宝物の記憶2
「起きた?」
気が付くと、医務室のベッドで横になっていた。学院医師のクレフィアス先生は、艶やかな緑のポニーテールを揺らして私を覗き込んだ。頬と額の辺りが痛むけれど、気持ち悪さはなかった。ただ痛いだけ、そんな感じ。
見ると服が替えられていて、スープ臭さも、ソース臭さも無い。
「魔術できれいにしてくれたんですか?」
「いいや? 風呂場でお湯ぶっかけて洗っただけ」
「へ?」
びっくりして自分の身体をまさぐってしまう。女性同士だから、まぁいいけど。
「カヤちゃん。ファナリア人か」
クレフィアス先生は、透明なとっても小さいコップで、透き通るような薄茶色の飲み物を呷って言った。とっても少ない量で、ずいぶん香ばしい香りが漂ってくる。きっと高いお茶なんだろう、なんて思っていた私は、彼女の言葉で身構えてしまう。
「いや、大丈夫、大丈夫。そんなこと、興味ないからさ。いいじゃないか、ファナリア人でもドラゴンでも吸血鬼でも。一緒に暮らせるなら国民だよ。ちがうかい?」
クレフィアス先生と同じことを言ってくれた子は、実は教室の中にもいた。もちろん、もっと優しい言葉で。でも、どうしてか分からないけれど、その子たちもいつの間にか私の前からいなくなっていた。本気で私のことを心配してくれているのは、この世でセリちゃんだけ。今までそう思っていたのに、クレフィアス先生の言うことは、どうしてか信じてしまいそうになる。
「あ、だめだぞ? たった一度助けられたくらいで人を信じちゃだめ。助けた方より、助けられた側は、そのことを強く覚えているものだからね。感謝こそすれ、助けた人がいい人だなんて、そう簡単に思っちゃいけない」
「なら、どうして助けてくれたんですか」
私が聞くと、クレフィアス先生はまたあの不思議なお茶を小さなグラスに注いで、勢いよく飲み干した。ふーっと息をついて、先生は笑って言う。
「酔ってたからかなぁ」
「変な先生」
私もファナリア人の大人が酔っ払っているところを見たことがあった。けれど、泡の出るお酒以外は見たことがなかったから、先生の言っていることがよくわからなかった。
「言ったな~? 先生は先月まで、王宮にいたんだぞ」
「ほんとう!? 魔王様に会ったことがあるの!?」
私の食いつき方に、さしもの先生もたじろいでしまった。先生は、いかにも「しまった」という顔をして、その顔からはすっかり血の気が引いてしまっていた。それを見て、今度は私が「しまった」という顔をしただろう。
「クレフィアス先生、私、魔王様を嫌いじゃないの」
私は真っ直ぐに先生の目を見て言った。本心なんだと伝えたかったけれど、そのためにはどんな言葉を使っても意味がないと分かっていた。だって、ファナリアの集落を丸ごと焼いたのは魔王様なのだから。私が一生恨み続けるはずの人なんだから。
「どうして」
「言葉にはできないの。でも、あの場にいた人なら、たとえ赤ん坊だってそれが分かる。ファナリアは、魔王様を恨んでいない」
8歳の私の言葉と、クレフィアス先生は真正面からぶつかってくれた。頭を掻いて立ち上がり、ゆっくり息をしながら医務室を歩いて回ると、最後はやっぱりあのグラスを飲み干した。
「魔王に会ったことがある。魔王の側付きの医師だったからね」
「どうして学院にいるの? 酔っ払ってクビになっちゃったの?」
「なっ、違う。今の魔王は魔力が強すぎて病原体が寄り付かないし、毒だって体内で成分ごと砕いてしまうような人なんだ。お役御免ってことで、魔王に新しい命令をもらったわけ。『大役だぞ、しくじったら、ぼくがただじゃ置かない』とか勝手なこと言ってね」
「じゃあやっぱり、やめさせられちゃったの?」
「そう言われると、その通りだけど。言っておくけどね、私以外にも王宮付きの薬師、植聖のゼルってやつも一緒に左遷された。まぁあれは倫理問題だけど……とにかく、私だけじゃない」
クレフィアス先生は、身を乗り出す私を制して、そう弁明してみせた。
「魔王様は、自分のことを『ぼく』っていうの? ちょっとかわいい」
「言ってやるな。そういう時期があるものなんだよ」
「時期? ということは、そのあとに『オレ』になったりするの?」
私が言うと、先生は困惑したような顔で私を見た。
「まぁ、そういう時期が来るやつもいるけど……カヤちゃん、魔王見たことかる?」
「ない」
「なるほどね。じゃあ、会えたらきっとびっくりするよ」
「しないと思うけど。とっっっても強いことは知ってるし」
今度も、先生は困ったようにグラスを呷った。芳醇な香りが部屋中に漂い、私もこのあたりで、それがお茶ではないらしいことにだんだんと気が付いてきていた。この先生は、お父さんが言っていた、のんべぇなんだ。
