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王のインケラーシャ  作者: Lopeye
願望の偽証

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12/71

烈火の星

 正午の鐘が鳴る。

 街に響き渡る鐘の音の出どころは、僕とヘルメスが待ち合わせた聖堂らしい。熱心な信者は今日も足しげく通うのだろうか。僕がアレスと話したときは、人っ子一人いなかったけれど、思えばそれ自体おかしなことだ。アレスが事前に人払いをしていたに違いない。

 僕が来ることを知っていたのだろうか。知っていても僕と会う理由など無いのに。

「始めます」

 僕らは街の中心から少し離れたところに陣取った。中心とはすなわち例の聖塔がそびえる場所に他ならないのだが、そんなところで不測の事態が起こることは避けたい。とはいえ、街のどこかでイレギュラーが発生した時、街の反対側から駆け付けるようなことになっても困る。

「了解だ、こっちも準備はいいぞ。ルイン爺、どうだ?」

「全隊に通達済みだ、いつでも始めたまえ」

 隣に立つヘルメスが、通信越しにルインに話しかける。耳に掛けた端末から、僕にもその音声は流れてきた。

 繁華街から西に5本道を隔てた貸家の4階から、僕は街全体を見渡した。周囲になるべく人が少ない場所を選んだが、それでもこの貿易港ラカンに人の住まぬ土地などない。路地裏を駆ける子ども。雲行きの怪しさを察してか、干した布団に手を掛ける母。洗濯物を回収し始める若者。

 恙ない成功だけを願い、僕は天井を見上げて声を発する。

「今日の夜まで晴れるなんて、あり得ない」

 刹那、視線の先に魔力の渦が現れる。

 予期していても、おぞましいことに変わりはない。黒と紫が混じったような楔型の模様に包まれて、それは鳴き声もなしに翼を広げた。

 僕とヘルメス二人だけの部屋に、そいつは目配せ一つなく、淡々とその欠片を落としていく。鷲掴みに手に取ったヘルメスが、それを僕に手渡してくる。自分でやればいいものを、あくまでこれが僕の仕事で、僕の責任だと言わんばかりに。

 手にした羽根をインクに浸し、即座に紙の上に垂らす。

「134」

「あと28回で本番ってわけだ」

「ほかで出現すると予定が狂います。間髪入れずにいきます」

 僕は言うと、続けざまにブラックスワンを出現させた。

同じ現象。羽根はやはり8割ほどが真っ黒に染まっている。数字は『135』。この調子だ。このままいけば、僕たちだけで片付く。兵士たちはルインさんの指示により、この貸家を中心に戦力を固めながらも、街の各所に散らばっている。本体に攻撃を受けたブラックスワンがどんな動きをするのか未知数だ。

 窓を照らしていた真昼の日差しが、徐々に翳り始める。予想通り、雲行きが怪しくなったと見える。これで雨でも降り始めたなら、屋外で鳥を一匹追いかける戦闘など想像もしたくない。僕がそれに参加することはないだろうが、作戦の成否に関わるのはいただけない。

 数字が150を超えた頃、悪運が尽きたように窓に水滴が垂れ落ちた。空は次第に暗い雲に覆われ、比例するように、打ち付ける雨粒がぽつぽつと増え始める。

 舌打ちが聞こえる。ヘルメスだ。

「どうした?」

 ルインが問いかける。

「雨が降り始めた。ブラックスワンが外に逃れたら最悪だ。日を改めるのは……」

 ヘルメスの尻込みした提案。だが、僕は首を振る。理由は明快だ。彼も分かっている。

「得策ではありません。残り8枚です」

「明日まで待っては、ブラックスワンの真正顕現を取り逃す可能性が捨てきれんか」

「はい。続行しましょう」

 ルインの言に、僕は頷いて応える。ここまで来てしまえば、今日中にブラックスワンを叩くしかない。それに。

「本当に162枚目に僕らの『あり得ない』が叶うなら、空は晴れるんです」

 僕の言葉に呼応して、ブラックスワンが姿を現す。もう大丈夫、今日だけで30回以上は見ている。最早お前の顔で怯えることなどない。

「135。あと7枚です」

 僕らは作業を続けた。

 強くなる風の音。響き始める雷。雨の量はまだそれほどでもないが、この強風にあおられては、まともにブラックスワンを追うことは難しい。そもそも、本当にブラックスワンは実体化するのだろうか。敵意むき出しの、僕たちの目の前で?

