第十話 【力】
パーティから数日が経ち。私は王の動きがないことに拍子抜けしている。まぁ、何事もないのは良い事なんだけど。
「メリさん、準備はいいですか?」
「はい」
クロム家の地下室。今日から魔力をコントロールするために、実験を行うことになっていた。普段カルデラの魔法によって守られている私は、この地下室でのみ、結界が解かれる。前になぜか結界が壊れた時には怖かったが、これが意図的ならばそこまで怖くはない。
一呼吸置きカルデラを見る。カルデラは、室内の外におり、ガラスで中が見えるため意思疎通しつつ、怪我をしない場所にいる。私の視線に頷き、指をパチンと鳴らす。直後、周りにあった物が壊れた。座るように用意されていた椅子に私は座ってなかったが、その椅子も粉々に砕ける。私からすれば想像通りなのだが、これを初めて見たカルデラは、目を見開く。
「想像以上ですね」
「このくらいならいつもの事よ」
肩を竦める私に、顔を顰めるカルデラ。
「感覚としてはどんな感じですか?」
「感覚?」
「気持ちの面といいますか、魔力を扱ってる感覚はありますか?」
私は首を傾げ、しばらく考え、首を横に振った。
私はいたって普通だ。何も考えていない。ただ立っている。疲れもないし、コントロールしてやる! と必死で力んでも無意味である。それくらいでコントロールできているなら、最初からできてる。
「……魔法は感情に左右されると言います、冷静な状態で扱えば威力も効果も本来のものですが、例えば怒りに身を任せて使ったりすると、本来では出ない威力が出たり、歪んだ効果になったりするのです」
カルデラは目を伏た。その瞳には誰が映っているのだろう。 怒りに身を任せて使う……それがカリナを指しているのだろうと考えるにたやすかった。
カルデラの親友の婚約者であり、現在妻となっている、カリナは、カルデラに想いを寄せていたが、カルデラにはあくまでも親友の婚約者でしかなかった。この男は興味がないと思えば、本当に興味がない。それがいくら美人でも、王の娘であっても。それを言って、認めて諦めるならまだしも、どうもカルデラが好かれる女性は諦めが悪いらしい。プライドを傷つけられ、逆上したカリナは、カルデラに魔法を放つが、カウンターにより返り討ちとなる。その際本来のカリナよりも力が出ていた光魔法は、彼女に大怪我を負わせるまでであり、顔に傷が残り、以来彼女の夫であり、カルデラの親友、ミラフとも仲違いしたままであった。彼の敬語や魔法への異常なまでの執着はこの事件から始まったらしい、全ては親友のために。彼女の傷を癒そうと。
「私の力が破壊なのも、感情によるものなのかな」
私も目を瞑る。
私の感情。私の心。何も感じていないように見えて、実は奥底で何かを感じているのかもしれない。人の目を見て、心無い言葉を言われて、私は何を感じたっけ、私はどうしたかったけ。考えて蘇るのは両親の顔。
「こんなに魔力が強いんだ! きっと大魔術師になるぞ」
「そうね、きっとそうだわ!」
歓喜の顔。両親は私に期待してくれていた。でも私はその期待には応えられなかった。触ったものは粉々になっていく。一番最初に怪我をしたのは、姉様だ。
「サリサ! 大丈夫か!」
「父様、大丈夫です、でもメリが」
姉様は、心配そうに私を見る。私は血のついた手を呆然と眺めていた。この力は自分は傷つかないくせに、他者は容赦なく傷つけていく。それを知り、その手を強く握った。
その日から、人に近付かないように過ごした。姉様はそんな私に気を使って、適切な距離を保ってくれた。
「大丈夫よメリ、今は幼いから体がついていかないだけだから」
姉様はいつでも私の味方でいてくれた。けれど両親は私を怖がり、必要以上に避けた。
「父様! メリを爪弾きにするなんてあんまりだわ!」
「サリサわかってくれ、あの子は危険人物なんだよ」
私が七歳の時、両親から危険人物と言われた。それでも暗かった私の心は、更に暗くなった。あぁ、両親にとって私は要らない子なんだと理解した。姉様がクレイがいてくれなかったら、この時点で地下に篭っていただろう。
地下に籠ると決めた時には、両親は安心したような顔をした。姉様は必死に両親と私を止めていた。
「メリは怪我をさせたいわけじゃないわ! ねぇ、メリ、考え直さない? 貴女をわかってくれる人は絶対いるわよ」
「姉様……、でももう決めたの、私は危険人物よ、だから、地下に入るの、姉様今までありがとう、感謝してもしきれないわ」
クレイに危険人物だと言われ、婚約破棄を言い渡された時点で、全てに諦めが付いた。その中には生きることも含まれている。望んだ力ではなかった、でも私にはこの力がある。皆を怖がらせてしまう。
寂しいとか、苦しいとか言ってられなかった。言う訳にはいかなかった。
「要らない子……」
そのレッテルが子供にとって、どれだけ重かっただろうか。愛してくれと、私を必要としてくれと、伝えられないことが、いかに辛かったか。
「メリさん」
優しい声が耳に入る。そしてぎゅっと抱きしめられた。
「カルデラ、大丈夫なの?」
「私が結界も張らずに近付くと思いますか?」
「思わないけど」
彼の温もりに身を任せていると、ぽんぽんと頭を撫でられる。それはまるで可愛いものを愛でるような仕草で、体に熱が篭もる。
「貴女が今までどんな言葉をかけられたのかはわかりませんが、少なくとも私は貴女に対して酷い言葉は言いません」
