表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王のインケラーシャ  作者: Lopeye
勿忘草の胎動

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/71

幻王の龍4

 瞬く瞳は鈍い銀白色。

 首を持ち上げたその龍は、僕らの前に翼を広げた。

 風圧にシヴが戦き、僕の後ろに隠れる。

 ストースは弓に手を掛け、鏑を右手に生成する。だが、頬は引きつり、眉間に皺が寄っている。彼の腕が反射的に動いただけだ。首筋を伝っていく汗が、彼の鼓動を代弁していた。

 ドクン、ドクンと脈打つのが聞こえるような。

「聞こえるような……?」

 あぁ、違う。

 僕の心臓の音? いや、それも違う。

 彼の龍の威圧感に圧倒されて、すっかり頭から消えていた。

「トキ?」

 シヴが心配そうに僕を見上げる。

 僕はフードを被った彼女の頭をくしゃくしゃ撫でてやる。

「やってみるしかない。魔王の言うとおりに」


 恐怖に竦む心。だが、不思議なことに身体は怯えていない。

 手の中で脈打つ龍の心臓が、僕に伝えてくるのだ。

 幻王と、苔生した龍のこと。彼らがどんなに、互いを信頼し合っていたのかを。

「下がりなさいトキ君、危険だ!」

 冷や汗が噴き出す。逸る心臓の鼓動が止まらない。

「この乱数領域の主はアンバール様だ! その方の意志ひとつで何が起こっても……!」

 生い茂った草地に、一歩踏み出すたびに花が咲く。視界を埋める色が変わる。

 千年の緑から、ビビッドな薄桃色に。影を落とす紫から、喪失したモノクロへ。

 一歩ごとに、世界の景色が変わっていく。


『…………』

 眼前に屹立したアンバールは、黙って小さな僕と向かい合う。

 僕は足を止めない。

 一歩、一歩、一歩。

 柔らかな草地を踏みしめて、その龍を視界から外さない。

 ストースが何事か叫んでいるのが聞こえる。

 シヴの魔力が僕を護るように纏わりついている。剥き出しの警戒心が龍を威嚇していた。

 だが、アンバールは微動だにしない。

 龍は待っている。

 息吹が聞こえる。その魔力が陽炎のように、僕の前に揺らめいている。

「君は、ずっとここにいたんだ」

 龍は人語を理解できる。エルフの古代語も、神の『ことば』すらも。

 しかし、問いかける僕に応える言葉はない。

「君に、頼みごとをしに来たんだけれど……」

 この神にも等しい龍を前にして、誰が使い魔になってくれなどと口に出来よう。

 幽玄に揺れるその姿を目に出来ただけで、僕の心は充溢してしまった。


「これを、君に返しにきた」

 手の中で脈動する君のいのちを差し出す。

 僕の言葉に呼応するように、龍の心臓はその魔力光を一層強め始める。脈動は僕の身体に響き渡り、打ち鳴らすように震わせる。

『…………』

「どうしたんだ?」

 龍は僕を見つめたまま、心臓を受け取ろうとしない。僕が直接彼の身体に触れる必要があるのか、そう勘繰った。だがその瞳は僕を射貫くばかりで、そんなことを求めてはいない。

