あばらの花1
転移の門をくぐってやってきたのは、第六区。帝国の西側に南北にわたって広がる区画は、その緯度の違いによって大きく気候を異にする。連れてこられたのは陽道……以前の世界で言うところの赤道にほど近い街、イテウ。
歩いているだけで、いや立っているだけでもじっとりと汗がにじむ。お気に入りの真っ赤なポンチョをかなぐり捨てて、僕は地面から照らし返す焼けつくような日差しを、顔を顰めて受け止めた。
第六区は軍事産業が盛んな地域で、軍部が管轄する研究施設や、軍の司令部その他の施設も多く軒を連ねている。デオルト宮殿のあった『文化区』こと花の第四区に比べると、道行く人の平均身長が十センチばかり高いような気がしてくる。たぶん先入観ではない。
「こっちこっち」
手招きするソフィはいつものパーカー姿ではなく、僕が用意した服装で前を歩いている。こんな熱波の中には似つかない上品なコーディネートになってしまったが、魔王は涼しい顔で、汗ひとつ浮かべることなく歩みを進めていく。彼女のスカート姿を見るのは初めてで、自分で選んでおいてなんだが、少し気恥ずかしい。時折周囲を通り過ぎる兵士たちは、彼女が魔王だなんて思いもしない様子で、歓談しながら歩み去っていく。
「顔、隠してるの?」
「隠してないよ、ほら」
「そういうことじゃなくて」
小さな愛らしい顔を指さしてみせる彼女に、僕は苦笑いで応える。
「特別、隠しているわけじゃないよ。ぼくは街を見るのが好きだから、あまり顔が知られていない方が得なんだ。錯覚の魔術なんて窮屈だし」
「ラカンのときは?」
「あの時は塔のてっぺんだった。あの距離では、なかなか顔までは見えないよ。フードもかぶってたし。たとえほんの一瞬見えたって、覚えていられない」
そういうものだろうか。ちょっと思案してしまう。たとえばラカンの市民に、彼女の顔を見た者が、それを覚えている者が、一人もいないなんて。そんなこと有り得るだろうか。
僕のそんな表情を悟ってか、ソフィはずいっと覗き込んでくる。
「何か気になる?」
「いや。でも、僕ならソフィの顔は一度見たら忘れない」
「なんっ!」
端正な顔が、おかしな表情に歪んでいる。でも、そんな表情でもすごく可愛いから不思議だ。きらきら光る金の瞳が、きょろきょろと行き場を失って小刻みに動く。
「ソフィ?」
「うるさい。こっち見るな」
「え、ごめん」
使用人の分際で、主の顔を凝視し過ぎた。僕は小さく謝って、とことこ進んでいく彼女の後を追いかける。
「それと、外で本名は呼ばないで」
「あ、そうだよね。いつも通りソフィだとアウト?」
「……ギリギリ」
「姫って呼ぼうか」
「このっ!」
外に出てみて分かったことがある。邸宅や王宮にいる時よりも、ソフィは外にいる時の方が、普通の女の子らしくなる。魔力を迂闊に外に出さないよう、余計な気配りをしているせいだろうか。今だけは、年相応のお姫様として接しても問題はない。
「入るよ、トキ」
たどり着いた建物は、軍部所属の魔法技術研究機関。外から見ると真っ白な外壁が美しい、なんとも病院じみた建物だ。
「レディ、入館証はお持ちで?」
「はいこれ」
「……確かに。ブラックパスです。どうか肌身離さずお持ちください」
「ん、わかってる」
「そちらの方はお連れで?」
「ぼくの従者だよ」
入口の警備兵と入館のやり取りを終えると、彼女はそのまま昇降機へと歩いていく。僕は遅れないよう後を追いつつも、見慣れない施設の回廊を見回してしまう。いくつかセクション分けされたこの研究施設は、その名称を『槍』と名付けられているらしい。
広い帝国だ。この『槍』以外にもいくつかの研究機関があるのだろうが、僕をこんなところに連れて来た理由が浮かばない。
「四階」
「はいはい」
ソフィに続いて昇降機に乗り込むと、僕は魔力を流して足場を動かした。僕に出来て、魔王に出来ないこと。その貴重な仕事の一つがこれだ。ソフィが使うと、昇降機はかなりの確率でぶっ壊れる。それも過負荷により魔力回路が焼き切れるとか、そんな生易しいものではない。足元から大破する。
「なにか余計なこと考えたでしょ」
「べつに」
異様に勘が鋭い。これは魔王の洞察力。
というより、僕の顔に出過ぎているんだろうか。
到着のベルが鳴り、彼女は昇降機から降り立つと、おもむろに口を開いて語り始める。
「きみに見ておいてほしいものが二つある」
コツコツ、とかかとを鳴らして。
さらさらと髪を揺らして、ソフィはその部屋へと入っていく。
青く澄んだ小さな明かりに照らし出されたその部屋は、一歩入った瞬間に別世界の香りがした。寒色のライトに照らされた一室は、十分に見通しが良い割に、どこか頼りなさと薄暗さを感じる。
「ミィナ、元気?」
「ソフィちゃん! 久しぶり!」
「一週間前に来た気がするけどね……や、やめないか!」
ミィナと呼ばれたその人は、ソフィを抱きかかえると、くるくる回り始めた。なんだろう、プリンセス映画で見た気がする。つまり間違いではない。場違いではあるが。
「そっちの人は? 新しい付き人さん?」
「そう、トキだ。大概役立たずだが、今回ばかりは役に立つだろうと思って連れて来た」
