幻王の龍2
それは、『苔生した龍』と呼ばれている。
幻王が在位中、唯一心を許した友人とも。
かの龍は、幻王の使い魔ではない。出逢い、分かち合い、そして共にあった。
五年前の大戦にて主と言葉を失い、龍は回遊する幻の世界で眠りについた。
かの龍は思慮深く、かの龍は智慧深し。
世界が生まれる時に現れ。世界が目覚める時に、彼もまた覚醒する。
「という感じの話」
「仰々しいね」
第七区の邸宅に僕らは帰ってきた。
正確には帰ってきたのは僕とソフィだけで、シヴとストースは連れてこられたという方が正しい。ソフィの転移魔術で、まさに瞬く間にたどり着いた。いつだったか、秘密道具で最も便利なのは、結局のところ『どこへでもドア』だという結論にたどり着いた僕だ。ソフィの転移もこの世で一番便利な魔術の一つではなかろうか。
「そんなこと言ったって、実話だもん」
「じゃあ覚醒しないんじゃないの? 世界が目覚めないと」
「気づいてないだけで目覚めてるかもしれないだろ、世界」
「なんだそれ」
邸宅に入って荷物を片付けながら、僕らはぶつぶつ言い合った。彼女は指先に魔力を整えると、部屋の隅に置かれた『たからもの箱』をノックして、古びた石くれを取り出した。ネーミングが子ども過ぎる。
「なんか文句ある?」
「いやないけど、わっ」
放り投げられたその塊を両手でキャッチする。意外と丸みを帯びていて、すべすべだ。色は深い紅、造形も凝っていて、細かな線の装飾が施されている……ように見えるのだが、人工物という感じがしないのはなぜだろうか。何か機能美のようなものを感じる。それでいて、あくまで自然物だというのが直感的に分かるのが不思議だ。
「なに、これ」
「トキ! トキ! ドラゴンっ! ゆぬー!」
「なんてことしてるんです!! 罰当たり! 罰当たりですよ魔王!」
疑問符を浮かべる僕に比して、大興奮のシヴと、ドン引きのストース。
僕が抱いたその石塊は、突如として生き物のように脈動し始める。激烈な魔力の高まりに、思わず顔を背けそうになった。その魔力光はひどく歪で、暗い朱にも、眩き白にも、そしてどこか苔生したような緑にも視える。
「それ、ドラゴンの心臓」
「はぁ!?」
「幻王が『契り』を交わしたときに封印していたんだ。いま解けたけど」
「いや何してるの!?」
「うるさいなー」
聞こえませんと言わんばかりに、ソフィは両耳に指を突っ込んだ。
顔はそっぽを向いたまま、目線だけこちらに向けて彼女は言う。
「それは返してあげて。目覚めたなら、無いと困るだろう」
「返すって言ったって……」
まさか、そんなこと。
「乱数領域なんですよ!? 帰ってこられる保証なんか!」
「シヴ、いきたい」
「子どもは黙っていなさい」
「まおうも、こども」
「きさまっ、このっ」
頼むからこれ以上面倒にしないでくれ。
嫌な予感がする。この魔力光はまずい。これには魔王の『どこへでもドア』をさらに禍々しくしたような手触りがある。
目線をやると、シヴにデコピンを食らわせていたソフィが気づき、僕に手を振った。
「困ったら指輪。それとドラゴンの名前、覚えてる?」
「え……アンバール」
「よし。いってらっしゃい、トキ」
悪戯っぽく笑っているのだと思った。実際、彼女は笑っていた。
ただ、その時のソフィは嬉しそうにも、どこか悲しそうにも見えた。
「トキ君!」
「トキー」
「あっ、こら駄目だ! トキ独りで行かせなきゃ……!!」
魔王の制止も聞かず、シヴとストースが僕を包む光の中に割り込んでくる。珍しく本気で止めようとするソフィの声が、霞の彼方に消えていく。
温かいログハウスの空気が遠ざかり、天板の木目が視界から消え去り、ねじ曲がった三半規管がぐるぐる回ると、真っ白な世界を僕らは落ちていった。
温かさも、冷たさも、空気も風も、音もない。
ただ光の中に包まれて、僕たちはいつの間にかそこへたどり着いていた。
「ここ、は……」
「ゆぬー?」
腰を抜かした僕が初めに見たのは、一面を緑に覆われた景色だった。凛と張り詰めた薄ら寒い空気の中、ゆるりと足元をすり抜けていく微かな風。大樹が聳える森林、樹海と言っても過言ではなかろう。その幹にはひどく太いツタが絡みついている。大樹の傘に隠れて日光がほとんど差さないにも関わらず、低木や多くの草が地面には生い茂っていた。
「似ている。イヴルゴートの大森林なのか、ここは」
「ストースさん?」
「エルフの森だ。幻王も訪れたことがある。ずいぶん前に『禁域』に指定された、私たちエルフが、命がけで封じた森……いや、ここは乱数領域。そう見えているだけ、なのだろう」
呟いて、彼は一度目を伏せた。記憶を呼び起こすように指を組むと、ストースはゆっくりと目を開ける。
「……あなたも忘れてはいなかったのですね、原始の龍」
振り返る。
いや、振り返ったのではない。
最初から、僕はそれを見ていた。見えていながら、視えていなかった。
ストースの言葉に呼応して、もともとそこにあったものが、ようやく意味を成したのだ。
「…………」
大樹だと思い込んでいた。
いや、先程まではどう見ても大樹だったのだ。
『苔生した龍』。
その美しい銀の瞳が、微かな光を湛えて僕を見つめていた。




