断絶の音壁
音がさらに高くなる。
甲高い鳥の声から、澄み切った空に響く草笛の音へ。
オレの盾は最早、守るための装備ではない。
迫る巨星を撃ち抜き、叩き潰さんとするための剣となった。
鋭利に研ぎ澄ました切っ先の先端に、濃厚に押し込めた魔力が集中する。
直径およそ2キロの隕石。二つ目。
オレに、本当にあれを破壊できるだろうか。そして破壊できたそのとき、オレはまだ生きていられるのだろうか。魔力は血液に近い。巡りが早まれば運動力が上がるし、密度が高ければより大きな力を生む。しかしそれが枯渇すれば、身体も当然死に至る。
「あぁ、疼くね」
全身が震える。頬が引きつって笑えてしまう。押し潰されそうな緊張感、その反動のせいか、今すぐにでも大声で笑いだしたい。そうできたら、どんなに気持ちがいいだろうか。そんな妄想が頭の中に押し寄せる。
真っ赤に燃えながら迫るその岩肌に、拳を突き立てるように盾の先端を向ける。
「叩け」
触れ合った瞬間、肩が外れ、骨が砕け散った。
いや、気のせいだ。そうとしか思えないほどの衝撃が、振り上げた右腕を襲う。
「うおぉあああ!!」
オレも負けずに気勢を上げる。
一発目とはわけが違う。あれは「止めろ」と言われて時間を稼いだ術式。だが今回は違う。正真正銘、圧力を一点に集めた「壊す」術式。何かを壊す力は、同時に自分自身をも壊しうる。
右腕の血管が浮き上がる。血液が噴き出し、後ろに控えたトキにうちかかって蒸発する。一体どんな体温だ。先程の白い槍といい、魔力に対する感受性といい、底の知れない少年だ。だが彼のことを詮索するよりも先に、今、目の前にある壁を突き破ることが先決。後のことは彼に任せることにしよう。
そう、オレはいつもそういう役回りだ。
口元から血が垂れる。口の端を切ったのか、それとも喉から吐き出したのか。それすらも分からない。歯を食いしばってハープを奏でる。
より高く。
より美しく。
より鮮烈に。
「オラぁ!!」
猛々しい大音響とともに、隕石の下部が砕け散る。爆ぜた内側から中心核の先端が顔を出す。初弾と違い収縮していない分、その密度は小さい。独りでも十分に砕ける。
より高く。
より美しく。
より鮮烈に……。
そうして中心核にひびが入ったとき、鈍い音と鋭い衝撃が走った。
ぼきん、という大袈裟な音と一緒に、右腕が肘の先から折れた。
激痛。肘から先がただぶら下がっているだけになった違和感。
「……すまん」
後ろでトキが何事か叫んでいる。
大丈夫だと、そう言いたかったが言葉が続かない。
身体が強張って、舌も回らないのだ。
この折れた右腕に、自分の全てを注ぎ込んでいた。
術式は消えていない。だが、この術式が隕石の核を粉砕するまで、オレが生きていられるはずがない。どうすればいい? このままでは、街ごと消し飛んでしまう。辺り一帯全ての命を吹き飛ばして。
この期に及んで、引きつった笑みが戻らない。オレはきっと、死ぬ時まで笑っているんだ。構いやしない。だが、意味のない死など御免だ。
『フェンダーのヘルメスはラカンの街を最後まで護って死んだ。力及ばずとも、命尽きるまで戦い、ラカンとともに消滅した』。それは美談か? 違う。オレという、ヘルメスという人間が「美談」と認めるのは。
「ハッピーエンドだけだ」
折れた腕を固定する。魔術の壁で骨の代わりをさせる。強制的に腕を動かして盾の厚みを増幅する。右腕はもはや灼熱の塊だ。もう痛覚以外の感覚などありはしない。風に吹かれただけで激痛なのだ。自分で作った音壁でこの折れた右腕を使い潰したって同じこと。
息が震える。脂汗が噴出する。吐き出した血液が膝にかかる。
『ヘルメス』
頭の中に声が響く。
あの日からずっとだ。
『ヘルメス』
嬉しそうに微笑む彼女の声。
止まないその声のせいで、死にきれずにここまで来てしまった。
あの日一緒に死んでいればよかった。
そう思ったことが何度あったことだろう。
『ヘルメス』
脚に力を籠めろ。
腕に頼るな。背骨で支えろ。
腕が一本使い物にならなくなったぐらいでなんだ。
彼女は焼き尽くされて灰が消し飛ぶまで立っていた。
