甘露の虚構
街は騒然としていた。住宅の外壁から路面、街灯までもが塗りつぶされたような白。戸惑う群衆の中には、広場で見た兵士の姿が混じっている。武者震いする者、早足に歩き去る者、青い顔を隠せない者。どうやら異変が起こってからそう時間は経っていないらしい。
壁に触れてみると、思いのほかざらっとした肌触り。見ると、指先には粉末状の何かが付着している様子だ。
「まさか雪でも塩でもなさそうですけど」
舐めてみる。ぺろり。
「正気か。お前見た目によらず行動的だな」
ヘルメスが横でケラケラ笑う。そうは言うものの、おかしな魔力は視えないし、死にはしないと彼も高を括っているのだろう。それはそれとして。
「甘い」
「甘い? なんだ、砂糖ってか?」
怪訝な顔だ。それもそうか、町全体が砂糖で覆われたなんて信じられやしない。しかし甘いものは甘い。ただただ素朴に甘いのだ。
「いや、本当にそうみたいですよ。ほら」
「指を向けるな。オレがお前の指舐めたら気持ち悪いだろ」
「男同士じゃないですか?」
「だから気持ち悪いんだよ!」
僕とは感性が違うらしい。友人同士、同じ皿に乗った料理をつつくぐらいは普通だと思うのだが。そう考えれば僕の指に付着した怪しげな白い粉を回し舐めするくらいのことは完全にアウトでした忘れましょう。
「すみません、ここで何があったか教えてもらえませんか?」
すぐ近くにいた攻城局の兵士集団に話しかける。なるべく優しげな大人に。眉が薄く柔らかな印象のその男性は、こちらを気遣うように言葉をかけた。
「ここの住民か。学院から帰って早々、大変だな」
どうやら学生と勘違いされたらしい。簡素なシャツと雨除け用のポンチョ姿なのだが、6区は学生服が無いのだろうか。造船系の魔技系統の学院が多いとも聞くから、ポンチョ姿が珍しくないのかもしれない。ちなみに僕のポンチョは真っ赤だけど。
「悪いが我々も状況が分かっていないのだ。先程そこの菓子店で騒ぎがあったらしいがな」
「そうですか……ありがとうございます。騒ぎというのを詳しく聞いても?」
「あー、すまないな。私は詳しく知らないんだ。おいドルマ」
男性は近くにいた別の兵士に声をかける。お気遣いどうもすみません。
振り返った男は髭面の中年男性だった。いや、種族柄いろいろあるので、中年男性という確証など無いのだが。目の下に鱗がうっすらと浮かんでいる。リザード系の種族らしい。黄色く光る目の輝きに、思わずたじろいでしまう。
「初めまして。大した話じゃないから、期待しないでくれよ」
非常に物腰柔らかな紳士だった。人を見た目で判断してはいけない。ドルマは右手で20メートルほど離れたところにある菓子店を指して話し始める。
「あの店……ホワイトクラウン? の前に子どもが二人いるだろう。店から出てすぐ『街が砂糖でいっぱいならいいのに』って話したらしくてな。海の近くなだけあって『この街は塩ばっかり』だそうだ。その直後に、この有様でね」
タイミングの問題ということか。一概に関係があるとも言いにくいが、かといって無関係とも断じにくい。少なくとも、現状では大きな手がかりと言ってよさそうだ。
「何か分かったのか?」
「ちょっとした手がかり、ですけどね」
ヘルメスが歩み寄ってくるのを見て、兵士たちは訝しんで僕を見た。僕は学院生だなんて一言も言ってませんからね。一応。
「なんにせよ調査だ、移動するぞアザール」
「あぁ。じゃあまたな」
二人の兵士は、足早に立ち去って行った。何事かを話しながら、急いでどこかへ向かうようだ。僕らも動き始めよう。小さな手がかりだが、0が1になったことには違いない。
「あの子たちに話を聞いてみようと思います」
「ん? 子どもか。どういう話なんだ」
「あの子たちが『街が砂糖でいっぱいになる』ことを願ったところ、直後にこうなったらしくて」
「ははぁん。なるほどな。じゃ行ってこい」
言うと、ヘルメスは顎をしゃくった。彼は周囲の建物の屋上を見渡すと、一人で歩き出す。
「一緒に行かないんですか?」
「せっかくなら手分けだ。『ブラックスワン』、飛ぶもんかは分らんが、なんにせよ鳥だろう。ちと高いところから見渡してみるさ」
「わかりました。じゃあ……あそこの聖堂で落ち合いましょう」
彼は片手を挙げて去っていった。単独行動の方が性に合っているのだろうか。一緒に行動しようと言い出したのは彼の方だったはずだが。
気づくと、街の人々はもう四方八方に散ったようだった。靴の表面に擦りついた砂糖を眺める。海に流れ出た分もあるだろうか。家屋の中はどうなっているのだろう。僕も気づけば顔がこわばっていて、話しかけた子どもたちにはひどくおびえられてしまった。
「ごめんごめん。街が砂糖でいっぱいなった理由を調べていたんだ。こんなにおいしそうな街には中々お目にかかれないから」
それを聞くと二人の女の子は、不思議そうな表情で僕の言葉を咀嚼していた。
「『街が砂糖でいっぱいになる』なんて、うまく使えばとても素敵な魔術じゃないか。誰か知っている人がいないか話を聞いて回っているんだけど。何か知らない?」
