第九話 【カルデラ】
着替えると、顔を洗い頬をパンっと叩く。まだ昨夜の気恥しさが残っている。この部屋の有難いことは、トイレや洗面台が付いていることだ。顔を洗えば、幾分かスッキリする。
どうせ朝カルデラに会うことは滅多にない、この妙な胸騒ぎも、日が高くなる頃には収まってるだろう。そう思い、いつも通りモノクロで服をまとめると、扉を開ける。するとすぐに声が返ってきた。
「おはようございます、メリさん」
「お、おはよう」
いつものように、人の良い笑顔を浮かべたカルデラの姿がある、口調も敬語に戻っている。え、私を待ってたの? いや、たまたま通りかかったのか。
しかし、通りかかることはないかと思い直す。この屋敷は一階にキッチンや食堂など各施設があり、二階から居住区となっている。部屋を確保するためだろう、ロビーから二階に行くと、サイドに伸びる廊下があり、壁を隔てロビーを囲むように部屋が並べられている。その廊下を上に行けば、三階に上がる階段があり、そこは、右がカルデラ、左がマーベス、階段を上がってすぐの中央が、マリア様とソフィア様の部屋となっている。私の部屋は、二階の廊下を右に曲がり、下に行き突き当たりだ。一番端の角部屋である。朝食を取りに食堂に行くにしたって、途中でロビーに行く方面に廊下を曲がるはずなのだ。それが部屋の前の壁にもたれかかっているので、待っていたのだろう。
「食堂へ行くのでしょう?」
「そうだけど」
手を差し出され、私は一瞬戸惑う。
昨日までは自然に掴めたのだが。カルデラを男として意識すると緊張する。冷静になれ私と言い聞かせ、その手をおずおずと取ると、満足そうに笑われ、私はその顔を直視することができなかった。
「昨夜はすみませんでした」
「カルデラ?」
手を取り廊下を歩きながら、急に謝られる。え、気にしてたの? こいつが自分の行動を? そんな珍しいことがあるのか。
「結界が壊れたのを察知しまして、焦っていたんです、冷静さに欠けていました」
「私は別にいいけど、あんた焦ると口調荒くなるのね、それだけは驚いたわ」
いや、他にも驚いたことはあったが、あえて触れなかった。触れたくないのが正しい。
「昔は少々荒かったんですよ、忘れておいてください」
「あら、忘れろなんて無茶言うのね、人って衝撃的なことはいつまでも覚えているものなのよ」
私が意地悪く言うと、バツが悪そうに目をそらされる。よし、焦ると口調が荒くなることは一生覚えておこう。
食堂へ行くと、にこやかな、マリア様とソフィア様が座っていた。
「おはよう、メリちゃん、カルデラ」
「おはようございます、マリア様、ソフィア様」
カルデラから手を離し、一礼をする。二人は何か嬉しいことがあったのかにっこにこである。
「ささ、二人とも座りなよ」
ソフィア様が促し、椅子に座ると、眠そうに目を擦るマーベスが来る。
「おはよう、マーベス」
「メリさん、おはよう」
全員が揃ったとこで、食事が運ばれてくる。和やかに朝食を取ると、カルデラは仕事があるらしく、早々と屋敷を出ていく。研究だけに没頭しているかと思えば、ちゃんと政治に絡んでいるというのだから驚きだ。
マーベスは学校に行くために準備をし、元気よく出ていった。迎えの馬車には、他の生徒と思われる子供達も乗っており、わいわいとする姿は微笑ましい。
「メリちゃん、ちょっといいかしら?」
「マリア様、どうかなさいましたか?」
マーベスを見送ると、マリア様が背後に立っていた。後ろには真面目な顔をしたソフィア様もいる。私は緊張した面持ちで二人を見る。
そのまま、食堂に戻った私達は、二人と向かい合うように座らされ、紅茶を出される。
「あの……」
「ふふ、そんなに緊張しなくていいわよ、今日はお礼を言おうと思ってね」
「お礼?」
「うんうん、カルデラがちゃんと男をしていたからね、これは君にお礼を言わなくちゃって妻と話していたんだ」
男をしていた? 言葉の真意が読み解けず、首を傾げる。
「あの子、昔ね、一人の女の子を傷つけてしまったことがあってね、それから女の子に近付かなくなったのよ」
「女の子を……ですか? 婚約者の方とかでしょうか?」
