その少女の追憶
わたしが初めてその子と出会ったのは2年前。
たぶん、薬園での生活に限って言えば、私の方が先輩。
ただ、あの日マクトベラシュカで生まれ変わった人生の産声を想起するのは、わたしにはまだ荷が重すぎる。きっとレナちゃんも同じ気持ちだろう。無責任にも、勝手に想像してしまう。ここに自分からやってくる子どもなんて、居るはずないんだから。
「名前が似ていて敵わん。どちらか名を変えるつもりはないか?」
わたしたちの間で、ゼルさんが苦々しく呟いた。
わたしは背の高い彼の表情を伺って、視線を上げた。漆黒の長髪がだらしなく垂れ下がっているけれど、顔立ちはとっても端整で。髪をちゃんとまとめて、黙って座っていれば、それだけで絵になるような人なのに。
いつも眉間に皺を寄せて、目の下にはずっとクマがあるから、みんな怖がってしまう。
「ハナ、こいつはレナ。お前と同じ居候だ。うまくやれ」
「……弟子です」
「居候だ」
「弟子ですよっ!」
レナちゃんは「べぇっ」と舌を出すと、ゼルさんの背後からその華奢な姿を現した。燃えるような赤い髪が鮮烈な印象を残す、ちょっと勝気な女の子。
正直に言って、私はものすごく驚いた。
もっと正直に言えば、この瞬間に、胸の奥で鈍痛がした。
ゼルさんに拾われるまでの日々。
そして拾われてからもずっと変わらなかった奇異の視線、差別、いじめ。
「あなたがハナちゃん?」
「……ぁ、はい」
雑巾を絞ったみたいに、ぎゅっと声帯が引きつった。
奴隷の眼を見て話しかける人なんて、ここに来てから一人だっていなかったから。
「そっか。よろしくねっ!」
こんな、太陽みたいに笑いかける人なんて、いなかったから。
「ハナちゃんは、どんなお花が好き?」
「お花……」
戸惑ったわたしは、答えに窮した。
好きなお花なんて無いんだ。
わたしにとってお花は、もうすぐ実をつけるというただの兆候。そもそも大事なのは果実でもなくて。種子を砕いて粉末にして、初めて私の仕事は終わるんだから。ベビーシッターに、どの母親の見た目が好きですかって聞いてるようなもの。どれでも変わらない。
変わらず、どれも大嫌いだ。
「……赤い、花」
その時、虚ろになった脳裏で、よぎった何かがわたしにそう吐き出させた。
赤い花、なんのことだろう。言いながら、自分の中にも疑問符が浮かんでいた。
「赤い花ね! サルビア、アネモネ、ガーベラ、カンナ……違うって顔ね? 何かしら」
「レナ」
「師匠、なんですか?」
考え込んだレナの頭をくしゃりと掴んで、長身痩躯のエルフが声をかける。
抗議するように髪を振り乱したレナを尻目に、彼は言葉をつづけた。
「今後のフィールドワークには、ハナも連れて行っていい。その代わり、お前はハナの手伝いもしろ」
「いいんですか!? やったぁ!」
手放しに喜びを爆発させて、ぴょんぴょんと飛び跳ね始めるレナちゃん。とっても可愛い彼女の傍らで、踵を返して立ち去っていくゼルさんは、いつもと同じか、もっと体調が悪そうに見えた。
いつもの寝不足や、不摂生とは違うみたいだった。
それはどこか項垂れたようで。
子どもが、好きなぬいぐるみを抱き潰してしまったみたいな、そんな空っぽの後ろ姿だった。
「この花なんてどうかしら!」
不意を突いて、レナちゃんが大きな声を張り上げる。
煤けた革張りのノート。薄く跡が残った署名は、レナちゃんが名を書き違えたらしい。『ミナ・フローリア』と書かれた上から、インクで『レナ』と上書きされていた。
「きれい……」
思わず声が漏れた。
描かれたスケッチは、きっとレナちゃんの手描きだろう。細かな繊維の一本一本。小さく柔らかなトゲの先端、その反り返し。触れれば指先にくっつきそうな、芥子粒ほどの花粉のひとかけら。絵が上手いんだね、なんて言葉が、逆に浮かばない。絵を、あるいは花を、狂うほど愛しているんだろう。そのくらい、そのたった一ページの羊皮紙から伝わる情報量に圧倒された。
「なんていう、花なの」
彼女の激情に当てられて、口をついて出た言葉だった。
それに実際のところ、その花に興味がないわけでもなかった。普段見ている真っ白でのっぺりした、オオミズアオみたいな花弁とは比べるべくもない、いかにも奇怪な形状。
それはまるで、生きた人間の肋骨を引っ張り出したみたいだった。生々しくて、脈打つようで、滴るべたついた怨嗟が固着したような、目を奪われる圧倒的な赤。
「えへへ、私が見つけて育てて、名前も私が付けたんだよ?」
きっとわたしたちは、そいつに食べられてしまう運命だったのかもしれない。
レナちゃんは得意げに胸を張る。その紅い髪が、ふわっと風を受けて舞い上がる。
「ホロウメラデュラ。意味は……」
微笑んだその顔の端に、少しさみしげな影を見た。
「空っぽの思い出」




