戦慄の司祭
「何をしに来た」
「いやこっちのセリフですね」
素朴なステンドグラスから差し込む陽光の下。聖母像に向き合う長椅子に足を組んで居座る、悪魔のような女がいる。聖堂についた僕の目に飛び込んできたのは、他でもない攻城局長アレスの姿だった。
「お前には仕事をやったはずだが?」
「どうも、僕は今絶賛仕事中です。ブラックスワンの情報交換のために人と待ち合わせてるんですー」
「語尾を伸ばすな鬱陶しい。お前あの中に知り合いがいたのか」
「いっとき協力関係になっただけです。向こうも困っていたみたいだったんで」
困っていた、というのは彼の言い方から察した僕の印象だ。ヘルメスの素性は分からないし、特に探る気もない。行きずりの関係なんて、そんなものだろう。
「アレスさんは、どうしてこんな似合わないところへ?」
「脳髄引きずり出してやろうか」
怖い怖い怖い。その指先に真っ赤な魔力が集中しているのは何をしようというのですか。
彼女はフンと鼻を鳴らすと、指先から噴出させた炎を器用に操って見せる。丸く整えられたその形は、ココリアの果実だろうか。低木にできる、オレンジの皮に包まれた果実だ。甘みが控えめで、少し酸味が強い。そのまま食べても爽やかな香りと豊かな果汁が美味なフルーツではあるが、甘みの強いクリームに添えたり、果汁を練りこんでスイーツに使用されたりすることが多い。
アレスは渦巻く炎を見つめ、しばし黙りこくってから面倒くさそうに口を開いた。
「魔王様の付き添いだ」
「何の意味もない造形だと……!?」
もしかすると魔力の乏しい僕への当てつけなのだろうか。なんて高度な嫌がらせだ。
「というか魔王がこの街に来ているんですか!?」
「当然だろう」
「え、はい……」
当然らしい。そう言われれば返す言葉もない。
さっきの聖塔の様子を考えるに、ヘルメスが来るまではもう少し時間があるだろうか。
「魔王ってどんな方なんです?」
「そも答えてやる義理もないし、質問するなら的を絞れ」
至極ごもっともだが、その指摘は当たらない。
「ただの世間話です。いいじゃないですか、暇でしょう?」
「無職に言われるほど落ちぶれてはいない」
「辛辣ですね!」
突っかかる僕とは裏腹に、アレスは興味をなくしたように背に差した剣の柄を弄んでいる。ただ触れているだけで魔力がこぼれているようだ。うらやましいことこの上ない。
「……何か気にしてます?」
「バカを言え、暇なだけだ」
「そういえば、広場に魔王がいたんですよね。僕からは見えなくて。背は僕より低いらしいって聞いたんですけど、本当ですか?」
「誰に聞いた」
「コークスさん」
アレスは深々とため息をついた。何事か思案したあと、僕の方を一瞥して言う。
「まったく、冗談はコーヒーだけにしてほしいものだ」
「コークスさんのコーヒーは美味しいですよ」
「頭も悪ければ舌もバカなのかお前は」
なんという言い草だ。『烏巣』の常連として、僕もムッとして答える。
「本当ですよ。モカもエスプレッソもカプチーノも、デルタもヴァーナも」
「ブレンドは」
「ブレンドは最悪です」
「そうだろう」
おかしい。いつの間にか握手でもしそうな流れだ。すまないコークス、だがあなたの淹れるブレンドは本当に最悪だ。ストレートで淹れれば至高の味を出せるくせに、ちょっと豆を混ぜただけで恐ろしく不味くできる、特異な才能と言っていい。
「ちなみに魔王はコーヒーを飲まないらしいですよ」
「そうだろうな。王は苦いものを好まない。王が好むのはもっぱら甘味だ」
子どもか。とはいえリリィも似たようなものだ。ちなみに彼女はコーヒーも飲む。
「小柄でスイーツ好きとは、女の子みたいな王ですね。優しくはないみたいですけど」
「なんだ、広場の顛末をまだ根に持っているのか。器量の小さなやつだな。それと若い女がみな優しいような言い回しもな。性格の悪い女も、暴力的な女もそこら中にいる」
「いますぐ反証できますもんね。ごめんなさいしなくていいです!」
肩に食い込んできた魔力爪を身をよじって掻い潜る。
「手が滑った。危うく聖堂の長椅子が削れるところだった」
「僕が削れるところでしたけどね!」
「削れてから言え」
無茶苦茶だ。しかし本当にそんなファンシーな王が誕生していたとは。そういえば。
「魔王の種族ってなんなんです?」
「なんだ、やはり聞いていないのか。別段隠すことでもない。王はシスの系譜だ」
「は?」
「シスの系譜だ、と言ったのだ」
「……大悪魔シス? 伝説、というかおとぎ話の?」
「系譜というだけだがな。シスを親に持つわけではない」
開いた口がふさがらない。シスというのはこの世界に残る伝承上の大悪魔の名だ。大昔に流行った疫病が原因で作られた悪魔だと思っていたが。よだれが垂れる前にアゴをマッサージする。
「恐ろしいか?」
「いや会ってみたいです!」
本心だった。僕にとっては物語の中の人物と言って相違ない。どんな恐ろしい王かは分からないが、広場で食らった一撃を考えるに、力加減は分かっている人だ。直接その顔を見てみたい。
「そうか? 王ならその辺にいらっしゃるぞ。ホワイトクラウンとかいう店だ。ココリアのタルトを食べるといって聞かなくてな。私はこうして暇を潰しているわけだ」
「いや護衛しろよ……ホワイトクラウン?」
どこかで聞いた名だ。どこかで。ついさっき。カヤと。セリと。話した場所。
「目と鼻の先!?」
そんなバカな。店の目の前にいて、魔王の魔力に気づかなかったというのか。
「そういうことだな。興味があるなら行ってみるといい。甘味に手を出し始めたら、王はしばらくおとなしい。まだおられるかもしれん」
「ちょっと見てきます!」
言うが早いか、僕は足早に駆け出していた。魔王など、普通に生きていたら一生お目にかかれない。どこの国でも国家元首に会う機会など滅多にないとは思うが、魔王というのは質が違う。
確かにこの『世界』には王国も共和国も様々存在する。だが、その中にあって魔王はただ一人。この帝国にしかいないのだ。しかもそれには理由がある。
聞いた噂が真実なら、魔王は世襲しない。当世の魔王が逝去すれば、次の魔王はこの『世界』の意志によって選ばれる。その意志は王を示す刻印となってその身体に現れ、王が現れた国家が次の『帝国』を名乗るのだという。端的に言おう。かっこいい。見たい。
聖堂の扉を少々乱暴に開けた瞬間、その鉄扉がごりっと音を立て、何かにぶつかった。
「ああぁぁぁあぁ!?」
なんとも情けない悲鳴を上げて、見知った男が聖堂の外階段を転げ落ちていく。あぁ、彼のことをすっかり忘れていた。ヘルメスが階段下で頭を押さえている。これは大変だ。過ちに気づいたなら、すぐに正すべし。後になるほど禍根が残る。これは僕が短い人生で得た教訓だ。
「外開きに設計した人、注意しときます!」
「ちがくない!?」
ごめんごめん、と笑ってごまかす。
ふと振り返ると、アレスはその魔力の残滓を残して姿を消していた。
次話投稿は明日19時です。