聞いてから、私は何を言ってるんだと手を口に当てる。これではまるでカルデラの女性歴を調べているみたいではないか。
「安心して、違うわよ、あの子に婚約者がいた事なんてないから、その子はねカルデラの親友の婚約者なの」
婚約者がいたことはないという事実に軽く安堵しつつ。親友の婚約者だと聞いて、何も言えなくなる。
「……貴女には話しておいた方がいいわね」
意を決したようにマリア様は語り始める。これは、カルデラが魔術学園高等部卒業より、少し前の話。
その頃のカルデラは今ほど魔法には熱中していなかった。他の生徒よりは興味があっただろうが、研究をしたりする程ではなかった。
「おーい! カルデラ、暇か?」
「俺が忙しい日があるわけないだろ、馬鹿め」
親友の、ミラフ・エルミニルとバカ騒ぎをするのが日常である。ミラフは、魔術師の家系ではなく、騎士の家系で、クロム家同様王族だ。そして、二人は幼馴染になる。家族ぐるみで付き合いがあり、ミラフと仲良くなるのは必然であった。
「というか、お前はカリナ嬢を放置していいのか、婚約者だろ」
「放置はしてねぇーよ、でもここは学園だぜ? カリナだって友達と一緒にいる」
カリナ・サラク、学園でも美人だと人気がある彼女は、光魔法を扱う魔術師で、その魔力も高く、治癒魔法を得意とするため学園でも引っ張りだこの女性である。
ミラフとカリナは、騎士としてミラフが遠征に行って、大怪我をして帰ってきた時に出会っている。その怪我を治したのがカリナで、以来カリナに惚れ込んだミラフの猛攻で付き合った、珍しいカップルだ。
「カルデラはさ、婚約者とか欲しいとは思わねぇの?」
「興味がないと言えば嘘になるが……」
両親は政略結婚を良しとしないし、ミラフのように見つけるのも難しい。まぁ、見つかればいいか、程度にしか考えていない。
「せっかくいいルックスしてんのに、勿体ねーなー」
「大きなお世話だ」
そんなやり取りをしていた、取り留めのない、友人同士の会話だ。
そんなある日、カリナから呼び出され、学園の中庭に出る。そこには、真っ白い髪を靡かせた彼女の姿があった。
「カリナ嬢、何かあったのか?」
「カルデラ様、お呼び立てしてすみません」
にっこりと微笑む。そんな彼女に表情に惚れる男は少なくないが、カルデラは興味がなかった。彼女はただの友人の婚約者でしかないのだ。
「今日お呼び致しましたのは、私の気持ちだけ伝えておこうかと思いましたの」
頬を染める彼女を一瞥するカルデラの目は、誰が見ても冷たいと言っただろう。興味がない人間に対するカルデラの視線は常に冷たいものである。
「わたくしは、カルデラ様のことを慕っております、しかし貴方さまの背後には、リテア様がおりますから、気持ちだけお伝えしますわ」
「……はぁ」
誰もが美人だと言う彼女から告白されれば、喜ぶものだが、何言ってんだこいつという反応を示す。
それもそのはず、彼女は親友ミラフの婚約者だ。手を出すわけはないし、それ以上でも以下でもない。
「覚えておいてくだされば、嬉しいですわ」
「いや、お前はミラフの婚約者だろ、俺は興味がない、リテア嬢にしてもお前にしてもだ」
素直がカルデラの良いところだろう。しかし、この時ばかりは悪いと言わざるおえなかった。カリナは、目を見開き、驚いた表情をする。
「話はそれだけか? だったら俺は帰るが」
踵を返し、カリナに背を向ける。カルデラは気付いてなかった。この時カリナが、顔を歪め手を強く握っていたことに。
「私は今まで、男に興味がないなんて言われたことはありませんわ、許しませんわよ、その侮辱の言葉」
「は? 何言ってって、おい!」
光魔法は確かに治癒に使われることが多く、カリナも基本治癒に使っている。
しかし、光魔法にはもう一つ使い道があった。それは、人を縛ること。光魔法の檻、かかった者を閉じ込めるための魔法。
「その侮辱が二度と言えないようにして差し上げます!」
「手荒な真似は好かねぇな!」
白い粉がカルデラを包み、檻を作りあげる。カリナは捕まえたと確信したことだろう。カルデラが、瞬時にカウンターの魔法を発動させたなど知りもしなかった。