「そんな、まさか」

 鳥肌が立った。

 僕の内側で、誰かが呼びかけてくる。ブラックスワンを貫いた時と同じだ。進めと、戦えと、僕に呼びかけたその声が、今もまた聞こえる。

 だが今度の声は、もっと優しい。

 そいつが僕に求めたのは、たった一つだけ。

「やっぱり一つ、お願いを聞いてほしい」

 こんなわがままが許されるものか。

 食いちぎられて死んでしまうのがオチなんじゃないか。

 そんな思考が脳裏をよぎる。

 だというのに、止まらないのだ。響き渡るその声が、僕の身体が、その龍に手を伸ばす。

 そしてもう一度君を見た。銀の瞳のずっと奥。朱く光る、君の本当の色を視た。


「僕とも友だちになってほしい。アンバール」

『…………』

 僕の言葉と同時に、アンバールの体表にこびりついた苔が剝がれ始める。

 それは最早、脱皮と言って差し支えない。

「ぐっ、ああぁあぁあ!!」

 突如、右の掌に激痛が走った。突き刺すような痛み、そして、灼けつくような熱。

 手の中に収まっていた心臓が輝きを増しながら、僕の右手に溶け込んでいく。溶解した鉄をかけられたみたいだ。正気を保てなくなるほどの痛みに、絶叫しながらのたうち回る。

「トキ君!」

 ストースが弓を構える。

 張り詰めた弦から伸びる三本の矢が、龍の額を真っ直ぐに捉えている。

「待っ……!」

 しゃがれた声が、喉の奥から絞り出される。

 だが、言うが早いか、僕の脇を小さな影が雷光のごとく追い越していく。

「ウム=カジャ」

 一閃。

 シヴの右拳が、アンバールの尾と衝突する。

 圧倒的な質量をもつ龍の一振りに、一歩も引かずに彼女は拳を振り抜いた。

 雷鳴の如き魔力の衝撃音が辺りに響き渡る。

 地響きと共に空間自体が歪曲し、あろうことか、シヴはアンバールの尾を弾き飛ばした。


「シヴ……ぅえ゛っ」

 彼女は振り抜いた拳の勢いのまま空中でくるりと回ると、わざわざ僕の肩の上に着地した。この子はいずれ僕の首を破壊する気がする。

「トキ、だいじょうぶ?」

「うん、うん。大丈夫、だぶん」

 アンバールの心臓が溶け込んだ左の掌をまじまじと見つめる。外傷はない、が……。

「トキ君! 無事ですか……って君、それはまさか」

 手際よくアンバールとの間に結界を張りながら駆け寄ったストースが、呼吸を荒げて僕の手を見つめている。当のアンバールはというと、ただじっと僕らを見つめるだけで、動く気配もない。

 僕の左手に外傷はない。外傷はないのだが。

黒契爪(こくけいそう)……?」

 ストースは、力が抜けたようにその場に座り込んだ。

 僕の左手の爪は、すべて真っ黒に染まっていた。

 苔の皮を脱ぎ捨てたアンバールは、その身体を純白に染め上げていく。見るほどに美しく、視るほどに畏ろしい。なぜか僕の目からは、涙が零れていた。

 龍は小さく僕に視線を送ると、その両翼を翻す。

「われる、ゆぬ」

「嘘だろう!? 待ってください、アンバール様っ!!」

 シヴの呟き、そしてストースが叫んだ瞬間、領域自体が柱を失ったように崩壊し始める。割れ落ち、剥がれ落ち、僕らはまた、真っ白な世界に飲み込まれていく。

 ストースが手を伸ばす。その先に小さく輝く龍に向かって。

「アンバール様!!」

 彼の声が、シャットアウトしたように掻き消える。世界が閉じ、僕らは昇っていく。導かれて、昇っていく。帰るべき場所は、僕の右手が知っているらしい。手を掴まれたみたいに、君が待つ場所へと惹かれていく。

 ストースの腕を掴み、シヴの身体を抱き寄せる。

「還ろう」

 ぐにゃりと歪曲する三半規管。

 激しい頭痛に見舞われながら、僕らは世界を越えていく。


 ゆっくりと目を開けると、見知った顔が僕らを待っていた。

「おかえり」という言葉を期待するのは、図々しいだろうか。

 家主は、彼女には大きすぎるソファに横たわって、小さな寝息を立てていた。

 ストースが、「まったく暢気なものです」と言ってへたり込む。

 シヴは「シヴも、ねる」と言って床に転がる。

 僕はというと、静かに魔王の傍らに跪き、細い身体に毛布を掛けてやった。

「ただいま」

 返る言葉はない。そんなものは要らない。

 なぜか彼女の頬を伝うひと雫の涙を、真っ黒に染まった指先で拭った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