辺境の大薬園
額から流れ落ちる汗をぬぐい、僕らは一歩、また一歩と足を進めていく。砂地が所々に見え隠れする中に、オアシスのような水辺が点在している。珍しい多肉植物が花を咲かせ、見つけるたびにレナが嬉々として走り出す。
「サボテンです!」
「見れば分かるけど」
「そうなんですか? 詳しいですねトキさん」
レナが驚いたように僕を見る。ストースも意外そうな顔つきで僕の方を眺めていた。言われてみれば、こちらの世界でサボテンを見たのは初めてだ。帝国は降水が多く期待できる地域が多く、こういう乾燥した環境に適応した植物はなかなかお目にかかれない。
「はじめて、みた」
「そうですかそうですか! シヴちゃん、これがトゲ座ですよ。ここからサボテンのトゲが伸びるんです。生えたてのトゲなら引っ張って抜くこともできますが、成長したやつは怪我をするから触ってはいけません……こっちのオウギサボテンは立派ですね。見てください、三又に分かれてますよ。この大本の部分が親茎節です、胴回りが太くて強そうでしょう?」
話し始めたら止まらない。
この調子で解説を聞きながらアノマリスに向って歩き出してから、かれこれ一時間が経過しようとしていた。
アノマリスの周囲はその距離に応じて気候帯が大きく異なる。僕らが歩いている外縁部は気温が高く、場所により熱帯の気候から砂漠帯の気候が分布している。もう少し歩けば温帯地域に差し掛かり、宝樹の幹に近づけば、針葉樹林の生い茂る冷帯から、わずかな草地の広がる寒帯に向かうこととなる。
「寒帯とはいっても、雪が降っているわけではありません。あくまで陽道のそばですから。アノマリスが上空の大気温にまで影響を与えることはありません。あれ、ハナちゃんどうしたの?」
「ウカノキ、見つけた……よ」
意気揚々と前を進むレナの服の裾を引っ張って、ハナが話しかける。彼女は長いベージュの髪で顔を隠したまま、おずおずとそう言った。
「わぉ、流石ハナちゃん薬園の天使! 皆さん、私、一足先に観察してきます!」
「あ、レナちゃん……!」
パタパタと足音に取り残されて、僕ら一行と一緒にハナはレナの後を追うことになった。
「大丈夫? 水分補給とか」
「あ、大丈夫……です。ありがとう、ございます」
ハナは小さく頷くと、少し顔を伏せた。どこか僕らに対して恐怖心が拭えないところがあるように感じる。今日出会ったばかりであれほどまでにフレンドリーなレナがおかしいといえばおかしいのだが。
「レナちゃんとは、いつから友だちなの?」
「友だち?」
ハナは目をきょとんとさせてこちらを向いた。大きな瞳に、艶っぽい灰色が美しい。
正直に言って、意外な反応だった。
「えっと、違った?」
「いえ、違わない、ですけど……。友だち、でしょうか。私たち」
「そういう風に見えるよ」
「そうです、か……」
言い淀みながら、少し頬が紅潮するのが分かる。言葉にするのが恥ずかしいのかとも思ったが、そういうわけでもなさそうだ。彼女は少しうつむいてから、ゆっくりと顔を上げた。
視線の先では、一輪の花の前で座り込み、熱心に観察するレナの姿が映っている。
「レナちゃんは、私の憧れ、です。決して届かない、星のようなひと」
「星かぁ」
「はい」
彼女の真意は測りかねる。だが、まっすぐなその瞳に、僕はそれ以上言及するのをやめた。
「それだけ大切なら、友だちでいいんだと思うよ」
「そう、でしょうか。そんな簡単で、いいんでしょうか」
「そう呼びたいと思う人が、ハナちゃんの友だちだよ」
彼女はしばらく僕の方を見上げると、何かを確かめるように歩みを早めた。枯れた草地を進んでいくと、座り込んだレナがこちらを向いて微笑んだ。
「間違いありません、ウカノキです。まだ若い個体なので、採取には気が引けるのですが……仕方ありませんね」
言うと、彼女は根元からその植物を引き抜いた。
「しかし珍しいです。ウカノキがどこに生息するか、知っていますか? もっと寒冷で水の多い地域を好む子なんです。だから『薬園』の中心部での生育がみられる種なんです。こんな環境でウカノキが生育しているなんて、突然変異としか」
