再誕の樹1
帝国最南端である第二区から、さらに南下すること二千キロ以上。たどり着いたゼプキル市は、話に聞いていた以上にガラの悪い自治領だった。
高さ二千メートルにも及ぶ宝樹アノマリスが、誇張でなく山脈のように荘厳な威容を呈し。その周囲はアノマリスの生み出す陰の影響で、下草のひとつも生えないものだと考えていたが、実態はその真逆だった。
その巨大すぎる大木がほとんど地形そのものと等しく、アノマリスに近づくほどに標高は高く、気温は低くなっていく。笠による陰のでき方は想像以上にまばらで、同じ標高でも頗る日が当たる乾燥地がある一方で、万年日陰の泥炭地のような環境も形成されている。
つまるところ話は単純で、ここにはあらゆる植生が観察できるのだ。アノマリスと競合できないためか、森林の類は宝樹の傘の木漏れ日を享受できる、限られた地域にしか生育できないらしい。一方で、背の低い草本類はそこら中に生い茂っている。
アノマリスの中心から、植生の外縁までは半径にして約五キロメートル。これはアノマリスの作る陰の影響を確実に受ける範囲を算出したもので、このさらに外側にも熱帯・乾燥帯に分布する植生が連なっている。
そうしてようやく十キロメートルも離れたところで、人間の作る市場が軒を連ね始める。当然と言えば当然だが、日照の都合上、人間の居住地はアノマリスの南側に集中することになった。マーケットの中にちらほらと「薬園」で働く者たちの家屋が散見するが、ほとんどの居住区は市場を挟んでさらに外側に広がっている。
「ここ、薬屋じゃないみたいですけど」
薄暗い建物の間に挟まれた一軒の店を、僕らはまじまじと眺めた。
チンピラに聞いた店の場所を頼りに来てみたはいいが。
「店の名前が読めません」
「うん? 確かに、見慣れない文字ですね。ゼルは帝国出身者のはずですが」
ストースも怪訝な表情で僕と顔を見合わせた。
「トゥーヴェン=ジユ、ゆぬ」
「シヴ、読めるの?」
すると、ひょこっと顔を出した彼女が何の気無しに読み上げてみせる。
原生群島の文字なのだろうか。言語体系が統一されているとは思えないが。
「ゆぬ。シヴの、もじ、すこしちがう。でも、よめる」
「意味は分かる?」
シヴは頷くと、少し首をかしげて考えた。
「ジユ、は、かんたん。これは、『たね』。くさとか、はなの、『たね』」
彼女はなんとも言えない歯痒そうな顔で僕を見つめる。
「トゥーヴェン、せつめい、すごくむつかし……きちょう?」
「大切な種ってこと?」
「ゆぬ、でも、もっといみちがう。せつめい、むつかし、むつかし」
頭を抱え始めたシヴ。
普通なら特段こだわらなくてもいいのだろうが、僕らはゼルの店の名前を、荒くれたちから聞いているのだ。それも、ひどく僕らの耳に慣れ親しんだ「帝国語」の名称で。
「どんな風に使う言葉なのですか?」
ストースが問うと、またしばらくシヴは言葉を詰まらせた。
「じじ、こわれない。すごくめずらし。きちょう」
「ジジ?」
「ゲートキーパー翁の事ですね。シヴは彼のことを畏れ多くも『じじ』と呼びます」
「孫かよ」
軍政三極、国防のトップをじじ呼ばわりとは。
しかしそもそも帝国側に来たばかりの頃のシヴは、ほとんど帝国語を知らないはず。そんな呼び方をシヴはなぜ知っていたのだろう。
「魔王様が吹き込んだのですよ。面白がって」
「そんなことばっかしてない? あの人ひまなの?」
「割と暇なのは事実ですね、昔と比べて……それでシヴ、ゲートキーパー翁は貴重だから……トゥーヴェンですか?」
ストースが話を戻すと、シヴは小さく首を横に振って見せる。
「じじは、トゥーヴェン、ちがう」
「なるほど?」
続きを促すと、シヴは僕らを指さした。
「まおう、こわれなかった。これも、めずらし。ストース、こわれそう、でも、まだこわれてない。これも、めずらし。トキも、めずらし」
一拍空けて、彼女は続ける。
「まおう、ストース、トキ。トゥーヴェン、ゆぬ」
「……順番、ということ?」
「いえ、繰り返し、と言った方が適切かもしれません」
ストースが思案顔でシヴに問いかける。
「シヴ、ココリアの果実は知っていますか?」
「ゆぬ。オレンジ、おいしい」
「青いココリアを初めて見つけたら、トゥーヴェンですか?」
「ちがう」
「一年後に、たまたま、もう一つ見つけたら、トゥーヴェンですか?」
「ゆぬ」
「さらに一年後に、また一つ見つけても、トゥーヴェンですか?」
「ゆぬ」
ストースは得心が言ったように、霧の晴れたような表情になった。なるほど、確かにと僕も考えた。
結局、ゆぬって何なんだ?
「つまり、想像もしないような世にも珍しい現象が、『またもや』起こった場合ということ。さしずめトゥーヴェン=ジユとは」
ストースの言葉を耳にしつつ、手元の略地図に走り書きされた店の名前を確認する。
「『再臨せし種』といったところでしょう」
書かれた店の名は、「再誕の樹」。
どことなく近しい。種子と樹では随分違うようにも感じるが、再臨と再誕はかなり匂わせるものがある。
言うが早いか、ストースが店の戸に手を掛けようとした時だった。
「いらっしゃいませ! ハーブですか? お薬ですか?」
メインストリートの側から、身体中に擦り傷を作った二人の少女が、僕らの方に駆けてくる。
一人は燃えるように鮮やかな赤い髪の少女。首元には対照的な青いリングを嵌めている。はきはきと元気がよさそうで、もう一人の女の子の手を引いて、ぱたぱたと走ってくる。
もう一人はクリーム色の長い髪を無造作に振り乱して、褐色の肌には生傷の跡が多い。反対の手に抱えたザックの中には、おそらく「薬園」で採取してきたのであろう、色とりどりの薬草やハーブ類がパンパンに詰められている。
赤髪の少女は店の戸をギィっと引いて、僕らを中へと促す仕草をした。
「ようこそ、『再誕の樹』へ! 薬師見習いのレナです! それと……わわ、大丈夫!?」
レナはよろよろとふらつきながらついて来た褐色の少女を介抱した。肩で息をしている。へろへろになっているらしい。それを見て苦笑いしながら、彼女の紹介も続けてレナがしてくれた。
「ごめんなさい、この子はハナちゃん。たまにお店を手伝ってもらっているんです」
薬師見習いのレナ、「薬園」の労働者ハナ。
この小さな二人組に連れられて、ついに僕らは踏み入った。
この出会いがもつ意味を、今の僕らは知る由もなかった。




