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王のインケラーシャ  作者: Lopeye
勿忘草の胎動

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30/71

幻王の龍1

 その日のフラッグ戦は、防衛軍が川を背に攻城軍と向かい合う、文字通り背水の形で行われていた。攻城軍は、防衛軍が守る目標物を奪取することを演習目的としていたわけだが。

「だって、ストースさんが指さしたんだよ! シヴが目標物だって!」

「目標が動き回って襲ってくるわけないだろう、ばか!」

 ソフィが靴底で僕の背をがつがつ蹴ってくる。

「待って待って! 『被っているのを取れば』勝ちだって言ってたんだよ!?」

「石碑の儀式布をね! どこのどいつが! 女の子の服を! 追い剥ぎしろって!?」

「誤解なんだって!」

 なるほどストースが指さしていたのは川べりの石碑の方だったのか。完璧にシヴのぼろを剝ぎ取れと言う指示だと勘違いした。しかしそれはそれとして、ぼろ布の下に何も着ていないという予想こそつくまい。

 誰か一人でも僕の勘違いに気づいてくれればよかったものを、シヴが大暴れを始めてから、攻城軍も防衛軍もソフィの指示で撤退していた。そんな状況でなお僕が残されたのは誠に遺憾だが。

「風邪ひかないの、シヴ」

 蹴られながら、当の本人に声をかける。

「かぜ?」

 知らないのか、それとも言語体系が違うんだろうか。シヴはぼろ布を身体に引き寄せる。たどたどしい言葉遣いは、年齢によるものだけではなさそうだ。

「それで、私たちが呼ばれたのはどういうわけで?」

 ストースが歩み寄ってくる。

 短時間に大量の矢を放っていたはずだが、汗ひとつかいていない。群青の長髪が翻り、澄み切った白弓が伸びやかに揺れる。

 ソフィはパチンと指を鳴らすと、一枚の羊皮紙を生成してみせた。ラカンの時と同じ、インケラーシャについての簡単なメモ書きだろうか。

「『ホロウメラデュラ』、ですか。まさか、まだ名付けただけ?」

「そ。異常性の調査から始めないとね」

「それはまた難儀ですね……そんな状態で、ヘルメス君抜きですか」

「入院中だからね。引きずってこようか?」

「やめてあげてください」

 魔王はクスクス笑った。放っておいたら、本当にやりかねないから恐ろしい。

 ストースは鏑を一つ取って、地面に打ち立てた。魔力が流れる。精密で細やか、絵画のような紋線。それに呼応して、矢の先から土に線が走っていく。刻まれたその魔術線は山を抱き、河を描く。一息のうちに無数の線が気ままに広がると、浮かび上がったのは帝国の地図だった。

「それで、ホロウメラデュラは何区に?」

「何区でもないよ、ここ」

「自治領……! 手を出しても平気なんですか?」

「平気じゃないけど。手を出さなかったらもっと平気じゃなくなるかも。今回は志願兵募ってないんだ。三人で行ってきて」

 魔王が指さしたのは、帝国最南の第二区をさらに南下した自治都市ゼプキル。帝国『自治領』は、近年帝国に併合されたばかりの地域だ。文化、統治機構の違いによる混乱を避けるため、基本的な政治体系は併合前とあまり変わらない。

「ゼプキル市、ですか。嫌な予感がします」

「アノマリスのこと?」

「それもありますが。……あそこは好きじゃない。エルフはみんなそうですから」

 ぴくっと眉を動かして、ソフィはストースの顔を覗き込んだ。

 いつもより、1ミリくらいしおらしい。

「……なるほどね。それはごめん」

「いいですよ、私は慣れてますから」

「ん。頼むよ」

 言いながら、靴の下に敷いた僕をぐいっと持ち上げて立たせる。

 そんな僕らを横目に、ストースは弓の弦を弄んだ。

「しかし、私だけとなると、その……」

「何か気になることがあるんですぐぇ!?」

 よろけながらふらつく足を整えていると、何かが背中にぶつかってくる。その小さな生き物は僕の身体を木登りよろしくぐりんぐりん這いまわった挙句、頭上で落ち着いたらしい。いや、落ち着いたらしい、じゃない。肩に足を掛けるな。

「シヴ?」

「ゆぬ?」

「いや、ゆぬじゃない」

 見上げた先で、シヴが身を震わせてにこにこ笑っている。

「んへへ。だっこ」

「だっこじゃない。肩車だ」

「何やってんだか」

 ソフィがため息を吐くが、ストースは何やら満足そうにこちらを見つめていた。

「何です?」

「いや、シヴのことはトキ君に任せるよ。私は彼女に嫌われがちでね」

 彼はさらに一本矢を取り出すと、地面に描かれた帝国地図に、ガリガリと矢印を描き込んでいく。帝国西側に広がる、ここ第七区が起点だ。点々と軍事施設を横目に見ながら、石畳を進むことになるだろう。

