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暁の歌、響け世界に3 《天の巻》  作者: John B.Rabitan
第5部 ヒラニプラの最後の空
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12 津波

 陛下は私とダッキ―秘書官が入ると、ゆっくりと立ち上がって我われの方を見た。そばには神官ユートと祭司シャトーがお付き申し上げている。


 陛下は我われを見て、厳かに口を開いた。


「もはや高次元界は全く沈黙を続けておられる」


 そのお顔は一瞬悲痛に満ちているようにも見えた。だが、次の瞬間、いつもの凛とした威厳に満ちたご様子で、神王ラ・ミヨイ陛下は言われた。


「もはやこの国は、そしてこの大陸はこれまでだろう。全世界とて、古記録にあるような“万国、土の海となる”という状況になろう。ひとえにわたしの不徳の致すところ、しかしながら決してこれを高次元からの天譴てんけんととらえてはならない。それではあまりにも短絡的すぎる。高次元が沈黙しているということは、天界も激しく襲われているのであろう。その天界の混乱が現界に移り、此度こたびの万国大変動として物質化したと拝する」


 ひと言ひと言を噛みしめるように、ゆっくりと陛下は話される。我われは言葉もなく、ただ息をのんで聞き入るばかりだ。


「本当はこのことをわたし自らが全国に向かって配信したいところだが、今やそれもかなわぬ」


 たしかにここ数カ月にわたる災害で、国内の通信機能はことごとく麻痺してしまっている。


「人類はこれまでも科学文明が栄えては天変地異で滅び、また原始の世と化し再び発展する、その繰り返しを続けてきた。ごくわずかに生き残った者たちが次の世のタネとなって、一から文明を興してきたのだ。そして前回の天変地異から二万年、ようやくここまで復興した全世界の科学技術文明も今回の災害で跡形もなく消え去ってしまうだろう。しかし、人間が残る限り、その技術と文化の記憶、そして人間の智慧は永遠に受け継がれていく」


 陛下のお言葉のひと言ひと言が心に染みる。


「この災害が始まってからこの国の国民を海外に脱出させるのは不可能だった。でもその前に戦争が起こったおかげで、多くの国民が戦争を逃れるために海外に流出した。むしろそれが幸いしたともいえる。人知では善と悪は判断できないものなのだ。わたしは希望を未来に託したい。あなた方は家族とそして縁のある人たちとともに、シランダ・ビルの屋上でこの国のことを見届けてほしい」


「陛下も、陛下もご一緒に!」


 私は思わず叫んでいた。陛下は静かに首を横に振られた。


「私はここに残る。ユートとシャトーもともに行け」


「いいえ、私たちは最後まで陛下のおそばに!」


「ならぬ!」


 びしりと、陛下は言われた。


「これは勅命だ。さあ、行け。この子も連れて行ってくれ」


 いつも陛下とともにいた少女ピラーを、陛下は我われの方へ寄こした。


「この子の親もともに」


 そして陛下はさらに声を挙げられた。


「さ、早く行け! 今すぐにだ!」


 そのお言葉にはとても逆らえなかった。


「陛下!」


 我われは全員が大声で泣きながら陛下に一度畏まって深くお辞儀をし、その場を後にした。


 私はヒラニプラで指折りに高いシランダ・ビルの屋上まで上がった。

 正確にはヒラニプラで三番目の高いビルだ。いちばん高いヨクシャル・ビルと二番目のサミロス・ビルもほぼ隣接しているが、その二つのビルは屋上がなくて最上部は電波塔になっている。

 屋上があるビルで一番高いのはこのシランダ・ビルなのだ。

 ビル内は完全に無人で、もちろん電気は通っていないのでエレベーターも使用不可能であり、地上二百階まで階段を登らねばならなかった。

 高速エレベーターだとわずか三十秒で登ってしまうそのビルも、歩いて登ると一時間半もかかった。

 私のほかには妻のチャイリー将校、我われの息子である国防大臣パルーと国防軍シンシャ司令長官、ダッキ―秘書長、神託の依代よりしろの少女ピラーとその妹のミーフォン、そしてその母親で我が妻の同僚であるミクネル少佐、神官ユートと祭司シャトー、ヒウケ・エビロスのエーダー民主ミツトソン、そしてターキャード博士の十一人、私を入れれば計十二人だった。