「161。次で最後です」

「準備できてる。いいな、ルイン爺!」

 落雷の轟音が近くで鳴り響く。そのせいか、ざらついたノイズでルインの音声が聞き取りにくい。何度か聞き返し、やっと声が届いた。

「……くん、トキ君、聞こえたか? こちらも準備万端だ。他の兵士たちも嵐の中で待機している、早く始めてくれ」

「わかりました、最後の1枚、行きます」

 僕は逸る気持ちを抑えて深呼吸をした。

 天井に目を向け、口に出す。

「今日の夜まで晴れるなんて、あり得ない」

 ヘルメスが構える。

 鳥肌が立つ。一体なんだ。

 怖気が指先から首筋の裏まで駆け抜けていく。

 魔王の魔力をその眼で視た時のような、身体の芯を凍らせるような魔力の感触。

「何も、起きない……?」

 ヘルメスがつぶやく。

 何を言っているんだ。こんな目の回るような魔力量が氾濫しているのに。

 しかし彼の言う通り、ブラックスワンは現れない。建物を貫通して舞い込んでくる、その暴力的な魔力の奔流に、僕は眼を奪われていた。

「っ!!」

 はっとして窓の外を見る。

「雨が止まない。雷が止まらない!!」

 思わず叫んだ僕の言葉の意味が、ヘルメスとルインに伝播する。

駆け寄ったヘルメスが窓の外を凝視する。窓枠を握った彼の両手が震えている。ブラックスワンが現れないだけで、彼もこの異常な魔力を感じ取っているのだと気づいた。当然だ、氾濫した濁流の中に飛び込んで、顔面に打ち付ける泥に気づくなという方が難しい。

 その時、見上げた空に違和感を覚えた。

「雲に」

 口をついて僕がつぶやく。

 何かある。

「おいトキ!」

 ヘルメスの言葉を受け流して、僕は窓から飛び出ると、少ない魔力を指先に集中して鉤爪代わりにし、屋上へガリガリとよじ登った。顔面に当たる雨粒が鬱陶しい。強風に身体が飛ばされそうだ。こんなちょっとした高所に雷が落ちたりしないだろうか。

 そんな些細な心配事が、目の前の光景ですべて吹き飛んでいく。

 聖塔の真上か。

 雲に隠れて見えはしない。だがその迸る魔力は爛々と僕の眼に視えている。

「隕……石……?」

 街の全てを押し潰すであろう質量の塊が、ラカンの街の上空に迫っている。目測の直径で約2キロはあろうか。前の世界で地球上の生き物の大半を死滅させたのが直径10キロそこそこの隕石だったとか。このサイズでも街一つの騒ぎでは済むまい。

