深緑の魔術1
辿り着いた巨木の傘下。肌を裂くような凍て刺す風が吹き抜けていく。微かな木漏れ日が、細かな光を大地に届けていた。
「何が、起きてるんだ」
視界の先を埋め尽くす、真っ白な花畑。しかしその光景は、美しいという言葉では言いようのない不穏さを孕んでいた。精巧な剥製を指先でなぞったような空恐ろしい儚さ。
どこかの誰かが、この美しさにため息を吐くかもしれない。
だが、僕の眼に映る景色は、ほとんど地獄そのものだ。
「ホロウ、メラデュラ……?」
「ゆぬ? ぜんぶ、ぜんぶ?」
横に降り立ったシヴが、僕の方を見上げて尋ねてくる。彼女も、インケラーシャの魔力をある程度感じ取れる。異様な空気の重さに、まるで野良猫のように髪の端々が逆立っている。
「あいつ……」
見据えた先に立つ、長身のダークエルフを睨みつける。相も変わらず病的な色白の顔が、舞い上がる純白の花弁の中に掻き消えそうになっていた。漆黒の外套の脇に、クリーム色の髪をなびかせた少女が立ち尽くしている。赤髪の少女は、未だ昏倒したままだ。
「ハナは無事みたいだ。レナは……分からない。シヴ、彼女たちを取り戻すよ」
「どうしたらいい?」
「うん、シヴの強さなら、正直ゼルじゃ戦いにすらならない。でも、そんなことは彼だって分かっているはずだ。分かっているくせにあれだけ余裕ぶっているのは、なにか理由がある。僕が呼ぶまで、待っていてほしい」
「……わかった。まつ」
彼女の返答に、僕は黙ってその髪を撫でた。珍しく、少しだけ言い淀んだシヴの目線が虚空に彷徨った。その刹那の逡巡に、彼女なりの心配が滲んでいた。
「呼んだら、五秒以内に来てくれないかな」
「1びょうで、いく」
「了解」
はにかむように笑った彼女の頭をもう一度撫でてやると、僕は腰に差した短剣に触れる。右手に嵌められた漆黒の指輪。暗く塗りたくられた指先の爪。なんというべきか、病的な見た目になりつつあるのは、なにもゼルだけではない。行きつけのカフェの給仕が見たらなんと言うだろう。想像するだけで恐ろしい。僕のハローワークは、果たしてうまくいったと言えるだろうか。
一歩一歩、踏みしめるように歩き出す。次第に早足になり、おのずと眉間に皺が寄る。昏睡したレナの息遣いを確かめる。遠目だが、命に別状は無さそうだ。ハナは既に意識を取り戻しているようだが、状況がまるでつかめていない。周囲をきょろきょろと見渡しては、頭上に覆いかぶさった宝樹を畏れるようだった。
「ゲリーは死んだか?」
「さぁ、どうだか」
ようやくこちらを向いたゼルが問いかける。彼の右腕に魔力が集中し始める。その一挙手、一投足も見逃すわけにはいかない。
「ゲリーが死ねば、ウィーロも死ぬか」
「彼は死なない。ゲリーさんでは、万が一にもストースさんに敵わない。ウィーロはストースさんが守る」
「……ストースが、ウィーロを守る? 馬鹿が。もともとウィーロはこちら側だ。私の計画の全てを知る、数少ない同志の一人だ。今頃、ウィーロが死んだか、ストースが死んだか、二つに一つだ」
「計画、と言ったな」
ゼルの魔力量が、さらに高まる。確かに魔力密度でいえば、シヴやヘルメスには遠く及ばない。だが、それはあの二人が常軌を逸しているだけだ。今のゼルは魔王軍の将校レベルと比較しても遜色ない。単純な力比べですら、エイゾラとも正面切って戦えるだろう。
「その計画の先にあるのは、薬園の数多の人命を削ってでも、叶えるべきことなのか?」
静かに、慎重に、ハナとレナの様子を伺いながら近づいていく。
ゼルの懐から、真鍮を思わせる杖が現れる。彼の魔力が杖へと伝播し、次第に魔力流が術式へと流れ込んでいくのが視える。鬱蒼とした深緑の術式が展開し始める。
「無駄なことを。まだ私と問答を続ける気でいるのか? 私が明確にお前の敵だと判ったはずだ。もはや問答の余地などあるまい」
「確かに僕は魔王軍の一員だ。柄ではないけれど、軍人ということになる。でも、僕は王の眼だ。僕の役目は、お前を八つ裂きにすることでも、この薬園を潰すことでもない。ゼル、お前が何を求めて、それが魔王の瞳にどう映るか。それを見極めるのが僕の仕事だ」
短剣を握る。
魔力が血管を巡り始める。
「来い、アラニエ」




