
まだ、しっかりとは気を許してもらえてはいないだろう。それでいい、これからゆっくり時間をかけて信頼を得ればいいのだ。
とにかく、実験素体を確保することに成功した。