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暁の歌、響け世界に3 《天の巻》  作者: John B.Rabitan
第3部 婆様上京 
25/95

5 よきサマリア人

「皆さんは福音書にあるイエス様の『良きサマリア人』の話を知っていますか?」


「知ってます」


 手を軽く上げたのは美貴だ。


「高校の時、聞きました。たしか盗賊に襲われて瀕死の状態の人をみんな見て見ぬふりで通り過ぎたのに、親切に介抱してくれたのが異教徒として蔑まれていたサマリア人だったってお話ですよね」


「そうです。その時学校では、何を教えている話と言われましたか?」


「隣人を愛せよということでしたね。確か『隣人愛』とか」


「普通はそう解釈しています。でもあの話の本当の意味はそうではないのです。あの話は一般大衆に向けてではなく、ユダヤ教のパリサイびと、つまり聖職者に対してなんです。つまり伝統と権威の上に胡坐あぐらをかいていた当時の既成宗教の聖職者です」


 心なしかエーデルさんは、身を乗り出して聴いていた。島村さんは続けた。


「実はあの話の中で、強盗に襲われた人を見て見ぬふりをして通り過ぎたのは同じくユダヤ教の聖職者である律法学者や祭司だったのです。彼らは別に心が冷たいとか、面倒なことにかかわりあうのが嫌だとかそういうことではなく、実に職務に忠実なまじめなユダヤ教聖職者でした。でも強盗に襲われた人は血みどろになっていたはずですから、その血に触れると穢れとなって聖職者としての職務ができなくなるのです。そこで避けて通って行ってしまったんですよ。彼らの宗教的戒律がこの倒れている人を介抱することを許さなかったのです。そしてその人を助けたのは異教徒のサマリア人だったというお話で、キリストはその異教徒こそが『隣人』であると説きます」


「え? サマリア人が『隣人を愛した』のではないのですか?」


 美貴が首をかしげた。


「違います。福音書のその個所をもう一度よく読んでみるといいですよ。つまりこの話は『隣人を愛せよ』ということで始まった話ではあるんですけど、その隣人とは自分の属する宗教の聖職者ではなく異教徒であるということです。つまり、テーマは痛烈な既成宗教批判にあるんです、当時のユダヤ教聖職者からすれば、イエス様は自分たちの権威に盾突いてくる危険な思想の持ち主だったわけですね。ところが今やどうですか? カトリック自体が当時のユダヤ教のようになってしまってはいないでしょうか」


「そういうことですか」


 杉本君が聞く。


「当時のユダヤ教はものすごい戒律で縛られていました。でもイエス様はそれをどんどん無視して、そして破っていったのです。例えば当時は毎週土曜日が安息日として一切の労働が禁じられていましたけれど、イエス様はをそれをほとんど無視しています。戒律なんて『神様』から出たものではなく、人知で勝手に作り上げられたものだということをイエス様は喝破されていたんですね、ところが今のカトリックが、そんな人知の戒律を多く作っています。例えば、今でこそこれはなくなりましたけどついひと昔前まで、カトリックではイエス様が十字架にかけられた毎週金曜日は、信徒は一切の肉食が禁じられていたのです。こんなの、イエス様がいちばんお嫌いになったはずのことなんですけどね」


「戒律といえば」


 悟君が鼻で笑った。


「仏教なんてすごいものですよ。ものすごい戒律で縛られている。でもそんなの釈尊が決めたことなどほとんどないのです」


 俺はさっきから黙って聞いているだけの、今日初めてこの場に来た大翔たちやピアノちゃんたちを気遣った。話が頭の上を飛んでついてきていないのではないかと思ったのだ。だから、彼らに声をかけた。


「そちらの四人は大丈夫? 退屈してない?」


「あ、いえ、大丈夫です」


 にこやかにピアノちゃんが言うと、大翔が続いた。


「結構興味深いですよ」


 さらに美穂も言う。


「昔だったらわけが分からなかったでしょうけど、去年のあの異世界体験をした私たちですから、あの時からもう変わったんです」


 たしかに四人は変わった。それにしても別の意味でも変わったなあと思う。あの頃は高校生だったのが今は大学生。でもそれだけではなく、俺はケルブから与えられたアカシックレコードの記憶によって、あの並行世界のことも見せられた。並行世界ではまだ初々しいあどけなさの残る高校一年生だったこの四人が今は大学生なのである。ピアノちゃんや美穂はあのころと違って今はメイクもしている。

 ずいぶん大人っぽくなったと思う。


「あのう」


 俺のそんな感慨を打ち消すように、エーデルさんが話に入ってきた。


「今の島村さんの話、とても興味深いですね。私もユダヤ教には興味があります」


 島村さんがそんなエーデルさんを見た。


「そういえばエーデルさんはユダヤ教だと言ってましたっけ? でも……」


 たしかにエーデルさんはユダヤ人という感じではない。そのエーデルさんは、にこやかに微笑んだ。


「今、皆さんがユダヤ人と聞くと思い浮かべるのは白人でしょうけれど、あれはユダヤ教に改宗した人々で、血統的には本当のユダヤ人ではありません。場所的に考えても、本当のユダヤ人はアラビーンと同じ顔付きのはずでしょう?」


 言われてみれば確かにそうだ。南太平洋にポンと不自然に白人が多い国があるのと同じことなのだろうか……と俺は思う。


「でも私は、普通のユダヤ教徒ではありません」


「ああ、たしかエッセネがどうのこのうとか」


 島村さんがうなずく


「そういえば」


 杉本君も話に入る。


「前にアラビーンのレストランに行ったときは、今エーデルさんが所属している組織について、ここでは話せないのでまた今度ということでしたけれど、ここでなら問題ないですよね」


 エーデルさんはうなずいた。拓也さんもエーデルさんを見た。


「エーデルさんの属する団体の話を、皆さんにもしておいた方がいいでしょう。今後の活動にも関係してきますし」


「そうですね」


 エーデルさんはゆっくりと話し始めた。

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