1 夏休み
俺の通う大学のある町から片道約二時間のところにある田舎町、それが俺の故郷だ。
八月に入って長い夏休みを迎え、俺は束の間の帰省をしていた。去年の夏と今年の正月に続き、大学に入ってからは三度目の帰省だ。
束の間といったのは、ほとんどとんぼ返りで戻らないとけないからだ。
二年生になって専修課程も決まり、俺は大学近所の塾の講師を始めていた。平時は週三日くらい入っているけれど、夏休みともなると夏季講習が始まり塾は書き入れ時だ。普段に講師をやっていて夏季講習はできませんというわけにもいかない。
だから一学期の授業が終わって夏季講習が始まるまでの、束の間の帰省なのだ。
去年やっていたあの農場での野菜収穫のバイトにも行きたかったし、また来てくれないかと農場のおじさんから電話ももらったけれど、断念せざるを得なかった。
「お兄ちゃん、お帰り。待ってたよ!」
実家に戻ると、待っていたのは妹の美羽の歓迎だった。
何を歓迎しているのかというと、美羽は今康さんの絶賛受験生中。俺が塾講師をやっていることは知っているから、ただで俺の講義を受けるのが目的のようだ。
そうはいっても、とにかく今回は束の間だ。美羽の勉強を見てやれるのも束の間だ。
「ほんの数日だぞ。しかも俺が教えているのは英語と国語だけ」
「それで十分。文系だから私」
「共通テストは?」
「無理無理。数学ダメだし。お兄ちゃんの大学も一応志望校に書いてみたけどE判定で、担任が志望から外せって外させられた」
「まあ、いいけど、なんだよ、実家に帰ってからもバイトの延長かよ。勘弁してほしいなあ」
「バイトじゃなくてボランティアよ。だいたい自分の妹も志望校に入れることもできなくて、よそん家の子の指導なんてできるの?」
理屈だ。でも、俺が指導している「よそん家の子」は、高校受験を目指す中学生なんだけどな。
「そういえば隣の裕香は? 地元の大学受かったんだろ? あいつにも勉強見てもらえば?」
「もちろん見てもらうよ。でも、あの人、夏休みは三重県かどっかにずっと行ってる。ゴーカート乗るとか」
よくわかんねえ。
でも道理で俺が帰省しても飛んでこないわけだ。
それにしてもさすが高3のLJKともなると、美羽もかなり大人びてきている。でもやはりまだ子供だ。
とにかく、正月もそうだったけれど今回も滞在は短いから、いろんな人に会っておきたい。
いろんな人と言っても、つまりは高校の関係者だ。
後輩たちは、正月は受験直前だったからみんな都合がつかなかった。
同級生だった数人と、俺の家から歩いて行ける小さな神社に初詣に行った。
去年の夏に帰省した時、大学のある町に戻る日に一人でお参りに行ったあの神社だ。
正月に一緒に行ったのは男子は俺を入れて四人、女子は三人。その女子とは伊藤佳代子、西村彩月、鷲尾葵だった。
今は後輩たちも大学生になっているから、彼らも誘おうかなどと考えていると、美羽がさらりと言った。
「そういえば、さくら川高校、私が卒業したらなくなるんだって」
あまりにさらりと言うから一瞬聞き流しそうになったけど、美羽はものすごくショッキングなことを言った気がする。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待て。今なんて?」
「だからあ、さくら川高校、廃校だって」
「じゃあ、今の一年生や二年生は?」
「青凌高校と合併」
ピアノちゃんや美穂が卒業した学校だ。
「校舎は青凌高校の校舎で、新しく清桜高校って名前になるんだってさ」
「その情報って、卒業生たちには?」
「たぶんみんな知ってるよ」
なんだか複雑な気持ちだった。そのこともあって、俺は高校時代の友人たちにすぐにでも会いたくなった。
翌日、さっそく俺は召集をかけた。都会の大学に行っている人たちも、みんなちょうど帰省していた。
結構大勢で集まるので、集合場所は俺の家から歩いて数分の、旧街道沿いの一風変わった喫茶店にした。
大正時代に建てられた銀行の建物を利用した店で、外観は実にレトロなオレンジの煉瓦色の洋館だ。
けっこな高さの建物だけど二階はない。
実はここは観光案内所と地元の物産店と喫茶店が同居している。互いに仕切りはない。物産店の真ん中に大きなテーブルがドーンとあって、そこが喫茶店ということになる。地元の若者たちのたまり場ともなっているようだ。
コーヒーは二百円、ケーキとセットでも五百円で、都会では考えられない安さだ。
「久しぶりのふるさとはいいよな」
席に着くなり、俺が言った。今日は男子が三人、女子は伊藤佳代子と西村彩月だけだ。西村はしばらく見ないうちに、ものすごく大人っぽくなっていたので驚いた。
伊藤は相変わらずだ。
「でも、コンビニ少なすぎるよ。よくこんなところで十八年も生きてきたと思う」
そんな文句を言っている。
確かにここから五分くらいのところにキブンイレブンがあるけど、その一軒きりだ。あとは去年花火を見た水辺公園のそばの道の駅の近くにラウソンが一軒。
それ以外のコンビニは駅の近くに行かないとない。
俺は笑って言った。
「二軒もあるんだから十分じゃないか。それより今日、鷲尾さんは?」
「なんだか肩が痛くて、こっちには帰ってきてないって」
伊藤が言うので、俺はふと聞き耳を立てた。肩が痛いのならおれがパワーをかければよくなるかもしれない。でも考えてみれば、杉本君は鷲尾さんの彼氏なんだから、彼に連絡を取って彼に鷲尾さんの方は任せようとひそかに思っていた。
もう一人、気になるのが後輩の宮﨑愛菜だ。
今朝、妹の美羽から聞いた。愛菜は夏休みが始まる前に休学してこの地元に戻ってきているという。かなり体調が悪いらしく、時々発作が出るという。それが何の発作なのかまでは分からないと美羽は言った。
こうしてここでは現況報告や昔の思い出話に花が咲いた。そして当然話題は、卒業した高校の廃校だ。
「でもなあ、あの校舎はすぐには壊さないで、当分はそのままらしいよ」
西村がいつもの口調でゆっくりと言う。それを聞いて俺は少し安心した。
そんななんだかんだで一時間ほどたち、俺たちは散会した。