「カヤちゃん」
「なぁに、のんべぇさん」
「ちゃんと聞きなさい。否定しないけど。」
クレフィアス先生は、私の荷物と学生服を差し出して、そう言い聞かせる。手渡された学生服はどれも新品みたいに綺麗で、一番上にはフクロウの刺繡が入った黒いマントが載せられている。他の生徒のマントは、臙脂色に蛇の刺繍が入ったものだ。学院でたった七人の、特待生の証。
「暇だったら、またおいで」
「それだけ?」
「そうだね。私も怪我人ばかり相手にすると疲れてしまうから。たまには元気な子と話がしたいものさ」
「わかった。ありがとう、先生」
そう言って、私はクレフィアス先生に別れを告げた。
でも、私は医務室にはほとんど寄り付かなかった。とっても、とっても嫌なことがあった時だけ、学院の帰りにそっと寄った。その時だけは、いろんなお話をした。学院の子にたたかれたことも、家族のことも、好きな食べ物のことも。ピマーナの話もした。私のとっても可愛い、たった一人の家族で、宝物。そうやってたまに、溜まった鬱憤を吐き出す場所にしようと思ったのだ。そうすれば、セリちゃんの家に遊びに行ったとき、楽しいことや嬉しいことのお喋りができる時間が増える。だというのに、大抵私よりも先生の方から愚痴がいっぱい出てくるし、もっと話したいから毎日寄れとまで言ってくる。変な先生だ。
ある日、寮に帰る道の途中。
ピマーナが浅い呼吸で横たわっていた。
ふわふわの毛並みが真っ赤になっていた。近くには私の縦笛が転がっている。これを忘れたせいで、魔術の先生にこっぴどく叱られて帰りが遅くなってしまった。届けに来てくれたのだろうか。その途中で、事故か、別の生き物に襲われたのだろうか。
「ぴまーな……?」
私は慌てふためいて彼女を抱えた。生温かく滴る血液が、手のひらを伝う。頭の中が真っ白になる。どうしよう。いやだ。死んじゃう。いやだ。生きているのに、死んじゃう。死んじゃう。いやだ。いやだ。いやだ。
「間に合う、はず」
パニックに血の気が引いて、危なく気を失いそうになった私の頭に、ようやく一本の光が差した。学院の医務室だ。クレフィアス先生なら、ピマーナを治せる。なにせ魔王様の側付き医師。動物の治療は専門外かもしれないけれど、きっと先生ならなんとかしてくれる。
一も二もなく駆け出した。時間との勝負だ。
真正面以外の視界が全部真っ赤に塗りつぶされたみたい。
抱えたピマーナの脈動を感じる。まだ生きている。
どくん、どくん、どくん。
どんどん早くなる。そして、どんどん強くなる。まだ生きたいんだ。
私はその希望に懸けて、私の宝物を抱えて走った。
「カヤちゃん?」
医務室の先生は汗だくの私の顔を見て、驚いた様子だった。でもすぐに私の腕の中を見ると、ただごとではないと悟ったのだろう、真剣な面持ちで私の側に駆け寄って膝をついた。
「先生っ! 先生っ……ぴまーなが……私のっ」
どくん、どくんと脈を打つ彼女をクレフィアス先生に差し出す。
先生は私のことを見ている。
「先生っ!!」
私は泣きじゃくった。
差し出された小さなピマーナを、真っ赤になったピマーナを、先生は唇を噛みしめて、その両腕の中に抱き留めた。いつか見た景色が重なる。ピマーナの血液が、先生のくたびれた白衣に染み込み、ぽたり、ぽたりと、いのちが花を落とす。
「カヤちゃん」
「うそ」
先生の声色を、その言葉の先を、私はそれより先に拒絶した。だって、まだ生きようとしていた。ずっと、ずっと、鼓動が続いて。
どくん、どくん、どくん。
どくん、どくん、どくん。
どくん、どくん、どくん。
「あ……れ?」
鼓動が止まない。
ピマーナを先生に引き渡したのに、彼女の鼓動がずっと身体中に鳴り響く。
「私の……?」
「カヤちゃん!」
先生の制止も聞かず、手を伸ばして彼女に触れる。
その鼓動は、もう、とっくに。
「あぁ……っ、」
ずっと自分の鼓動を聞いていたんだ。
自分の体温で彼女を温めて、自分の鼓動を自分で聞いていただけなんだ。
ピマーナは。お父さんとお母さんからの贈り物は。
私の宝物はもう、とっくに、いのちを亡くしていたのに。
「カヤちゃん、カヤちゃん!! しっかりして!」
「だって! むりだよ! だって……!!」
私を抱きしめる先生の腕が震えている。
それでも、私は耐えられない。
陰口を言われても。
首を絞められても。
ぶたれても。
蹴られても。
これだけは耐えられないんだ。
「ぴまーなは、もう……かえって、こないのぉ……」
冷たくなった彼女を抱き寄せて、乾いてごわついた身体に頬ずりをして、私は大声で泣いた。喉がつぶれて、目から涙が枯れるまで。ずっとずっと泣き続けた。
次話投稿は明日19時です。




