圧殺の気配
「まだ来るか!?」
「次は西側です。まっすぐ大通りを走ってください、病院のそばです!」
「あいよー!」
目を凝らしてヘルメスの魔力の軌跡を追いかける。200メートルにも及ぶ聖塔の先端から見る街の全景は確かに美しいが、離れた建物は正直なところ豆粒にしか見えない。僕は目を皿にしながら、街の姿と手元の地図を見比べる。
「っ!!」
大きく吸い込んだ息を吐きだして、ヘルメスが加速する。強烈な魔力の噴出が、彼の息巻く力をうかがわせる。恐ろしい脚力だ。ゆうに80キロを超える勢いではなかろうか。彼はそれを、あろうことかもう30分も続けている。たぶん今日の暮れには、ラカンに変質者の噂が立つことだろう。
「ドンピシャ見つけたァ!!」
飛び上がった彼の指先と、別の魔力の塊がぴたりと重なる。順調だ。
「どうですか?」
「あー、おんなじだなぁ。やっぱただの羽根だぞ。実際に触ってんのに、ほとんど魔力も感じねぇ。よくもこんな小せぇ魔力を見つけるもんだな」
「お世辞はいーですから。次はまだ来てませんね、ちょっと休みましょう」
僕は手に握った地図を折りたたむと、ふっと息をついた。ラリー中のレーサーに道を教えているみたいだ。それも地図を頼りに、知らない道を。体内に精神と名のついた器官があって、それが物理的にすり減った気がする。眼球がゴリゴリ感じるのも気のせいではなかろう。
耳に当てた通信機に手を当てる。魔力を波にして伝える通信装置。お互いの装置に事前に設定した魔力の波長を使うことで、他の通信との混線を避けている。原理的には前の世界で使っていた通信設備とあまり変わらない。
「周囲では何も起こっていませんか?」
「見た限りでは、なんにも。というか、よほど些細なことでなければお前が気づくだろ。こんなチンケな鳥の羽に反応するんだからよ」
「まぁそう言われればそうですが……いやヘルメスさんが不注意なだけです」
「言ってくれるな! オレも魔力感知にはそれなりの自信があったんだが、お前は別格だ」
「え、本心で言ってくれてるんですか?」
「本心というかただの事実だな。今まで見た中でも、お前はピカイチだ、自信もっていーぞ」
それが本当なら、僕には意外な特技があったということだろうか。他の人よりも、魔力に敏感に反応できる、という点が。なるほど何かに使えそうな気もする。何も思いつかないけど。
僕が街中から魔力反応を探し、見つけたところにヘルメスが走って状況を確認する。そんなブラックな作戦を立てて実行し始めてから、かれこれ30分が経つ。新たな羽根は4枚落ちた。生まれる間隔も、落ちる場所もバラバラ。そして何が起きるわけでもない。
しかし大きな、大きな収穫が二つあった。一つは、ヘルメスが聞き込んで回ると、これまで羽根が落ちた3か所全てで必ず「あり得ない」という言葉が発せられていたこと。今頃はまた、ヘルメスが羽根の落ちた周辺を聞き込み中のはず。
そしてもう一つ。
「ところでトキ、今回も現れたのか?」
「ブラックスワンですか。そうですね、一応」
ブラックスワン、と思しき鳥類型の飛行物体が、羽根の現れるタイミングで同時に出現すること。しかし、ぼくの位置からだとただでさえ米粒のようなサイズで現れるうえ、顕現から消失まで数秒。細かな様子までは観察できない。この世界にも白鳥の近縁種は生息しているが……。
「やっぱり、羽根は黒かったように思います」
「そうか? お前はそう言うが、今回の羽根も白だな。とりあえず番号書いとくぞ」
「お願いします」
何の意味も無いかもしれないが、一応落ちた羽根には番号を振っている。「はじまり」という先入観を無くすためにアルファベットをKから振ることも考えたが、面倒なので素直に1から数えることにした。実際その方がよかったかもしれない、一体これから何枚の羽根を拾い集めることになるのか、まるで想像もつかない。……いや、そんな悠長でいいものか。この街に何の思い入れがあるわけでもないが、街中砂糖だらけで何日過ごさせるつもりだ。