「きゃあ!」
「ったく、いきなり魔法使うなって……」
そして、カルデラもまた、彼女の魔力の強さを見誤っていた。カウンターは、攻撃を跳ね返す魔法。その魔力が強ければ強い程、返ってくる威力が凄まじい。
目の前で女性が血を流し倒れている。それはカルデラに多大なショックを与えた。そして背後からミラフが走ってくる。
「カリナ! カルデラ、てめぇ何をした!」
「何って……」
カルデラは言葉が出なかった。カウンターがこんな強いはずはない。ただ跳ね返しただけで、血だらけになり、意識が無くなるなんて。その後カリナは王国救護団に連れていかれ、一命は取り留めたが、顔に傷が残った。カルデラの行動は正当防衛とし、お咎めなしではあったが、ミラフはそれを信じなかった。
そして、現在に至るまでカルデラとミラフはずっと敵対関係を維持している。
「ミラフくん、相当怒ってるみたいでね、それからカルデラは、女の子に近づかなくなったし、彼女の傷を消せないかって、本格的な魔法の研究を始めたのよ」
「それは、ミラフ様のために、ですね」
ゆっくりマリア様は頷く。彼の敬語は周りに人が集まらないように、わざと硬くしているらしい。元から貴族のパーティ用に敬語は学んでいたため、苦もなく変えることができたようだ。
「だからね、メリちゃんの存在はカルデラに良い影響があるの」
「これからも、カルデラをよろしく頼むよ」
「は、はい!」
二人から聞いた話はあまり良くはなかったが、知っているのと知らないのでは対応が変わるだろう。傷を消すための魔法か、傷跡なんて歳を重ねれば消えるものだと思っていたが、魔法によりできた影響なのかもしれない。それと同時に、カリナに対しては自業自得な気もしている。自分が魔法なんて使わなければ、傷つくこともなかったのに。恋心はどうしようもないにしても、捕まえようとするなんて常軌を逸している。何より、現在に至るまでカルデラを怒こり続けているミラフが、カリナは彼ではなくカルデラの事が好きであることに、なんだかもの寂しさを覚えたのだ。
城内部を歩く。仕事でここに来ることは多く。その度にリテア嬢に捕まったりするので、憂鬱になるのだが、流石にメリを婚約者とした後では話しかけられることはなかった。こちらの様子を伺っている風ではあったが。
それより、もう一人の面倒事と出くわすこととなった。自分が何も考えず、王国騎士団待機場の隣を通ったのが悪いのだが、一人の男が立ちはだかる。
「カルデラ、お前婚約者ができたんだってな」
「ミラフさん、えぇ、私事ですが、先日婚約を致しました」
王国騎士団長。ミラフ・エルミニル。妻はカリナ・エルミニル。自分としては関わりたくない人物である。
「へぇー、あれだけ女に興味ないって顔をしていたのに、どういう風の吹き回しだ?」
「貴方に話す必要はないかと」
自分が話す気がないと理解したのか、そうかと引き下がる。それを見てミラフの隣を通り過ぎようとした時、そうだと声をかけられる。
「メリさんとか言ったか、お前の婚約者、クレイの知り合いなんだってな、あいつ、驚いてたぜ、危険人物が外に出てるなんてってな、お前知ってて婚約したのか?」
「彼女を外に連れ出したのは私ですから」
「ほんと、珍しいことをしたもんだな、ついでに、彼女が危険人物だって事は王も調べ済みだ、それだけ言っておくよ」
ククッと笑い去っていくミラフにため息が出る。調べられるだろうということはわかりきっていた、半日もあれば全てわかることも。
危険人物を外に出すことは原則許されていない。例外は一応存在するが、メリは無理矢理連れ出したのだ、そんなメリを例外に入れるには、彼女はもう人を傷つけないと示す必要がある。
「これは早くに、コントロールをさせなければなりませんね」
昨夜感じた感情を反復する。
これは恋愛感情なのか、単純な探究心なのか、それはもはやわからないが、一つ強く感じたことがある。それは、メリを失いたくないという、独占欲だ。それが仮に王であろうと、彼女を手放すわけにはいかない、禁忌に触れたとしても。
カルデラ、自覚する
メリも前に進みつつあります。