「うん」
「それと、貴女を傷つける者を許す気はありません」
先程まで、優しく言葉を綴っていたはずが、いきなり殺伐とする。えーっと、カルデラ? 何を考えてるの。
彼の顔を見上げる。私に対して優しい笑顔を向けているが、その瞳には敵意が見える気がする。
「カルデラ、なんかあった?」
「何もありませんよ、ただ、貴女は随分と傷付いてきたようだったので」
「私はそんなに傷ついてないけど……」
危険人物に対する態度なんて皆一緒だろう、今更傷つくことではない。
「慣れというのは一番怖いものです、貴方は慣れてしまっただけですよ」
額に優しくキスが落とされ、私はギョッとし、腕から逃れようとするがきつく抱きしめられる。一体何が起こっているのか、理解ができない。これではまるで恋愛感情があるみたいではないか。
「カルデラ、何考えてるの?」
「何ですか? そうですね、大切な婚約者が、泣いていれば手を差し伸べるのが男ではありませんか?」
きっと今の私はアホな顔をしているだろう。大切な婚約者? いやまぁ、間違いではない。間違いじゃないけど、なんだか甘さが含まれている気がしてならない。ただの実験動物に向けるには、甘すぎる。
「今日は休みましょうか、何も焦る必要はありませんよ、貴女の魔力は解明してみせますから」
やっと腕が解かれる。そしてカルデラは私の手を握り、地下から出た。
自室に戻りぼけーっと鏡を眺める。後ろではティアラが、紅茶の準備をしている。
「お嬢様、惚けてますね」
「ティアラ、うーん、なんかカルデラが私に甘い気がして」
紅茶を受け取り、一口飲む。温かさが体に染み渡り落ち着く。
「カルデラ様がお嬢様に甘いなんて今更ですよ」
「今更?」
「気付いてらっしゃないのですか? カルデラ様がお嬢様を見る時の目の甘さといったら! 使用人一同驚いてますよ」
そんなに甘い目線を向けられた記憶はない。しかしティアラは自慢げである。
「それに、あんなに優しく笑われるのも、お嬢様にだけです、人の良い笑みはよく見せてくださいますが、自然ではないですからね」
だから、自信もってください! と背中を叩かれる。
カルデラが私に甘いなんて考えたこともなかった。大切にされている自覚はある。そりゃ彼にとって私は貴重な存在だ。ただ甘さを見せるものじゃない。けれどティアラは甘いと言う。私から見たカルデラと、周りから見たカルデラは随分と違うのかもしれない。
メリの顔が月明かりに照らされる。綺麗なエメラルドグリーンの髪は、光を反射し、輝いている。
「全く起きませんね」
扉が開いたら起きるかと思ったが、熟睡しているようで、可愛い寝顔を無防備に晒している。髪を手ですくい、軽く口付けをする。
「んー」
彼女は小さな声で唸ると、自分から逃げるように、寝返りをし、背を向けられてしまった。
今日初めて彼女の力を解放した。実験室は物を少なめにしていたし、メリの指示で機械類は置いてなかったが、それでも驚くべき威力であった。周りに置いていた、机や椅子が数秒もかからず跡形もなく、崩れたのだ。それをやった本人であるメリは、疲れた様子もなくただ立っていた。並の魔術師が同じようなことをやろうとすれば、まず過労死するし、魔力が足らなくてできやしない。確かにこの可愛らしい見た目から、あんな力が出れば怖がる者も少なくはないだろう。目を瞑って考え事をしていた彼女の顔が、段々と陰っていくのは、見るに耐えなかった。
「魔法は感情に左右される……か」
最初は触らなければ壊れはしなかった。それが、部屋に閉じ込められ、自分が連れ出す頃には、触らずとも壊せるようになっていた。
出会った頃のメリの顔を思い出す。人間そのものを怖がり、自身の能力にも恐怖を覚えていた彼女。引きこもることで、人との関わりを断つことで安息を得ようとしていた。そもそも自分の説得がなければ、自殺しようとしていたのだ。
『貴方は私に生きろって言うのね』
あの夜の言葉は、この屋敷に来た後の経験から来るものではない。自分は彼女に死ねと言った覚えはないし、あの時だって、なぜ死を選択するのかと疑問に感じた。それが普通だと思っていた。しかし実際はイレギュラーなのだろう。メリは危険人物として、カンボワーズ家の地下にいた。最初に人を傷つけた時どれほど衝撃を受けたのだろうか。
ふと、カリナが倒れていた時を思い出す。ただの自衛だった。多少跳ね返して、少し怪我をすれば正気になるだろうと。意識を失う程の怪我になるなんて思っていたかったのだ。無属性の魔術師で、魔法の事ならなんだって勉強した。自分は、魔法を見誤らない自信があった。その自信が、あの一瞬で砕けたのだ。なぜ結界ではなくカウンターを選択してしまったのか、様々な魔法が扱える弊害を、選択肢がある自由がどれだけ怖いのかを目の辺りにした。
ただ、自分ならばそれで終わる。失敗したならば、次は同じ失敗を繰り返さぬよう、更に魔法を調べあげ、適切な選択肢を選べばいい。メリには、その選択すらないのだ。心優しい彼女が、自分の意思とは無関係に、人を傷つけ、他人もまた彼女を傷つけた時、彼女は何を感じるだろうか。
「破壊が意味するのは拒絶、人を寄せつけないためと考えば、合点はいくな」
自分が傷つかないための、自分が傷つけないための。荒く優しい拒絶。
もう一度、メリの髪に口付けをする。私は部屋を後にすると、カンボワーズ家への手紙をしたためた。