 幸い、階段を昇る間は地震はなかった。

 なぜ神王陛下は我われをこのヒラニプラの最高の高さのビルの屋上にと命じたのか……そのご意図は嫌でもわかる。

 万が一ヒラニプラが水没したとしても、この高さのビルの上位は水面上にあって救われるかもしれないと。

 階段の途中から見える下界のヒラニプラの町は、もうほとんど人がいないゴーストタウンになっていた。あれほど繁栄を極めた太陽の都も、今では少なくとも外を出歩いている人はいない。

 とにかく我われは息を切らせながら階段を登った。幼いミーフォンとピラーについては、我が息子のシンシャ司令長官がミーフォンを、神官ユートがピラーを抱いて登った。時折シンシャがパルーと、そしてユートがシャトーと幼女の抱っこ役を交代していた。


 一時間半かけて、ようやく屋上に出た。屋上は狭く、ヘリポートになっている。その屋上を隣のヨクシャル・ビルトサミロス・ビルの先端部が見下ろしている。

 地上八百メートルのシンシャ・ビルだから屋上はさぞ強風が吹いていると思ったが、それほどでもなかった。風は吹いていることは吹いているが、吹き飛ばされるほどではない。

 空はよく晴れていた。陽光が燦然と降り注ぐ。

 こんな戦争と大災害の二重の非常事態の元でなかったならば、実にいい陽気の穏やかな日なのだ。


 だが、我われが屋上に出て周囲のほとんど廃墟と化したヒラニプラの町を見おろしたとき、もはや穏やかな日という気持ちにはなれなかった。

 だが、その周囲の大地はこれまでと変わりなくのどかに見えたが、すぐそばの火山が不気味な黒煙を上げていた。


 そんな景色を目に焼き付ける間もなく、またもや大地は振動を始めた。だが、今回はこれまでとは様子が違った、遠くから地鳴りも聞こえる。それはいつしか不気味な大音響となっていった。

 あまりの揺れに、我われは皆屋上に転がった。振り落とされないように思い思いにそのへんの施設の突起物をつかむ。

 揺れはこれまでになく異常に長かった。


「なに、あれ?」


 妻のチャイリーが指さしながら南の空の一角を指さした。そちらは近くに港があるあたりだ。その向こうに広がる大海原も見えるはずだ。

 ところが、その時私たちの目に映ったのは……。


 垂直に切り立った巨大な海水の壁だった。


 今はまだ距離は遠いが、それでもはっきりと津波まるでフェンスのように海上に横たわっている。だが、確実にそれはこちらへ近づいてきている。

 そのたびに、高さもどんどん高くなっていた。

 このビルのある所からだと少しは距離のある港の近くまで波の壁が接近しつつある頃は、もう見上げるほどの高さとなっていた。

 我われは今、地上八百メートル、二百階建てのビルの屋上にいる。それなのにさらに見上げるほどの高さなのだ。

 十二人全員がなんとか立ち上がって、その迫りつつある巨大な水の壁を茫然と見上げていた。揺れはもうだいぶ収まっていた。

 ついに壁は上陸して、ますます高度を増してこちらへ向かってくる。

 壁はここだけではなく、左右に延々と長く続いている。

 そしてついに間近に、中天まで高くそびえる壁となってしまった。眼下の大地は、どんどんとその大波の下にのみこまれていく。

 その波の先端は我われの頭上へと、真上に見上げる位置に来た。やがてこのビルもすっぽりと、この壁の中に呑み込まれるだろう。

 このビルだけでなくヒラニプラ全体が、いやそれだけでなくこのミヨイの国が、大陸全体が波に呑み込まれて海の下に沈もうとしている。


 空はどこまでも青く、よく晴れていた。だが今は、その青空も半分しか見えない。その半分晴れた空からぽつんぽつんと雨が降り始めた。

 いや、雨ではない。頭の真上の中天にある波頭から、しずくが落ち始めたのだ。それが最初は雨が降り出したような感覚に思えた。だがすぐにそれは激しい激流となって我われの上に落ちこみ、私たちは波の壁の中へと包み込まれるだろう。

 それまでのわずかな時間に我われがすべきことは……そう、十二人全員がもう生き延びることはあきらめていた。それならばせめてこの最後の時間を共有しようと、誰からともなく互いに握手を始めた。

 私もまずは妻のチャイリーと、そして息子のシンシャそしてパルーと、ダッキ―と、ターキャード先生と、ミクネルと……。

 私がほかの十一人と握手を交わしている間に、ほかのみんなも互いに握手を交わし合っていた。


「世話になった」


「ありがとう」


「来世で会おう」


 互いにそんな言葉をかけ合いながら、握手を交わしているうちに、雨のように落ちていた水滴は大粒の豪雨のようになり、そして……。


 そして……。



(「第7部 示しおきたる地」につづく)

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