 途中、南の第二区も通過していく。陽道に近いこの第二区は、帝国の中心とは気候が大きく異なり、文化も自治領とのハイブリッドという様相を呈すという。地理的に移民人口が多くなるのだから、当然だ。

 だが、実際のところそういう問題じゃない。

「……ここからゼプキル市まで、どのくらいの距離なんです?」

「うーん。概算で第二区まで五千キロくらいあるから、そこから陽道を越えてゼプキル市まで入るとなると……七千五百キロくらい。直線距離で」

 確か、日本の領域って南北三千キロくらいじゃなかったか。それも地図じゃ見えない離島まで含めて。

「一体どうやってそこまで」

「あるく、ゆぬ?」

「無理でしょ」

 普通の人間なら一日に二十キロも歩けばうんざりしてくる。三十キロで限界じゃなかろうか。いや、この際構わない。仮に限界を超えて毎日六十キロ歩いたとしよう。到着は百二十五日後だ。ばかばかしい。

「使い魔とか、心当たりはありませんか」

 ヘルメスの馬を思い出す。その驚くべき脚力は、速過ぎて目を抜くような想像すら及ばない。まことに千里の馬であった。

「残念ながら、私の使い魔は小動物だ。とても、背に乗れるような代物じゃない」

「シヴは?」

 ともすると頭の上で寝てしまいそうな彼女を揺さぶって起こす。

「シヴは、とり、でる」

「大きい鳥?」

「ゆぬ。でかい、でかい」

 ほぉ。これは僥倖だ。

「三人乗せて、飛べそう?」

「とべる。でも、のるは、あぶない。ぼんぼん! ゆぬ」

「ぼんぼん……?」

 縁起は良さそうだが。あやかりたい響きだ。

「シヴのはやめた方がいい。トキ君もみれば分かるよ。あれは神様みたいなものだしね。流石に乗る気にはなれないよ」

「じゃあ」

 ふいっと顔を逸らしたソフィの視線の先に回り込む。すると、今度は逆方向に顔を逸らされた。なんだこの子ども。

「ソフィ」

「なんだい、まさか、ぼくの使い魔を借りようなんて言わないだろうね。魔王だよ、ぼく」

「借りたい」

「きみというやつは! いつまでたっても口の減らない!」

 彼女は顔を真っ赤にして鳩尾を叩いてくる。力加減を間違えられると死ぬ可能性があるので、可能な限り丁重に願いたい。

「ぼくの使い魔はね、その、見せられないんだよ! いろいろあって!」

「いろいろって?」

「いろいろは、いろいろなんだ! 国家機密!」

「なんでも国家機密って言えばいいと思ってるよね!?」

 ソフィはぷんすか怒りつつも、ふと思いついたように、また一枚羊皮紙を生成した。何某かをさらさらと書き留めると、僕にずいっと手渡ししてきた。そこには多くは書かれていない。シヴとストースが、上から横から覗き込んでくる。

「『アンバール』……? なにこれ」

「ドラゴン。名前を呼ばないと協力してくれないから」

「え? 貸してくれるの?」

「いやいや『貸してくれるの』じゃない! それ先代のでしょう!!」

 ストースが唖然とした顔で、慌てて止めに入る。

 見上げると、シヴはよくわかっていないらしい。とりあえずドラゴンという語感が気に入ったのだろう、ちょっと目が輝いていて可愛い。

「トキ君、それは駄目だよ。幻王の龍は先の大戦で言葉を失っているんだ。意思の疎通が図れない龍に近づくなんて自殺行為だ」

「やってみないと分からないだろー」

「そんなことであの龍の逆鱗にでも触れれば……!」

「まーまー、どうせ近くまでは一緒に行くから」

 いじけた様子でソフィはそう付け加えた。

 僕もドラゴンを見たことはない。広大な帝国領内であれば、ドラゴンが当たり前に空を飛ぶ光景があったりするのだろうか。

「ほら行くよ、トキ」

「待ってください魔王。そもそも彼の龍は今どこに? わたしとて幻王の元臣下。方々を探し回りましたが、その痕跡さえ見つかった試しはない」

 追いすがるストースにも、魔王は振り返らない。黒いスカートが右に左に揺れる。そのフリルを追ってシヴの顔もあっちへいったり、こっちへ来たり。とりあえず僕も追随した。

「そりゃあ見つからないよ。あの子はいつも乱数領域で眠っている。覚醒させる鍵はぼくの家にあるけど、たぶんぼく、嫌われてるんだよね」

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