魔王の影
デオルト宮殿から歩くこと10分。広場に集められた数十名の軍人の中で、僕は完全に浮いていた。アレスに促されるまま人の波に飲み込まれ、彼女の言葉を待つこととなったのだが、周囲の頼もしい戦士たちは、僕の身なりを見て一律に似たような反応を見せた。フンと鼻を鳴らして馬鹿にされる、ならまだよかった。僕を見た者は、一人残らず子どもを見る目で心配している様子だった。一体何をさせられるのだろう。
ここ第4区は文化区とも呼ばれる、華やかかつ思慮深い街でもある。第2区が魔技系の科学研究機関とすれば、思想や芸術の文化研究の第一線で敷かれているのがここだ。花の舞うここ第4区に軍事施設があるだけでも場違いで、この広場は本来、哲人達が彼らの思想について語らう場として設計されている。
集ったのは攻城局出身者だけではないようで、シンボルを確認した限り、防衛局からも召集されているようだ。諜報局の出身者もちらほら見える。石畳を踏み鳴らす軍用ブーツの音、がやがやと話す声、装備が擦れる金属音。それらを切り裂いて、彼女の声が響く。
「諸君」
水面に広がる波のように、しんと静まり返る群衆。
どこかの誰かの咳払いさえ耳障りだ。
「よく集まった。早速だが本題に入ろう。此度のインケラーシャの情報を配布する。各自確認の上、破壊・停止、いずれかの対処をされたし。方法は一任するが、作戦行動を原因とする帝国民の生命・財産に対する損害は認められない。そして、諸君らの生命についても一切保証するところではない。心してかかるよう」
回されてきた書類に目を通す。ペラペラの1枚の紙に、簡素な首の長い鳥のスケッチと、箇条書きの要旨が載っている。
「ブラックスワン?」
周囲を見回すと、ほとんどの兵士たちが額にじっとりと汗を浮かべながら、紙に目を通している。そういう反応が当たり前なのだろう。真似した方がいいだろうか。
「よし。扉の準備が整った」
扉? 僕が疑問符を浮かべる傍ら、兵士たちが手荷物を確認し始める。武器に手をかけ、警戒する様子の者もいる。目線を右往左往させながら、僕はただ立ち尽くすしかなかった。しかし僕の真っ白な頭の中に、今度はそんな頭を叩き割るような言葉が乱入してきた。
「最後の目撃情報は第6区、海岸線沿いだ。水産物や船にも気を遣いたまえ。……それでは魔王、扉を」
「わかった、始めよう」
魔王、と聞こえたか、今。そこにいるのか。どんな化け物が……。
体躯の大きい兵士たちの間から覗き込もうとしたとき、広場全体が目を覆うほどの眩い輝きに満ち始めた。灼け付くような光量に目を背けると、頭上にそれが広がっていた。いかなる術式なのか、僕の知識ではわからない。しかし直感的に、それが「穴」であることを認識した。疑う余地もない、あれが扉か。
何が起こるかわからない。僕は「受身」の姿勢をとった。指先から僕の貧弱な魔力が流れ始める。大魔力の奔流に逆らわず、その中を泳ぐ道をかき分ける。見れば、強靭な兵士たちが全身まんべんなく光に包まれ消失し、扉へと飛ばされていく。冷や汗が止まらない。落ち着け、流れをよく視ろ。
「……」
刹那、全身に衝撃が走る。痺れたように筋肉が収縮し、意識が飛びそうになる。不意の一撃。雷にでも打たれたみたいだ。全身が泡立つように光に包まれ、扉の中に消えていく。
扉が閉じ、魔力の奔流が停止したあと、アレスは小さく息をついた。
そんな彼女に、広場に造られた簡素な玉座から声がかかる。
「アレス、あれ、民間人」
「なんのことでしょう。数が多かったものですから」
「ぼくに嘘をつくなら、もう少し考えなよ」
魔王はやれやれと腕を組んでため息をついた。
「しかし、その民間人に死角から魔力をぶつけて強制転移させたのは魔王です」
「……あれはちがう。少し、その、生意気だったから」
「ふふ。さて、我々も様子を見に参りましょう。事の次第を見守らねば」
「まったく」
トキが打ち上げられた魚のように海岸線に飛ばされていることなどいざ知らず、帝国の魔王と攻城局長は静かにその場を後にした。
次話投稿は明日19時です。