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王のインケラーシャ  作者: Lopeye
願望の偽証

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共鳴の記憶

「二日やっても音沙汰なし、か」

 ヘルメスは麦酒をがばがばあおりながら、不満げにそう漏らした。上機嫌に酒が進む客の中で、僕らの空気感は少し浮きがちだ。テーブルには、オクトーンという家畜用の角獣の腸詰肉がパリッと焼かれたウィンナーソテー。ウィーヴ麦のパスタは近海で取れたマロ貝とシャプールのペスカトーレになっている。シャプールは見た目こそ大型のザリガニだが、風味はほとんどエビの香りで、身は甘エビにもまして、いやマシマシで、ぷるっぷるだ。コリコリとした触感のマロ貝とは違い、水分量が多く火にかけると固くなりやすいシャプールは、茹で上がったパスタをソースに和える時に余熱で温めているらしい。

 僕たちはラカンにたどり着いてからというもの、街の中心から大通りを二本、三本と逸れたこの宿にお世話になっている。行きずりで同部屋というのも落ち着かないと思ったのだが、ヘルメスは何にも気にしていない風で勝手に二人部屋を取っていた。断るのも気が引けたので、今夜も食事場の2階にある部屋で眠ることになるだろう。

「やっぱり何か足りないんでしょうか。あり得ないという言葉、落ちてくる羽根。毎回そのルールは守られているし、ブラックスワンの影も見える。それなのに、ずっと外れクジを引かされたみたいに白い羽根ばかり」

「そうさなぁ。オレは自分のことをバカだとは思っちゃいないが、そういう役回りじゃないとも思ってる。いや、走り回る役のつもりもないけどさ」

喉を鳴らしてヘルメスは応える。指先で弄ばれるナイフが明かりを反射する。

「役回りもなにも、魔王に任せればいいと思いません? 砂糖で覆われた街を丸ごと元に戻すような人がいて、僕らに仕事を回す必要あります?」

「お前意外としっかりガキなのな。安心した」

「僕をなんだと思ってたんですか」

「まぁよく考えろ。魔王は王宮の掃除をしない、なぜかわかるか」

「なぜって……」

 あんな魔力の泉のような存在に、誰にでもできる仕事を任せるなんて非合理だ。

「そう、魔王の仕事じゃないからだ。魔王だって掃除ぐらいできる。が、もっと他にやるべきことがある。魔王にしかできない仕事がな。だから魔王は掃除をしない」

「同じことだって言いたいんですか? 今の状況が」

「そりゃあそうさ、本来ならこんな実験じみた案件に魔王が関わるわけがない。だがラカンは帝国でも指折りの貿易港だ。経済と景気への影響を重く見て、腰を上げたのさ。だがまぁ、オレたちが魔王の劣化品ってわけじゃない。魔力が無くとも、力がなくとも。清掃係の方が、王より掃除はうまいもんだ」

「分業、ということですか」

「適材適所。分相応。そういう言葉の方が現実的だろうけどな。仕事の質は責任の重さで決まる。お前、魔王より重い責任を背負い込む気があるか? オレはごめんだ」

 僕はコーヒーに口をつけて少し考えた。

「僕は考える役目ってことですか?」

「どうかな。それを決めるのはお前じゃないし、ましてオレでもない」

「じゃあ誰が?」

「そんな当然のことをいまさら聞くな」

 僕が今どれだけ手探りでインケラーシャを探していることか、それが一つも分かっていないと見える。しかし当然とまで言うのだ、予測がつくのだろう。ぱっと思いつく偉そうな人の名前でも挙げておこう。

「アレスさん」

「あり得ないだろ、あんなキツい女」

「あ、そんなこと言うと後が怖いですよー、アレス、さ……ん」

 言い淀む。

 手が震えた。

 僕らは大きな見落としをしていたんじゃないだろうか。

 思わず頭上を仰ぎ見た。

 なぜ今まで気づかなかった。街中を見渡して、目を皿にして、ヘルメスを街の端から端まで駆け回らせて。二日も続けてようやく気付くとは。

 ヘルメスもつられて頭上を見上げる。

 あまりに至近距離の魔力発生に、店内の誰もが目を奪われている。

 屋内では屋根の下に発生するのか。ヘルメスの頭上に、そいつが現れた。僕の瞠目する姿に、ヘルメスも自身の頭上を見上げて声を上げる。この至近距離で見ることができるとは。

「ブラックスワンだ」

 息をつくように口から出る。生き物ではない。そう確信させる何かがある。体温を感じない、いや見るからに、魔力塊のような何かだ。複雑な模様の魔力流だと思っていたが、この距離ならはっきりと視認できる。楔文字が集合したような異質な魔力の紋様。インケラーシャとは、どれもこんな雰囲気なのだろうか。

 店内の目が僕らの頭上に集中したその数秒後、ブラックスワンは音もなくその姿を消した。店中が騒然とする。さもありなん、この宿には少ないながら軍の関係者も泊っているのだ。当然、ブラックスワンを追い求める者たちも。

