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王のインケラーシャ  作者: Lopeye
願望の偽証

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21/71

少女の戦

 初めて魔王様を見た。

 といっても、とてもとても高い聖塔の上にいるものだから。見たというより、本当にそこにいるんだなぁと思っただけ。姿もよく分からないけれど、このラカンを吹き抜けた魔力で確信できた。あぁ、あれが私の王様なんだって、心臓の鼓動が告げていた。

「カヤちゃん、大丈夫?」

 隣に座るセリちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。私もセリちゃんも今年で13歳になった。5年前、8歳の時に身寄りが無くなった私だけど、今でも帝国学院に奨学金をもらいながら、寮生として通い続けている。

 たまのお休みにセリちゃんの家に遊びに来たら、なんと街が砂糖に包まれちゃって。私たちのせいなのかなぁ、ってもやもや悩んでいたら、夜のうちに消えちゃって。よかったって思っていたら、今度は街に隕石が落ちてきて。信じられないことに魔王様が姿を現して、街は大混乱からの大狂喜。心臓が保たないったらないけど。

「うん。なんともないよ。お父さんは?」

「出ていったきり。軍の偉い人が守ってくれているみたいだから、心配ないって」

 そう言うセリちゃんの手は震えている。

 魔王様の演説を聞いて、セリちゃんのお父さんは奮い立つように出て行ってしまった。家の外にいた周りの大人たちもおんなじだ。さっきからずっと、断続的に硬いものが砕けるような破裂音が続いている。その度に、否応なく心臓の奥を掴まれたような緊張が走っていた。

 私は無意識に耳をさする。小さな銀のピアスの空いた両耳。右に三つ、左に四つ。私のお父さんが亡くなったのは、もう5年も前のことだ。忘れた日なんて、たぶん、無いけれど。

 その日の光景が視界に揺らめいてぼうっとしてしまうことがある。そうすると、よくこうやってセリちゃんに心配されてしまう。今度もきっと、そんな勘違いをされたんだろう。いま、一番不安なのはセリちゃんなのに。

「……いこっか、セリちゃん」

「でも、出ちゃダメだって、お父さんが」

「軍の偉い人が来ているから大丈夫、でしょ?」

「だけど……」

 言い淀むセリちゃんの手を引っ張る。

 驚いたように、セリちゃんは私を見た。

 私が行きたいんだよ。そう伝えたい。別に外に出たいなんて思っていないけれど、彼女を連れ出したい。たとえセリちゃんのお父さんに叱り飛ばされても、怒ってるくらい元気なその姿を見せてあげたい。どうせ隕石の破片が降ってくるなら、家の外で頭をぶつけても、家の中で潰されても変わらない。

「本当にいいの? 私だけでも」

「一緒に行く」

 セリちゃんが言い終わる前に食いついた。

「だって私も……」

 言いかけて、はたと気づく。セリちゃんを連れ出したいだけじゃないんだ。外に出たいと思っている自分がいる。何かが心に引っかかっていた。いや、言葉にするのが嫌なだけ。気になることなんか一つしかない。

 私は首から縦笛を下げて、セリちゃんは髪をまとめて、私たちは二人で家を出た。

 喧噪に耳がおかしくなりそうだ。私は他人より耳がいい。生まれつき、そういう種族のもとに生まれたから。

 ラカン北西の地区、エイタス。その一角にも、隕石の欠片は容赦なく降り注いでいた。空には数えきれないほどの影が舞い、そのひとつ残らずを真っ青な輝きが飲み込んでいく。まるで彗星が空を駆けるように、砕け散った隕石の破片がその流星の尾に変わる。

「すごい……」

 あれが攻城局長アレス。

 壮絶な魔術。だというのに、なんて美しいんだろう。暗雲立ち込めるラカンの空が、まるで星空に塗り替えられたみたいだ。

 思わずため息が出てしまうのは、セリちゃんも同じ。足が止まった私たちの視線の先で、さらに大きな魔力の気配が蠢き始める。信じられない魔力の集積に、私たちは生唾を飲み込んで戦慄してしまう。聖塔のてっぺんに、それが形を作り始める。何をしたら、あんな魔力の密度になるのだろう。手のひらの上に太陽でも載せているのだろうか。

「セリ! カヤ!」

 そうして見惚れていた私たちは、すっかり忘れてしまっていた。私たちが死地の真ん中に立っているということを。通りの先からセリちゃんのお父さんが駆けてくる。精悍で背の高い男性。普段は港で税関の仕事をしている彼だが、非番の今日は顔に無精ひげを生やしていた。

 目を見開いた必死な形相。その目が見ていたのは私たちではなかった。

 すぐ頭上に迫った幾つもの礫。目測では5つ、6つ……焦燥に熱を帯び、恐怖に竦み上がった脳裏では、数を数えることもままならない。人間一人分くらいのその礫は、直径5キロにも及ぶ隕石に比べれば赤子のようだ。しかし、降りかかるその石片に指の一本でも触れれば、肩の先から飛んでいってしまいそう。

