魔性の果実
まこと、この果実は魔性の美味だ。口にほおばると鼻腔から頭のてっぺんまで、吹き抜けるような柑橘の香りが立ちのぼる。舌先に残るキュッと締め付けるような酸味は、口に運んだ生クリームのふわふわの甘みで喉の奥まで押し流される。
なめらかな口当たりにザラリと割って入るタルト生地はなんとも素朴な風味で、まるで故郷の土の香りを胸に吸い込んだみたいだ。捏造の記憶だけれど。
「~~~~~」
3皿目のココリアタルトを口いっぱいにほおばりながら、魔王は幸せそうに両眼を閉じた。膨らんだ両の頬は、木の実を蓄える小動物のそれだ。その姿に感化されたのか、店内もどこかほのぼのとした空気感で満ちている。外の街はいま大変な事態になっているはずだが、攻城局長アレスの置いていったこの子どもを見ていると、街の一大事など些細なことに感じてしまうから不思議だ。
「コ、コーヒーでも淹れようか?」
「いらない。いや決して飲めないわけじゃないぞ。好きじゃないからだ」
「ではホットミルクでも」
「バカにするつもりか。カフェオレなら飲める」
やっぱりコーヒーは飲めないんじゃないか。誰もが喉元まで込み上げた感想を飲み込んだ。
「やっぱりコーヒーは飲めないのですね」
「アレス! きみ、一体今までどこで油を売っていたんだい。というかその幼稚な煽りにぼくが乗ると思ったら大間違いだよ。たとえサーカスのレオでもそんな玉に乗るものか」
「そうでしょうね、サーカスのレオは火の輪をくぐりますから」
「やかましいなきみは、すこぶるやかましいぞ……はむほむ」
話を続けながらも、魔王はもっちゃもっちゃとココリアタルトをほおばり続ける。やがてカフェオレが到着した。少し色味が濃い。苦かったらいやだな。魔王は鼻を鳴らすとグイっとグラスをあおった。
「どんな感じだい?」
「今のところ適任者は見当たりません」
「だろうね。スキーマーなんか、天性の勘と魔力量がなきゃ務まらない。そんなヤツが滅多に見つかってたまるものか」
「それは結局のところ、魔王様が兼任されるということですね」
魔王は眉を吊り上げて抗議の視線を送る。見上げたアレスの背後の窓から、午後の陽が差し込む。ティータイムにはもってこいだが、流石にこの街を長く放置するわけにもいかない。そう思案しながらカフェオレに口をつけていると、魔王の視線の先にラカンの聖塔が映りこんだ。海神フォーセインを祀るこの街の聖塔は、近海を渡る船のための灯台であり、海を臨むラカンの人々が水平線の彼方へ夢を描く舞台でもある。
その先端に、小柄な少年が立っている。海を臨むならまだしも、街を隅から隅まで見渡す気でいるらしい。砂糖で染め上げられた街だ、興味深いのも当然だが、彼は何かを探しているように見える。だが正気の沙汰ではなかろう。髪の一本一本から服の装飾までもがはっきりと視認できるのは、魔王の眼があってこそ。
風変わりの真っ赤なポンチョが愛らしい。しかして、あの少年にいったい何が視えるものか。
「街はぼくが戻しておこう。アレス、きみはインケラーシャの動きを見定めておきたまえ。いかに特危管とはいえ、フェンダー独りでは話になるまい」
「かしこまりました。黒槍に今からでも招集をかけましょうか。インケラーシャの消星にあたり、やはり最低でもブレイカーかフューネラーが必要なところでは?」
アレスの言に、魔王は右手に持ったフォークに目を落とす。くるくると回しながら、魔王はどこか思慮深そうに言葉を探す。
「きみ、自分が攻城局長だという自覚を持ちたまえよ。防衛局からも諜報局からも、文句が飛んでくるのはぼくのところだ。特危管に召集を出すならちゃんと銀狼を通すんだね」
「かしこまりますか」
「ふーざーけーるーなー」
魔王はアレスの豊満な胸を右に左に引っ張り回すと、ため息をついて言う。
「……別に擦り潰すだけなら問題はない。ぼくがいるんだからね」
カタカタとテーブルに置かれた皿が音を立てる。油断して、魔力が滲み出ていたらしい。吹きこぼれただけで店を飲み込みかねない魔力量だが、魔王自身が平然と押し殺すせいで、周囲の客がその異質さに気づくことはない。
王は改めて、先の少年に目を向けた。もう諦めて塔から降りたころだろうか、そう思った矢先の出来事に、柄にもなく驚嘆の視線を少年に向けてしまう。思わず手からフォークを取り落とした。隣にいるアレスが、怪訝な表情でこちらを伺うのが分かる。
何かを探して街の端々に目を配っていたはずの少年が、一寸の狂いも無くこちらを見つめ返していた。
次話投稿は明日19時です。