「席移るぞ」

「え?」

「あいつらの目、見てみろ。この席に噛り付きたいって顔に書いてる」

「見せてあげたらいいじゃないですか」

「見せてやるんだよ。そんな真っただ中で飲めるかってんだ」

「なるほど」

 僕らは皿を持ち上げてそそくさと別の席へ移った。ヘルメスは何食わぬ顔で、袖の中に今落ちた羽根を仕込んでいる。すると、待ってましたと言わんばかりに、兵士たちが僕らの席にまとわりつく。目が血走っている。決して悪い人たちではなさそうだけど、率直に言って顔が怖い。あれほどまでにインケラーシャ探索の熱意がありながら、すぐに飛びついてこなかったのは、やはり。

「そうか、考えてみれば、オレたちが条件を満たせばブラックスワンが出てくるのは当たり前だよな」

「そうですね、なぜ今までその可能性に気づかなかったのか。それに屋内では天井付近に出現していたとなると、僕たちが拾った以外にも見落としがかなりありそうです。いままで拾った羽根127枚。それが偶然全て屋外だったとは考えにくい」

 一体何枚の羽根を数えれば、決定的な答えに導かれるのだろう。先程の席を入念に調べ続けている熱心な兵士たちを横目に見る。言葉にしてもいいことだろうか。

「ヘルメスさん、あなたのことを尋ねてもいいですか」

 言うと、彼はすっとこちらを見据えた。かしこまった様子ではない。テーブルに頬杖を突いたまま、片手には麦酒のジョッキを握っている。

「オレといるのが嫌なら、べつにいいぞ。慣れてるからな」

なるほど大きな勘違いだ。しかし、これは大方予想していた通りかもしれない。

「そういう話ではなくてですね」

「そういう話以外に何があるんだ」

「どうしてそうなるのかを聞きたいんですよ」

「は?」

 そういうとか、そうなるとか、ぼやけた言葉を使っていると、話が雲に紛れてよくない。

「はっきり言いますけど、ヘルメスさん避けられてますよね。いえ聞きなさい。避けられています。とてつもなく避けられているんです、いたいけな子どもから、人のよさそうなご老人まで、余すことなく、あらゆる方に、あまねく全てに」

 何事か口を挟もうとするヘルメスを制して、僕は立て板にバケツの水をひっくり返してみせる。僕にだって聞く権利がある。彼が人に避けられるせいで、聞き込んで回るときは必ず彼の軍章を見せないと信用してもらえない。聞き込みがようやく始まったと思ったら、彼自身もなるべく早く会話を切り上げようとするから、重要な情報を取り逃がしているのではと気がかりが絶えない。挙句、宿を探そうとしたら街の中心から微妙に離れた場所を好んで選ぶせいで、この街の最新情報の集積地から距離を置くことになった。それに。

 脳裏であの時の映像がフラッシュバックする。僕はお前のせいも同然で、セリに親の仇のような顔で責められた。このくらいの責任は取ってくれ。

「僕は、なんであなたがそこまで除け者にされているのか分からないんです。二日過ごして思い知りました。あなたはいい人です。底なしに明るいですし、僕みたいな頼りない一般市民を助けてくれました。なぜあなたが、この街の四方八方で避けられなきゃいけないんです」

 僕の言葉を反芻するように、ヘルメスはしばらく瞳を大きく見開いていた。そして数秒後、彼はいつもの彼の笑顔で苦笑した。

「なんだ、お前知らずに一緒にいたのか?」

 クックック、と喉を震わせるヘルメス。少し切ない表情にも見えるのは、僕の考えすぎだろうか。

「まぁ見てくれで分からないお前さんだ。オレがいまさらファナリア人だと言っても、だから何だと言い返してくるんだろう?」

「ファナリアという言葉はつい昨日聞きました。ホワイトクラウンの店先で二人の女の子に話を聞いたときに。片方の子の父親が、そこで大変な目に遭ったと」

 具体的にどうなったとは聞かなかったはずだ。聞かなかったが、しかし。

 組んだ手の指先に力がこもる。関節がキリキリと痛むが、悪い想像は止まらない。

「死んだんだろう。間違いなく。『ファナリアの一夜葬』って聞けば、帝国のほとんどの人間が嫌な顔をする。たまにお前みたいな世間知らずが紛れてるくらいでな」

「一夜葬……」

 意味を把握するのに少し時間がかかった。想像した文字通りなら、それは。

「ファナリアは帝国の一部として自治を許された小国でな。土地だけは今でも第4区のはずれの方に残ってる。忌み地になってるから、寄り付く人間はいないけどな。んで、ファナリア人ってのは音に敏感な種族だ。要するに耳がいい。自治国内には民俗楽器が伝統産業として根付いていたし、調律を専門にする職人もいたが、まぁ音のするものなんかいくらでもある。壁を叩いて建物の立て付けを推し量る仕事。わずかな音の反響差を捉えて人体の患部を探り当てる仕事。いくらでも幅はあった」