「やっぱり、他の兵士の方にも協力を仰ぎませんか」
「やっぱりってなんだ。オレ一回も反対してないんだけど」
「そうでしたっけ? なんか否定的な気がしたので」
「言っただろ、そもそもお前くらいしか羽根が見えないんだから、足になる以外に役割が無いんだ。伝えたいなら、羽根の話を伝えるくらいはいいと思うぞ。でも、十中八九、疑われるだろうけどな」
嘆息する。確かに、学院生と間違われたような僕の話を、攻城局やら防衛局やらで鎬を削る兵士達の中で、いったい何人が聞いてくれるだろう。はじめはヘルメスだって半信半疑で付き合ってくれたのだ。
何か別の方法は。そう考え始めた瞬間だった。
ゾクリと背筋が凍り付く。背中から突っ込まれた手で、心臓に氷を押し当てられたみたいだ。ヒリつき、自分の意思から離れ、ドクンドクンと別の生き物のように心臓の鼓動が高鳴る。吐き出される真っ赤な血液を身体の奥底に感じる。だというのに、凍り付いたように全身が冷たい。
恐る恐るそれを見る。目を合わせてはいけない、頭が警鐘代わりに金槌で打ち付けられているみたいだ。視線が合う。いや勘違いだ、そいつからどれだけ距離があると思っている。相手の視線など見えようもない。しかし紛れもなく、蛇に睨まれたように動くことができない。
ホワイトクラウンだ。つい数時間前にセリとカヤと話をしたその場所から、獣の気配が渦を巻いている。秩序無く垂れ流された魔力ではない。まるで御された龍が主を護るように、そいつが存在するのであろう座標を覆いつくしている。
「一体どんな化け物が……」
思わず口をついて出た言葉に、記憶の中のコークスが言い返してくる。「そんなものには収まらん。魔王なのだからな」……冗談じゃない、滲み出ただけの魔力で僕を圧殺するつもりか。
「おいトキ!」
はっとして我に返る。大きく深呼吸をして落ち着きを取り戻す。甘い香りが乗っているような錯覚に陥る。そんなことはない、気のせいだ。額から、うつむいた鼻先から、ポタポタと汗が零れ落ちる。我ながら、なんと脆弱か。悔しさもあいまって苦笑してしまう。鼻血を出していないだけ奇跡だ。
「何か見えたのか!?」
「いや別に……うん、ちょっと魔王を見たかも」
「魔王!? ……あぁいや、そうか。いるよな当然」
やっぱりいるんだ。当然。
「あー、すげぇ分かった。お前には余程刺激が強いんだろうな。近くにいたら、オレでも気圧されることがあるくらいだ。だがおかしいな、よっぽどのことがなきゃ、魔力を外に出したりしないんだが」
頬をかくヘルメスの顔が目に浮かぶ。いつも軽口を叩く彼には珍しく、本気で心配してくれているようだ。それだけ僕の魔力感知が、他人より影響を受けやすいということなのだろうか。
「少し休むのもいーんじゃねぇか。実際4枚羽根拾ったって、何も起こっちゃいない。全部拾う必要はないんじゃねーの」
僕はふっと息をついて答える。
「いや、大丈夫です。とりあえず暗くなるまでは続けましょう。さっさと走ってください」
「言い方よ。今は街の北側の病院だが……次はどこに行けばいい?」
「とりあえず街の南端まで行ってください。羽根が出るといいなぁと思っています」
「舐めてんのかテメェ!!」
気を取り直して、僕は街の隅々に気を張った。次はどこに来る。小さな小さな魔力の痕跡を見逃すな。大丈夫、あんなおかしな模様の魔力、視界に入りさえすれば見逃しやしない。
そう考えながらも想像してしまう。死角から撃ち抜かれるように感じた魔王の魔力。あんな化け物が本当に存在するのか。胸の高鳴りがいつまでも止まない。
「逢ってみたい」
魔力の残滓だけが残るホワイトクラウン。この街のどこかを、まだ魔王が歩いている。
ヘルメスには聞こえないほど、小さな声でそう呟いた。
次話投稿は明日19時です。