「随分な言い草だな」
ソフィは暴言を吐きながら、僕に近寄って耳打ちする。このミィナという研究者を含め、彼女が魔王あることを知っている研究者はほとんどいないらしい。
「よろしくねぇトキさん。いやぁ、ソフィちゃんのお父様にはお互い頭が上がらないわね!」
「そうですね……(そうですね?)」
「(ぼくの父が研究所に資金提供していることになっているんだ)」
なるほど。室内を見渡すと、夥しい数の未知の植物で溢れかえっている。その葉やら蔓やらは壁を伝うだけでは飽き足らず、天井にまで息吹を広げていた。
「こちらですトキさん、どうぞ」
ミィナはにっこりと笑うと、部屋の奥まで案内してくれた。
長い栗毛はサイドに纏められ、ベージュのシュシュが上品にあてがわれている。白衣姿で身体のラインはよくわからないが、顔つきからして、人間であれば20代前半だろうか。もしそんな年齢で魔技研の一室を占領しているとしたら、とんでもない逸材だ。
彼女のことも気になるところではあったが、僕の興味はすっかり部屋の植物に移っていた。あちこちに広がる植生を眺めながら、僕が尋ねると彼女は嬉々として応えてくれる。
「あれはヘロウメの葉ですね。そう、燃えているやつです。危なくないですよ。表面の油が特殊な魔術反応を起こして、発火点を著しく下げる働きをするんです。だから、炎の温度は手で触れても火傷する程度です」
「……それは危ないですよね?」
多少価値観がバグっているところはあるみたいだが、一つのことに熱を傾ける研究者というのは、往々にして周囲と価値観がずれるものだ。そう自分に言い聞かせて、部屋の奥を目指す。
すると、不意にミィナが床に咲いた一輪の花を指さして言う。
「あれには触れないでください。結構危険です」
「……床に置かないでもらえません?」
あんたが言うんだから相当だ。人の二、三人は死ぬんじゃないか。
「あれはネバーゲイン。花粉を吸い込むと、大脳皮質に影響を及ぼすことが分かっています」
「大脳皮質って……」
「ヒト種をはじめとする多くの種族で、記憶を司る部分ですね。特に過去を遡り、重大なトラウマを呼び起こすことがあります。人によってはショックで寝込んだりすることもあるので、注意してください」
薄々感じていたことだが、帝国のこういう知見は前の世界と変わらないレベルまで研究が進んでいる。特に生物、地質や気候を始めとする自然科学の発展は著しい。彼らはこれを科学とは呼ばないが、やっていることは大して変わらない。
「では、開けます。ソフィちゃん、くれぐれも気を付けて」
そう言うと、ミィナは小さく息をついて、部屋の奥にあった分厚い扉を開錠した。
底冷えのする冷気が扉の先から足元に這い出てくる。
暗がりの中に灯されたランプが赤々と光る中、その花は僕らの前に姿を現す。
「これは……?」
通された部屋には、右手に白い花。左手に赤い花。
白い花は、スズランのように枝垂れたような花を、生い茂る緑の葉から覗かせている。葉脈は真っ直ぐで、茎は細い。一本の茎から複数に枝分かれして、二つ、三つと花を咲かせている。
一方の赤い花は、彼岸花を思わせる針のような花弁を開き、なぜだかじっとこちらを見つめているような不気味さを感じてしまう。その形状は両手の指で作った花のよう。もっと正直に言うなら、人間の腹を開いて肋骨の間を覗き込んでいるような空恐ろしさがある。
「こちらは通称ホワイトフェザー。正式にはウカノキという名前があるのですが、そう呼んでいるのは私のような植生研究者くらいです」
ミィナは白い花を指さして言う。いつの間にか口元にマスクを当てていて、よく視ると魔術的な細工が施されているのが分かる。僕が警戒していると、彼女は微笑んで言う。
「近寄るくらいなら大丈夫ですよ。ウカノキはそのままでは無害な植物なのですが、実を乾燥させて磨り潰すと、ホワイトフェザーという名前で取引される麻薬が作れます。乱用すると、一時の間『無重力感』を味わえるんだとか。動物実験の結果を見ると、程度の差こそあれ、全身の筋肉量と魔力量が、個体のキャパシティに関わらず増大する傾向があるみたいです。実際に『飛んでいる』ような感覚になるのも頷けますね」
「キャパシティに関わらず……?」
「魔族種やヒト種の先例では見かけませんが。動物実験では、魔力暴走や、筋肉が内側からはちきれて死滅するケースがあります」
想像してゾクリとする。肥大化した四肢で歩くこともままならず、筋肉の膨張により呼吸もできずに死亡するラットの姿。
「トキ。そいつにかかずらっている場合じゃない」
肩に小さな手が置かれる。
小さく呟いたソフィの黄金の瞳は、鮮やかな真紅に染まったもう一輪を捉えていた。どこかで見たことがある視線。そう、ラカンの聖塔で、落ち行く隕石のその先を見据えた、魔王の瞳に相違ない。
「よく視て。きっと、きみにしか視えない」
彼女の言葉に僕ははっとする。
鮮血の滴るような一輪花。
その表面にうっすらと浮かぶ魔力の紋線。
刻まれた楔模様。息が詰まる。背筋に怖気が走る。
ミィナが静かに、その名を口にする。
「こちらは特危名『ホロウメラデュラ』。未知のインケラーシャです」




