幻の王
6歳だったわたしはその日まで、大陸というものを知らなかった。
わたしの故郷ソラスは実のところとっても小さな島で、そのずっと向こうには、もっともっと大きな『帝国』というのがあるんだって。そこには、わたしたちには治せないような病気を簡単に治せる薬があって。みんな神様が決めてくれた永い永い寿命を生きるから、病気で死ぬ人はずっと少ないんだって。
そんな風に、小舟の上で、その人は言っていた。
優しい目をした人。
白い髪をした、少し背の低い男の人。
身体は小さいのに、びっくりするぐらいにアリューカラが大きくって、近づいただけで肌が灼けちゃうんじゃないかと思った。同時に、帝国の人のアリューカラがみんなこんなに大きいなら、それはとっても怖いことでもあった。わたしたちは、すぐに殺されて、奪われてしまうのではないかと、そう恐れた。
でも、彼は苦笑いをしてこう応えた。
「これでも王だからね」
私はまたびっくりした。
彼は王様だった。しかも、帝国の王様は、世界の王様なんだって。あとで老師がそう教えてくれた。つまり、わたしの王様でもある人なんだって。
彼はうずうずが止まらないわたしに付き合って、二日、三日、一緒に遊んでくれた。もちろん、その時のわたしは彼が王様だなんて知りもしない。わたしの村に流れ着いてしまったかわいそうなよそ者に、優しいわたしが案内をしてあげる。そんな頬が緩んでしまう話。
彼はわたしの取り留めもない話を聞きながら、なにかの「探し物」を求めていた。それは「バランス」を取るために、とっても大事なものなんだって。
王様はとっても姿勢がいいから、そんなものは無くてもいいんじゃない、と私は提案してみた。そうすると彼は小さく微笑んで、「オレひとりが真っ直ぐ立っててもダメなんだ」と、そう応えた。
わたしが彼と話したのはそれが最後で、次の日には王様はどこかへ行ってしまった。探し物は見つかったんだろうか。気になって、わたしはいつしか王様の「探し物」を「探す」ために歩き回っていた。
片手にいい感じの木の棒を持って、村を囲む森林を抜けて。川の流れをざぶざぶ横切り、低木をかき分けていくと、王様が漂着していた海辺に着く。砂地の大穴、洞窟の大壁画、山間の陵墓。いろんな場所を回ってみるけれど、いつもやっぱりゴールは同じ。彼がいたらいいのに、そう思って来てしまう。でも、理由なんてないけれど、心のどこかで、彼にはもう会えないんだと分かっていた。
そんなある日、男たちは、いつもの海岸に突然やってきた。わたしは王様がまた来てくれたんだと勘違いして駆け寄った。思えばその行動が、この地獄につながっていた。
近づいた瞬間に分かった。彼らはデューヴァイで、王様みたいにわたしたちのイディアを褒めてくれない人たちなんだって。わたしたちのイディアを「気持ち悪い」と罵る人たちなんだって。分かった瞬間、わたしは踵を返して森に逃げ込んだ。
心臓がバクン、バクンと大きく跳ね上がって、縮み上がった身体が言うことを聞かなくて。呼吸が細く、多くなって、意識が頭から遠のくような感じがして。デューヴァイたちはわたしの通った跡を調べて、ものすごい勢いで追ってきた。わたしは泣きながら、喚き上げそうな口に蓋をして、村まで逃げ帰った。
だけど、それがいちばんダメだった。
デューヴァイたちは、すごい剣幕でわたしの村にやってきて、大人たちはみんな捕まってしまった。逆らった大人は腕を斬られた。それでも逆らうと脚を斬られて、そこでまだアリューカラを使おうとする者がいれば、ついには首を落とされた。
男も女もみんな捕まって、裸にされて轡を嵌められ、手首を縄で縛られた。言葉がうまく通じないせいか、理由もないのに何度も何度もぶたれて。隣で泣き出したほんの十歳の女の子が、口の中に金属のトゲトゲを刺し込まれて棄てられた。
わたしはただ震えて、震えて、冷たくなる手をさすって、さすって。流れ落ちる涙をただ見続けて、声を上げずに横になるしかなかった。
糞尿にまみれた甲板。船酔いに吐く者。その吐瀉物の汁が船の木目を伝っていく。お母さんは船に載せられた日の夜に、誰だか分からない汚い男に連れていかれた。そのあと森の方で悲鳴が聞こえて、それで飛び上がったお父さんは見回っていた男に何度も何度も何かを懇願していた。
すると男は急に怒り出して、お父さんは何度も何度もおなかを刺されて殺された。そのあと何人かが森に入っていくと、数十分後にあの汚い男が拘束されて戻ってきた。裸のまま血を流し、目が半開きのまま死んだお母さんの遺体と一緒に。
拘束された男は見るに堪えないような呂律で、鼻息を荒げてよだれをまき散らし、何事か喚き散らしたうえ、どういうわけか仲間の男たちに首を落とされた。
わたしたちは鞭に打たれ、皮膚をめくれ上がらせながら、今度は鎖に繋ぎ直された。
そうして二日が経ったころ、ようやくそこにたどり着いた。
帝国の端の端。熱波の猛る黄道のやや南。
自治都市群の一つ、ゼプキル市。
わたしが夢見た王様の国。そこは、紛れもない地獄だった。
絶望に苛まれる中、その人はわたしに問いかけた。
「おまえ。名前はなんという」
「え……え? あ……っ」
すぐには応えられなかった。そんなことを聞いてくる人がいるとは思わなかった。わたしたちは着いてすぐにヤギや豚と一緒に競売に掛けられた。
買い叩かれては雑巾のようにこき使われ、気に入らないとぶたれて、また別の家に売られた。商品番号がわたしたちの名前代わりで、喋る権利はとうの昔に失ったと思っていた。わたしが家畜と同じなら、叩かれて悲鳴を上げる以外、殺されて食われるまで、意味のある言葉を発してはいけないんだと。
「ハ、ナ」
「ハナ。いい名前だな。皮肉な名前だ。儚く、美しく、蟲を寄せ、枯れ落ちた懐に果実を宿す……いや」
返事をしてもいいのか分からない。問うていいのか分からない。何をすれば許されて、何をすると殺されるのか、それが分からない。だから、わたしはその黒衣の男を見るほかなかった。
「どうやら私にはおまえが必要らしい。だから買った。私の名はゼル。それだけ覚えておけばいい」