 咄嗟に首に提げた縦笛に手を伸ばす。

 受け止めるにはなるべく低く伸びのある音。粉砕するなら出来る限り高く硬質な音。焦って旋律が浮かばない。魔力が霧散してく。口元に咥えた縦笛から、中途半端な息が漏れる。

 激突の衝撃波に、意識が飛びかけた。

 叩きつけられた背中。頭は打っていないが、息ができない。ぼやけた視界にセリちゃんが映りこむ。意識がない。真っ赤に染まった石畳。朦朧とした私の脳が、頭の中でガンガンと警鐘を鳴らし続けている。

「いや……セリちゃん! セリちゃん!!」

 最悪の記憶がフラッシュバックする。

 でも、呼びかけに応えて、彼女は薄目を開けた。血だまりの中に横たわる彼女は、立ち上がろうとして懸命にもがき始める。しかし、身体に力が入らない様子で、バランスを取れずに再び崩れ落ちる。外傷は、ない……?

「無理せず寝てた方がいいぞ。倒れた時に、脳が揺れちまったかもしれん」

 頭上からかけられた青年の声で、私は初めてその魔力に気が付いた。街に響き渡るような重厚な音色。分厚いその音の壁はまるで城壁のようで、ファナリア人の私が見ても、思わず鳥肌が立ってしまう。一体どれほどの修練と実践を経れば、この異常事態の中で、ここまで洗練された音壁を象ることができるのだろう。

「なんだ、お前ファナリア人なのか」

 彼はかがみこむと、私の上体を支えて起き上がらせた。横目で見ると、セリちゃんのお父さんは別の隕石群の対処に追われている。こちらに別の助けが到着したことを確認したらしい。見上げれば、このファナリア人の音壁がドームのように私とセリちゃんを包んでいる。一点の淀みもない、透き通る光輝の壁。礫がそこに打ちかかっては、粉微塵に砕け散っていく。

「その縦笛は実戦に不向きだ。口がふさがるし、呼吸が乱れる」

 言いながら、彼は私に白い杖を手渡した。生き物の骨のようにも見えるごつごつとした杖は、それでいてなめらかな手触りと流線型のシルエットが思いのほか美しい。持ち手から杖の先まで、幾つもの穴が空けられている。彼がくるりと回してみせると、底冷えの這い上がるような旋律が、ずんと腹に響く。

「貸してやる。失くすなよ。貰いもんで、宝物だ」

「ど、どういう」

「お姫様の命令でな。オレはエイタスを守らんとならん。まぁ欠伸しながらだってできる仕事のはずだったんだが、今日のオレは恐ろしく調子が悪い。お前にも任せるかも知らん」

 言われて彼の容貌を改めて認める。全身の至るところから流血している。片腕は肘の先から折れているようで、赤紫色に腫れ上がった患部が痛々しくて見るに堪えない。魔力の使い過ぎだろうか、吐血した跡も口元に残っている。

 隕石の衝撃波で倒れているだけで、カヤちゃんは無傷だった。彼女と私の周りに広がっていた血だまりは、彼の血が滴り、散乱したものだった。意識を保つこと自体が苦痛で仕方ないだろうに。

「……借ります」

「おう」

 彼は短く応えて立ち上がる。肩の上にセリちゃんを背負いこむと、そのまま軽快に近場の民家の屋根に駆け上がってハープを一楽章分うち奏でる。空を見上げた彼の表情を、伺い知ることはできなかった。

 あろうことか、彼はあんな身体で区画ひとつ分を丸ごと守るつもりでいるらしい。音壁がエイタスを包むように薄く延ばされていくのを見て、区内で奮戦していた大人たちがざわめき始める。

「正気か兄ちゃん!?」

 声をかけたのはセリちゃんのお父さんだった。彼だけではない。みな異口同音に青年に制止をかけ始める。私も声を上げようとした丁度その時、塊になった礫の雨が降り注いだ。打楽器を打ち鳴らしたような叩きつける轟音と共に、エイタスの上空でその全ての死の雨が霧散していく。

 大人たちはみんな、絶句してそれを眺めていた。ファナリア人の魔術を見たことがない住民はいっぱいいる。だが、ファナリア人の魔術を聞いたことがない帝国民はたぶんほとんどいない。それは畏敬の念ではなく、滅ぼされた忌むべき魔術として。

 さっきまで大人たちが必死に防いでいた礫の雨が、今となっては最早一つも降ってこない。豪雨の休日に、自室でゆっくりとした時間を過ごすように。手を伸ばせば届きそうな距離で、隕石の欠片が叩きつけられては飛散していく。