どうしてこのくらいでオレが死ぬものか。そうだろう。
「まだ待ってくれ、リア」
握りしめた右拳から血が滴る。
天高く突き上げたこの右腕の先で、軋んだ石塊が弾ける。隕石の真核が瓦解し、バラバラに砕け散った。磁石から離れた砂鉄のように、隕石の欠片が散乱していく。街に降り注がんとするそれらを、少年の不思議な蜘蛛の巣が絡め捕っては街の外へと吐き出していく。
「トキ……」
「ヘルメスさん! ぼく、まさか……」
隕石を二つ破壊し尽くすとは思わなかった、と言いかけ、言葉に詰まったらしい。当然だ。オレだってそんなことができるとは思わなかった。だが、そんなことはどうでもいい。
「これで解決か?」
言うが早いか、トキの表情がこわばる。
「……いいえ」
そうだろうと思った。隕石が二つ落ちて来た時点で、何か別に埋めるべきピースがあるのだと悟った。
「ブラックスワンだな」
「はい。僕らの願いがどうやって受け入れられたのかは分かりません。だから元凶を断ちます。ブラックスワンを殺せれば、それで終わりだ」
息をついて頭を働かせる。寒い。全身に鳥肌が立って仕方がない。心臓の脈動が早い。どこにそれが埋まっているのか、はっきりわかる。
落ち着かない身体。引いていく血の気。膝をついて空を見上げる。二つ目の隕石が爆ぜた後。そこに広がった薄暗い空を。ほら見ろ、やっぱり晴れない。なぜ晴れないのか? 言うまでもない。
「見つけた」
「ブラックスワンを? どこですか」
「お前が見つけられないところだ。一か所しかない」
折れずに残った左腕で、頭上の影を指さす。
ほら来た。うんざりだ。
三つ目の影。あれを止めるのは、オレにはもう不可能だが。
砕け散った隕石の、その先に、オレはそいつの姿を見つけた。
「魔力の塊に邪魔されて、お前には見えなかったのさ」
「隕石の、真上……?」
宿場で初めて現れたときは、「あり得ない」と唱えたオレたちの頭上に。
今は「叶えた願い」の頭上に。
いつもお前は、そこに現れる。
お前さえ殺せば、この戦いはオレたちの勝ちだ。
「ど、どっちですか?」
「は?」
トキの質問の意図が分からず、思わず聞き返す。
「どっちの隕石の上か分かりますか!?」
「いやどういう……まさか」
愕然とする。
つまり、そういうことなのか。隕石が。
「おそらく、一番新しく現れた隕石の……真上だ」
「……四つ目の方ですか」
やはり。オレには眼前に迫った三つ目しか見えないが、トキにはその奥に、既に発生した四つ目が視えているらしい。いまさら逃げる先もない。腹を括るしかなかろう。
「どうする、トキ。悪いが、もう一つでも潰すのはオレには無理だ」
「そういう役回りじゃない、ですか」
「そうだな……インケラーシャを潰しても、おそらくあの隕石は消えない」
たとえブラックスワンを殺せたとして。落ちてくる隕石を破壊できなければ、オレもトキも、この街も助からない。
「一体……どうしたらいい……?」
ぶ厚い黒雲を切り裂いて、凶つ星がやってくる。
吹きあがる強風。
鳴り響く雷鳴。
打ち付ける豪雨。
真っ暗な街に、真っ赤な星が落ちてくる。
地が揺れ、空気が震え、肌が縮み上がる。
「ヘルメス」
また声が聞こえる、そんな勘違いが頭によぎる。
違う。背後から聞こえるその声は。
「よく二つも堪えたね。きみの評価をぼくは改めよう」
振り返らずとも分かる。
仇の声だ。だが、恨みなんか一つも無い。
変わり果てた自分の故郷を、終わらせてくれた人。
あぁ、あなたが来たのなら。
オレはもう、倒れてもいいんだろうか。
とことこ歩きながら、その人はオレの前に立った。
嵐の中に翻る、艶やかな長い黒髪。世の全てを見透かすような、大きな金の瞳。
ぶかぶかなパーカーから覗く華奢な手首。黒いタイツに包まれた細い脚にはスニーカー。
おかしな格好で戦場に飛び出してくる少女がいたものだ。
深呼吸しろ。準備を怠るな。
吞まれてしまえば、折角永らえた心臓が止まりかねない。
「魔が差しちゃったね」
彼女は笑う。
魔王の親征だ。
次話投稿は明日19時です。