 懐かしむような優しい口調は、しかし付きまとう影を感じざるを得ない。諦めと、それでも燻り続ける炎が無理な共存を強いられているようだ。

「だが2年前の出来事でファナリアは文字通り焼失した。インケラーシャが出たんだ。特危名……付された名は『耳鳴り』。存在は10年も前から確認されていた。無害だから放っておかれてたんだ。無害だから……いや、無害だったから」

「『耳鳴り』?」

 思わず身を乗り出す。

「見た目は拍子木を持った10歳にも満たないような子どもの姿でな。見た人間によって、少年だとも少女だとも言われた。だがはっきり言って見た目なんかどうでもいい。そいつが打つ拍子木の音は、聞いた者の精神を崩壊させ、発狂させた。しかもいつの間にか、音を聞いたやつも同じように、手に拍子木を持ってめちゃめちゃに打ち鳴らし始めるんだ」

 想像して、背筋が冷える。この食事場の人間が一斉に気を狂わせ、サルの玩具よろしく拍子木を鳴らし始める様子が脳裏によぎった。不気味がすぎる。

「だが心配はいらない。そいつの出す音は驚くほど高音域でな。人間には聞こえねぇし、特に10歳未満の子どもはたとえ聞こえてもなんの影響もない。実質、人間には影響のないインケラーシャだった……普通はな」

「ファナリア人は耳がいい、ですか」

「そういうことだ。齢10を過ぎたやつは次々に発狂して、イカれた人形みたいに笑いながら拍子木を打ってたよ。打つのに必死で、腕が追い付かずに骨折してるやつまでいた。折れた腕で取り憑かれたように打ち鳴らし続けるんだ。気味が悪いなんてもんじゃない。23だったオレも、その光景を見ているだけで泣きそうになったよ」

「ヘルメスさんは聞かなかったんですか」

 彼はひどく顔をしかめると、深呼吸をして耳をさすった。

「その時のオレは、ちょうど音が聞こえていなかったんだ。神サマの思し召しでな。だが事態はさらに急変した。拍子木の音が増えるにつれて、拍子木の音域が広がり始めた。それに加えて、ついには10歳未満の子どもまでもがバタバタと倒れ始めた。最初の一人が『耳鳴り』にやられてから数時間。もうほとんどのファナリア人はサルになってた。泣きながら笑い続けて、口の端を切って血を流してるやつもいっぱいいた。そのころには、ファナリア人以外にも十分聞こえる音域になっていただろう」

 僕はただ聞いた。ただ一言一句を想像しながら、彼の言葉を待ち続けた。

「帝国が、いや世界がこれで終わるんだと本気で思った。だが、唯一それを許さないやつがいた。『魔王』はそんなに甘くなかった。アイツは第1区の王宮からはるばるファナリアまでやってきた。独りで突然転移して来て、ファナリアの上空からオレたちを見下ろした。そのあとは簡単、一撃さ。気の狂ったファナリア人も、オレたちの家も、家畜も、畑も、文化も、歴史も……魔王の一発で全部灰になった。なぜオレだけが生き残ったのか、今でも分からない」

「ヘルメスさんが正気だったことを、魔王が見抜いていた?」

「それは無いな」

 彼は寂しそうに嗤う。手に持ったまま一向に進まないジョッキが軋む。

「正気だったのはオレだけじゃない。オレと一緒に逃げてたやつは、炎の渦に飲まれて死んだ。……いや、魔王を恨んじゃいない。発端は魔王じゃないんだ。帝国の安寧を護ったことに感謝こそすれ、恨むなんてお門違いだ。だが、あの一夜の理不尽に憤るぐらいのことは、許されていいだろう」

 彼は僕に横顔を見せると、耳をつまんでピアスを抜いて見せた。彼の右耳には、その輪郭を縁取るように、実に三つのピアスが開いている。エメラルドグリーンの長方形。右耳に三つ開いたピアスが、成人したファナリア人の証なのだという。

「左耳は?」

 ヘルメスの左耳は、なぜか四つの穴が開いていて、その上ピアスは埋められていない。

「これか? そりゃお前。どっちにつけた方が格好いいかって、両方空けてみたのさ」

「……そうですか。僕にはまだ、分かりそうにありませんね」

 それ以上は聞くまい。人の死は、笑い話には重すぎる。

「世間的には、ファナリア人は魔王に粛清された危険民族ってわけさ」

「よくわかりました。よく理解したので、今夜はとてもすっきり寝られそうです。じゃあ僕は、明日に備えて先に休みますから。ヘルメスさんも飲みすぎないように、注意してくださいよ。明日、この一件を収束させましょう」

「……あぁ、わかった」

 ヘルメスは残った麦酒をグイっとあおると、皿の上のウィンナーソテーを豪快に頬張った。


次話投稿は明日19時です。

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