9 ターキャード博士
彼=ターキャード博士は私が高校生の頃に理科の教師だった人で、当時も非常勤講師として教壇に立つ傍ら大学院の博士課程で研究を始めていた。それが今は地球物理学者として第一人者となっている有名人であることも、私はすでに知っている
そのターキャード博士は司令室に入ってくるなり、私の元に詰め寄ってきた。挨拶もそこそこだ。
「コーシェル君、君は何をやっているのかね」
自分で言うのもなんだが、この国では執政補佐官という神王陛下に次ぐナンバー・ツーの地位にある私をつかまえて、「君付け」で呼べるのはこの博士くらいだろう。
とりあえず博士を応接室に案内して、そこで対座した。
「先生。どうされました?」
「君、戦争なんかやっている場合じゃないぞ」
「別に私が、というかこの国から始めた戦争でもないわけでして、戦争に文句があるならばタミアラ国王に言ってくださいよ」
「そのタミアラを含めて、今この地球で何が起ころうとしているか。これを見てくれたまえ」
博士は手にした小さなメモリー・キーを取り出して見せた。
そこで私は博士とともに司令室に戻り、そのキーを司令室の機器に差しこんだ。モニター画面で博士はいくつかのファイルを操作していたが、やがて司令室の巨大なメインスクリーンに映像が映し出された。
自然と、司令室にいる作業員や事務官たちもダッキ―秘書長もその映像を見ることになる。
この大陸全体を上から写した航空写真だが、北部の万国棟梁様のおわします神都のある連山の部分とそのほかの部分との間に赤い線が引かれていた。
「この赤い線の北側、つまり“ろ”の国や枝邦のある大陸から、海を越えてこの大陸の北辺部分に至るまで一つの大きな岩盤だけれども、赤線の下の部分、つまりこの国の大部分は別の巨大な岩盤の上に立っているんだ」
そんなことは高校時代に、この先生からすでに学んだような気がする。
「ところでこの岩盤は、実際は動いている。数十年に数ミリだが、こちら側の岩盤が北の岩盤の下に入り込む形で流れているといってもいいだろう。いや、言ってよかったと言った方が正確だ」
画面が変わる。
今度は二つの岩盤が重なっている様子が断面に切られたイラストで、南の岩盤が北の岩盤に潜り込んで引っ張られていく様子が赤い矢印のアニメーションで示されていた。
「この岩盤の動きは地下の泥状の熱く焼けただれた層の流れによるものだけれど、ここ数年それが異常な動きをしておるのだ。もちろん我が国の地下だけではなく、全地球規模で地殻に変動が起きつつある」
次に映し出されたのは、いくつかのむき出しになった地層の写真だ。
「このような地層が見られるところが世界各地にあるけれど、私がここ数年行ってきたこの大陸内でのボーリング調査でも、顕著な地層のずれがあちこちで見つかっているんだ。明らかに異常なのだよ」
「確かに、ここ最近地震が多いですね」
私が口をはさむと、博士は目を剥いた。
「地震が多いなんて、何を呑気なことを言っておるのかね。確かに地震は増えているし、今後もっと大きな災害級の大地震が世界各地で連発することは否めない。でも実際は、それどころの騒ぎじゃないんだよ」
災害級の地震が起こるというのが、博士にとっては「呑気なこと」なのだろうか。
「先生。これから何が起こるのか、地質学の素人にもわかるように噛み砕いて説明してくれませんか」
博士はここで咳払いをした。
「地震はもっともっと増えるし、巨大なものも来る。でも、そんなのは序章にすぎん。これから起こることをひと言でいうなら、地殻の大変動。つまりは大天変地異だ! そんな中で戦争なんかやっている場合でないというのは分かるだろう」
「天変地異といっても、どれくらいの規模なんですか?」
「わからん。だからもっと調査が必要だ。でも、この国だけではだめで、世界規模での調査が必要なんだ。特に地球の反対側のタミアラ国の学者さんたちとも意見や情報を交換したい。それなのに戦争なんかやっていたらそれもできないじゃないか」
なんだから私は、高校時代にこの先生から、原因はなんであったかは忘れたがこっぴどく叱られたときのことを思い出していた。
「あのう、先生以外のほかの学者さんたちは?」
「一度地球物理学だけではなく、地質学の専門家を集めて討論したいものだ。でも、それもこの戦争の真っ最中じゃ難しい」
「では、全国の学者さんたちを集めるのは無理にしても、このヒラニプラ在住の方々にお集まりいただくのなら可能かもしれません。今、神王陛下にお伺いしてきます」
私はそう言って博士を応接室に待たせ、神王陛下の執務室に向かった。
その間、歩きながら考えた。
博士がたまたま私の旧知の恩師であったからこうしてパレスの中にまで入って私と面会し、急を要することの次第を私に告げ、すぐにそれを私が神王陛下のお耳に入れることもできる。でも、全く見ず知らずの学者さんが同じ情報を持ってパレスを訪れたとしても、まず衛兵がすんなりと通すだろうかと思った。なにしろ今は戦時体制である。もしかしたら門前払いになった可能性もあった。
そんなことを考えているうちに、陛下の執務室に着いた。
私は博士から聞いた通りのことを陛下に申し上げ、ヒラニプラの学者を集めての検討会のことを打診した。
「たしかに、もしその博士が言われることが本当ならば、戦争などしている場合ではないかもしれぬ」
陛下はそう言われて、すぐに学者を陛下の命で招集するようにと言ってくださった。いつもならまずここで神託を仰ぐところだけれど、さすがに今は高次元界も沈黙している。
すぐに各大学へ陛下の勅命が伝達された。
こうして、その二日後にパレス内の会議室にて在ヒラニプラの地質学者や地球物理学者三十四名による会議が開催された。
会議室の後方には一段高く陛下が臨席される場合の陛下のお席もあり、また我われ政府関係者のオブザーバー席を設けられている。
だが今回の会議招集はマスコミにも一切秘密になっているので、それぞれの学者の助手や研究員以外の者は一切入れない秘密会議となった。
陛下もご臨席し、私と秘書長およびすべての閣僚がそろうと、さっそくターキャード博士のプレゼンテーションから会議は始まった。
前方に巨大スクリーンがあり、その脇で博士が解説するという感じだ。
スクリーンに映し出されたパネルは先日の我われ対象のスライドは違って、さすがに専門家向けのプレゼンだなと思わせるような内容だ。はっきり言って難しすぎてよくわからない。
博士の話は延々一時間以上も続いていたが、その内容を地球物理学に関しては全くの素人である私なりに簡単に要約してみると、今起きている地震の多発は我が国のある大陸ではとくに北部に集中しているが、大陸全体にも広く分布しており、また我が国に限らず地震の多発は多くの国で見られるということだった。
たとえば、「ろ」の国やヨモツ国がある地球最大の大陸の東部、我が国の南西部に位置するオネスト大陸、ヒウケとヒナタ・エビロスのあるエビロス大陸西海岸、そして現在の交戦国であるタミアラ国のある大陸など、ほぼ地震が発生していない地域はないという。
しかもその頻度や規模がここ十年で、従来の三千年ほどの間の数値に匹敵するというのだ。
以上のことを約一時間かけて、データや画像、観測数値の表などをスクリーンに映し出しながら説明した後、こう言った。
「こうなると、我が国北部に存在する二大岩盤同士の摩擦によるエネルギーが原因というよりは、全世界規模での地殻変動が始まっているのではないかということも考えられます」
それからは、各学者たちの自由発言となった。