「トキ!」

 ひと跳びで僕の横に立ったヘルメスが僕の肩を叩く。

 あまりの事の大きさに、僕の頬が引きつる。

「何を笑ってる!」

 苛立たしそうにヘルメスが怒鳴った。

「隕石です」

「雲の奥が分かるのか」

「はい、はっきり。あんな魔力量、間違えやしない。山みたいなやつが落ちてきます」

「バカな。そんなわけが」

 呆気にとられるヘルメス。

 それもそのはずだ、僕らの望んだ『あり得ない』とは到底異なるものが降ってきた。

 いや、それもまた違う。僕らは「過程」を指定しなかった。

 なるほどあれなら空も晴れよう。なにせ山が生えてくるのだから、突き破った雲間から陽光の一つも差そう。対処のしようなどない。

 僕の浅薄な考えが招いた失態。なぜもっと状況を指定しなかった。

「どうすればいい、トキ」

「……え?」

 だが彼は、まだ僕にそう言った。

 僕は引きつった顔をヘルメスに向ける。僕の、この情けない顔を見て、まだこの人は僕に指示を仰ごうというのか。この街にあれを落としたのは、他でもない僕なのに。

「どうすればいいかって聞いてんだ。相棒」

 ごつっと額が触れる。熱を帯びた彼の体温が、冷え切った僕の額から流れ込んでくる。

 彼が僕を相棒と呼ぶのは、出会ったときに彼の使い魔に乗せてもらった時以来、二度目だ。あの時は、たいして知りもしない人間に、気安いやつだと思った。

「どうしようもありませんよ! 隕石なんですよ!」

 僕は額を押し返して叫ぶ。稲光が僕らの頭上でがなる。

 何をしたって無意味だ。そんなことは誰が見たって明らかだ。

「どうにかするんだよ。だからオレたちが集められてんだよ!」

「そんなの、僕は……!」

 巻き込まれただけだ。

 喉元まで出かかった言葉を、僕の何かが堰き止める。

 首を絞められたみたいに、僕の内側から、誰かが僕を締め上げる。

「このまま見過ごせば、数えられない程の人が死ぬぞ」

「僕たちだって同じでしょう! 誰も生きられやしない、帝国もどうなることか!」

 そう、たいして知りもしない人間に、気安いやつだと思った。

 だが、そうではないことを知ってしまった。

「オレは足を止めねぇ。だったらオレの相棒も止まらねぇさ」

「なんのために!? ここに……ここに、君が守るべきものなんか一つだって無い!」

 彼は、彼を知る人間すべてに石を投げられて生きてきた。

 帝国に仇なす民族。忌み地ファナリア。遠ざけるべきもの。蔑むべきもの。

「どうして……」

 君が誰かを守る必要がある。

「ここに来た兵士もみんな死んじまう」

 君から逃げた人たちを。

「セリとカヤも死ぬんだぞ」

「っ!?」

 君を憎んだ人たちを。その名前まで記憶に刻んで。

 ヘルメスは僕に背を向けると、聖塔の遥か上空を見上げ、そして再び街に視線を戻した。

 その異常な魔力量に、嵐の中にも関わらず、多くの人々が建物の外で様子をうかがっている。そこには男も、女も、年も、そして種族も関係ない。ただ一個の生命があるだけだ。

「オレの音は届く」

 ハープがその優美な音を奏でる。瞬間、彼の甲冑と同じ薄紫の魔力壁が彼の眼前に現れる。ほとんど同時に、吹き飛ばされたどこかの外壁が風を切って音壁に激突する。魔力壁に傷はなく、彼の魔力には乱れすらない。

 僕は息をつく。

 さっきから、誰かが僕の中で叫んでいる。

 一人はただ動けと。もう一人は帝国を守れと。どっちも僕には荷が重い。

「先に行ってください。塔に落ちるまで、おそらく3分もありません」

「お前も来るのか」

「僕は僕で、やれることがありますから」

「上出来」

 言うが早いか、ヘルメスは飛び降りた。10メートルもの高さから、躊躇なく。僕にも出来ないわけじゃないが、どうしてもいつかの記憶が邪魔をする。建物の5階相当から飛び降りるなんて正気の沙汰じゃない。

 深呼吸をして、僕はベランダ伝いに街道に降り立つ。

「役割が違いますからね。……ルインさん!」

「状況は聞いている、どうするつもりかね?」

 向かい風を突っ切るように、姿勢を低くして駆け出す。

「全ての兵士を街の外へ。これは避難ではありません。かなりハードな役割を担ってもらいますので、そのつもりで」

「直ちに動かそう」

「ありがとうございます。先行するヘルメスさんに先に説明します。詳細は追って!」

「承知した。健闘を祈る」

 全身に魔力を行き渡らせ、研ぎ澄まし、研ぎ澄まし、蹴り上げるつま先が鋭く地を抉る。

「ヘルメスさん!」

「なんだぁ?」

 走りながら、僕は耳元の通信装置で話しかける。息の上がった僕と違って、彼は平然と通信に応答した。こういうところがやるせない。

「無茶を言いますので、聞いてください」

「オーケー、気合が入るってもんだ」

 ヘルメスの魔力は追いやすい。常人の数倍の魔力量が、矢のように嵐の中を貫いていく。

 もう聖塔の間近くまで辿り着いたと見える。この嵐の中で昇降機が稼働しているかは怪しいところだ。勝手に乗り込んで魔力を込めれば使えるだろうか。

「僕が行くまで、遅ければあと2分かかります」

「あいよ、そんで?」

 指先の感覚を確認する。魔力の流れが血管みたいに浮き上がって見える。今日は調子がいい。昼に飲んだ果実ジュースに魔法でもかかっていただろうか。

「衝突からおそらく10秒……長ければ20秒、あれを耐えてください」

 言い淀む。当然だ。言葉の意味は明白だ。

 僕は彼に死ねと言っている。

 君の命を懸けて、最後に時間を繋げと言っている。

「そんなんでどうにかなるのか?」

 だが、彼はそれをものともしない。からからと笑って応えてみせる。

「トキ、無理に急いで来なくていいぞ」

「いいえ、すぐ行きますから」

 食い気味に応える僕の視線の先。聖塔の外壁を駆けのぼる男の姿。無茶苦茶だ。だがあれなら確かに内階段を上るのはもちろん、昇降機を使うよりもよほど早い。

 聖塔の先端、いよいよ雲を突き破らんとする巨星の真下。

 そこで、眼を覆いたくなるほどの魔力の激流が吐き出される。かき鳴らされるハープの音色。さっき単音だったそれは、重なり合う和音の群れとなって、聖塔を覆いつくすような薄紫の光の塊を作り上げる。

「心配するな。ファナリアの盾は、魔王の劫火すら生き延びた」


次話投稿は明日19時です。

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