 大人たちは、立ち尽くして彼の魔術を見つめていた。

 ファナリアの魔術を、手を震わせて見ていることしかできなかった。

 きっと私も、そうしていればよかったんだと思う。

「ちがう」

 でも、降るはずのない一粒の雨垂れが頬を叩いて、私の思考はシャットアウトしてしまった。

 あの礫で傷を負った人がきっといる。街全体ならどうだろう、亡くなった人も、後の人生に障害を残す人もいるかもしれない。

 私たちは守られている。

「そんなこと頼んでない」

 頬に降った赤い雨を、右手で拭った。

 頬に引き伸ばされた真っ赤ないのちは、私たちみんなが、己が身体の内で燃やすもの。

「そんなこと、望んでない!」

 私の叫びに、彼が驚いたように振り向いた。

 目から流血している。傷は無い。魔力が枯渇寸前になった証拠だ。

 だから彼は屋根に上がったんだ。私にそれが露見しないように。

「私は……」

 任せると言ったのは、そういうことなの? 一緒に守ろうってことじゃないの?

 私は怒っていた。

 とても、とても、とても。

 とても、とても、とても。

 すっかり頭に血がのぼって、胸につっかえた言葉が出てこないほど、私は怒っていた。

 魔王様は言っていた。

 『ぼくの国の民たちよ』と。

 私はファナリア人だけど。魔王様に滅ぼされた忌地の民族だけど。それでもあなたは、私を選んでくれたんだろう。それでも戦っていいと、言ってくれたんだろう。

「私は! すごく怒っています!!」

 街の大人たちが私を見る。そうだ気付け、ここにいるのもファナリアだ。

 私から奪うな。

「私に、私たち全員に、魔王様と一緒に戦う権利があるんです!」

 私の前で勝手に死ぬな。

「あなたがどんなに強くても、関係ありません。あなたから見て、私たちがどんなに弱くても、やっぱり関係ありません!!」

 私を置いて、いのちを零すな。

「私たちはラカンを守ります! だから、ラカンに来たあなたのことも守ります! 魔王様は、私たちを信じて、そう命じられたんです! それが私たちの戦いなんです!! だから……だから勝手に死のうとしないで!! 勝手に……勝手に、私たちの戦いの……邪魔をするなぁ!!」

 一瞬静まり返るエイタス。しかし沸々と膨れ上がる闘志が、このエイタスに充満していくのが分かる。衝撃を待つ火薬庫。

「ちくしょー! 行くぞエイタス! 他の地区に負けてたまるかぁ!!!」

 屋根の上から上げられた少女の気勢に、今度こそエイタスが爆発する。

 大人たちの雄たけびが割れんばかりに轟き、区画中へと燃え広がっていく。

「セリちゃん!」

 呼びかけると、小脇に抱えられていた少女が、腕を振り上げてポーズをとる。

「大丈夫か?」

 青年はセリちゃんを屋根の上に立たせると、やりにくそうに声をかけた。

「舐めないでよね、もうばっちりだから。さぁお兄さん。死にそうなところ悪いけど、休んでる暇ないから。あたしたちと一緒にエイタスを守って。でも死なないこと。もし死んでカヤちゃん泣かせたりしたら殺すから」

 呆気に取られた青年が、ため息をつきながら音壁の面積を縮小していく。網目を通過し始めた隕石の欠片に、住民たちは怒号を上げて、我先にと飛び掛かっていく。

「無理するなってー!」

 セリが言うのも聞かずに、若い男たちがどんどんと走っていく。さっきの熱に当てられて、女の子まで戦線に出てきて、なにか感じるものがあるのだろう。

 その時、ひと際大きな衝撃がラカンの街を駆け抜ける。

「これは……!?」

 コントロールされた魔力は街に落ちることなく上空に打ちあがり、聖塔の真上で最後の隕石を飲み込んで消滅した。直後、耳鳴りのような音響がラカン全体に霞を割くように響き渡った。聞いたことのない音。生きた魔術式を物理的に切り裂いたような。鈍く鋭く、一閃してなお捉えどころのない、脳幹を揺さぶるような旋律。

「鳥の、声……?」

 次いで聞こえた断末魔のような悲鳴に、耳をふさぎたくなる。

 私の口からそっと漏れたその言葉に呼応するように、屋根の上の青年が聖塔を見据えて笑っていた。彼は景気よくハープを打ち鳴らし、その魔力をもって叫んだ。

「ブラックスワン、討滅完了!!」と。

 べちん。すごい音を立てて、青年は張り倒された。

「なになになに!? いますごい感慨に浸ってて!」

 べちん、べちん。そんな満足げな彼を往復ビンタして、セリちゃんが悪態をつく。

「魔力尽きて死にたいの、ばか!」

 ラカンの、エイタスの、そして私たちの戦いが、今やっと始まり、終わろうとしていた。


次話投稿は明日19時です。

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