まじまじと真っ白い花弁を観察しながら、レナはそう付け加えた。
植聖ゼルに話を通した僕たちは、ひとまずウカノキの植生を観察しつつ、この「薬園」に紛れ込んでいると思しきホロウメラデュラの生態を一緒に調査する腹積もりでやってきた。ゼル本人は別件で用があるとかで同行しなかったが、代わりに彼の弟子だという薬師見習のレナ、そしてサポートのハナの二人組がガイドについてきてくれることになった。
「レナさんたちは、毎日こんなところに来ているんですか?」
ストースが問いかけると、レナとハナは顔を見合わせる。
「もちろんです。『薬園』の恩恵を失えば、私たちは生きていけませんから」
「あぁ、いや、そうか」
思わず言い淀むストース。彼が気圧されるほどに彼女たちの瞳は真っ直ぐで、それは敬虔な信者が神を賛美するようにも見えた。
「ちょっ、ちょっと待って、それ、ホワイトフェザーなの……?」
「ほわ……あぁ、調剤名ですね。はい、ハナちゃんが発見して、私が確認したんです。間違いないと思いますが……どこか気になりますか?」
「いや、だって」
僕は言葉に窮した。
遠目に見たときは、レナが魔術で何からの分析を加えているところなのだと思っていた。しかし、今彼女の横に立ってウカノキを目の当たりにした僕は、そいつが明らかにウカノキじゃないことをまざまざと思い知ってしまったのだ。
「トキ君?」
「ストースさん、これはウカノキじゃない」
「そんなはず……花弁の枚数、おしべの本数、葉の形と葉脈の形状、葉の付き方も、どこからどう見てもウカノキです。疑うなら根も見てください。特徴的な返しの付いた根先があります、これは微生物を取り込んで栄養にするための……」
まくしたてながら、レナは根の先まで指をつぅっと滑らせる。そして、その抵抗感のなさに絶句した。何度も何度も、様々な箇所の根に触れ、指を滑らせ、そして脂汗を垂らしてこちらを見た。
「……本当だ。違う。ウカノキじゃありません。でも、こんな……こんなの」
「レナちゃん?」
僕の呼びかけにも答えず、レナは一瞬言葉を飲んでその場に立ち尽くしてしまった。
「気持ち、悪い。こんなこと、あり得るの?」
「レナちゃん……!」
ぐいぐいと手を引っ張って、ハナが彼女を正気に戻す。
レナは我に返ったようにハナの心配そうな表情を認め、ふっと深呼吸をした。
「レナちゃん。これはウカノキじゃない」
僕は改めて彼女に伝える。
僕の眼に映るこの植物がどれだけ異質なのか、そのすべてを伝えることは難しいけれど。
彼女が携えた一輪の花、その至るところに刻まれた楔模様の紋線。蠢くその魔力の塊が、僕の眼には蟻の巣を覗き込んだみたいに視えていたのだ。
「それはインケラーシャ。特危名、ホロウメラデュラ」
「そんな。これが……ホロウ、メラデュラ?」
レナがその名を口にした瞬間、隣に立っていたハナが小さく震えた。魔力を感じたのか、本能的な防衛本能なのかは分からない。だが、どこか怯えたように、警戒の対象であったろう僕の真っ赤なポンチョの裾を握りしめていた。
「分かりました。いいえ、今なら分かります。これは確かにウカノキではありませんし、ウカノキの突然変異種でもありません。もっと歪な、誰かが悪意を持って真似たような醜悪さを感じます」
見ると、ぎゅっと握られた手の中で、ホロウメラデュラの花弁が見る見るうちに萎れては砂細工のように崩れ落ちていく。
「とても、とても精巧な人形を見ている気分です。見る人を喜ばせる人形じゃなく、見る人を欺く人形を。髪も瞳も、手つきも腰つきも、滑らかにしなやかに作られているのに、着飾った靴の下では足の指が粉々に砕けているような……そんな空恐ろしさを感じます」
手の中で灰のように崩れ去ったホロウメラデュラを払いのけて、レナが僕たちに向き直る。
「……すみません、急ぎましょう。大薬園『マクトベラシュカ』は目と鼻の先です」