少女達は聞きながらピクリと眉を動かした後、そろって顔を見合わせた。口には出さず、二人は何かを決めたようだった。目つきが変わるのが分かる。
「そういう話をしてる子たちは、いました。わたしと、カヤちゃんがいっしょに聞いてました。その、でも、わるいことをしようって企んでる子たちじゃなくて……!」
「うん、僕もそうだと思う」
必死に言葉を紡ぐ少女たちに、僕も相槌を打つ。取り入ろうという気が無いといえばウソになる。だが、何か関係があるにせよ、この子たちに責任を問えと糾弾するほど僕も人でなしになった覚えはない。
二人は目を輝かせて言葉を続ける。
「そうしたら、気づいたら街が砂糖になっていたんです。本当に、本当にそれだけで。でも、セリちゃんとも話したけど、そんなこと」
あり得るわけがない。言いたいことはわかる。しかし起こってしまった。乾いた唇を舐める。インケラーシャ、それがどういうものかは分からない。しかし、この結果をもたらしたものがブラックスワンだと仮定しよう。考えるべきはその過程。滴り落ちた果実酒ではなく、その蛇口がどこにあるのかが問題だ。
「そのとき、何か変わったことはあったかな。全然関係なさそうなことでもいいんだ」
二人を交互に見る。セリ、カヤ。年端もいかぬこの少女たちに、この街と、この狩りの道行きが懸かっているのかもしれない。
「これ……関係ないと思うんですが」
カヤは、着物の中からおずおずと「それ」を取り出した。
瞠目するより他にない。
まさに烏羽玉の黒い羽根。艶やかに陽光を反射し、滴るように彼女の肌の上を滑る。思わず顔をしかめそうになるのをこらえた。魔力の痕跡が残っている。それもヒトが練りだすような魔力じゃない。幾何模様みたいな不可解な痕跡が、こびりつくように纏わりついているのが見て取れる。魔力線だ。この世界における指紋に等しい。
「これは、いつ?」
「街がこうなる、すぐ前です。頭の上を飛んでいた鳥が落としていきました」
心臓が大きく脈打つ。
「黒い鳥か」
「日差しがまぶしくて分からなかったけど、羽根が白いんだから、だぶん白い鳥なんじゃないかな」
「白い?」
「白い……ですよね?」
彼女たちが言い直すのを期待したが、どうやら言い間違いではないらしい。
僕の彼女たちで視えている色が違うらしい。事の直接の原因に関わった彼女たちには、白に見えたりするのだろうか。あるいは、人によって見え方が異なる可能性もある。
「それはそうだ、ありがとう。少し言いにくいんだけど、その羽根を借りてもいいかな。それがあれば、もしかすると街を元に戻せるかもしれないんだ」
僕は唇を噛んで言葉をつなげる。真実とは言えないが、僕にはその羽根が必要だ。
思った通り、カヤは救いを得たような表情で僕に羽根を手渡してくれた。
「もちろんです。あげます、持って行ってください」
「ありがとう。でも、あとで返すから。全部終わったら。約束する」
受け取った黒い羽根から、チリチリと静電気じみた魔力の流れを指先に感じる。
「そういえば、お兄さん」
セリはどこか意を決したように話しかける。
「2つあるんです」
少し神妙な面持ちだ。上着のポケットに羽根をしまい、セリと視線を合わせる。
「さっき一緒にいた人、知り合いですか」
「セリちゃん」
カヤが彼女の袖を引っ張る。
だが、セリは動じない。震えながら、まっすぐに僕を見つめている。
「カヤちゃんのお父さんとお母さんはファナリアで……! 聞いても、いいですよね」
気丈な顔つき。だが、彼女から零れ落ちる魔力は焔のように揺らぎ、その瞳は涙と濁りを湛えている。余計なことは聞くまいし、言うまい。
「ごめん、あの人とはさっき知り合ったばかりなんだ。この街を元に戻す手がかりを探すために」
「……本当ですか」
「セリちゃん、もういいよ。気にしない、気にしない」
カヤが静かに制止する。彼女の微笑を見て、セリは握った両手をゆっくりと開いた。彼女を見守るように、そのままカヤが言葉を続ける。
「もう一つは、お兄さんが聞いたお話です」
「僕の聞いた話?」
思い返す。『街が砂糖でいっぱいになる』、それが、この二人が口にした言葉だと先程聞いた。アザールと呼ばれた男。いや、ドルマというリザード種の兵の言だったか。
「私たちが、その、聞いた話と少し違ったので」
カヤは一応、と息を置いて続けた。
「『あり得ないけど、ラカンが真っ白になったら、面白いのにね』。私たちはそう聞いたはずです」
思考を巡らせる。脳の細胞が沸き立つようだ。繋がりそうで、繋がらない。だが検証はできないものの、仮定は成った。気がする。
僕はセリとカヤに感謝を伝えると、真っ白になったラカンの街に立った聖塔を見上げる。200メートルほどあるだろうか。周囲の街並みから浮き出たその塔の頂上。見えやしないが、あの特殊な魔力の流れを感じる。薄く膜を張った水面に波紋が広がるような、紫がかった魔力の流れ。
携えたハープ。おかしな魔力線。思えば捌けていった兵士やラカンの市民も不自然だ。
「ファナリア、か。聞いたことあったかな」
ヘルメス。彼は一体何者なのだろうか。
眩しい陽光に目を眇め、僕は踵を返して約束の聖堂へと歩みを進めた。
次話投稿は明日19時です。