2 婆様の話
いすに座っているのは拓也さん、悟君、島村さん、チャコと美貴、杉本君、大翔と新司、美穂とピアノちゃん、そしてエーデルさんと俺の総勢十二人だった。
婆様が拓也さんのお母さんにエスケープされて部屋に入ってくると、皆一斉に立ち上がった。座って載っていない。自分の足で、俺たちとは向かい合って置かれているいすへと座った。
「皆さん、お座りください」
優しい声で、婆様は言う。俺たちは従った。
さすがに本物の講演会のように俺たちの椅子は完全に婆様に向かい合っているわけではなく、婆様のいすを含めて円座の形だった、
「まずは自己紹介から」
そう言いかけた拓也さんを婆様は手で制し、俺たちを端から一人ひとり見た。目を細め、いかにも懐かしいという感じで…。
「今日、初めてお会いするのは、島村悠斗さん、筒井美穂さん、竹本ひろみさん、佐藤新司さん、谷口大翔さんですね」
その名前の主を正確に見て、婆様は名前を呼んだ。事前には伝えていないであろうことは、婆様をよく知っていれば分かる。
今の五人のうちの四人はこちらの世界だけではなく、あの並行世界を含めても婆様とは初対面のはずだ。
だが、婆様はすべてを知っている。婆様から見れば、初対面の人などこの中に一人もいないのだろう。
「皆さん、よく集まってくださいました」
それは本当に慈愛に満ちた声だった。
「今日、皆さんがここに集いましたのも、決して偶然ではありません。これから世界は、大きな変革期を迎えます。世界というのはこの地球上の世界という意味ではなく、もっと高次元の世界を含めた、いわば大千三千世界が大きく変わります」
婆様と初対面の四人も、神妙な顔をして聞いていた。婆様が高次元エネルギー体とコンタクトをしているという情報は、すでに四人には俺から伝えてある。
それだけでなく、そんな突拍子もない話なのに四人が簡単に受け入れているというのは、やはり去年の秋の大学祭の時のあの体験があるからだ。
天使ケルブに召喚されて、俺たちは異世界へ行った。
そこで、ケルブは言った。
――今は大千三千世界が危機的状況にあって、何とか打開しなくてはならない。そのためにはあなた方の魂の力が必要なのです
俺の脳裏に、あの時のことが鮮明によみがえる。十二人のうち、その時に異世界に行った俺以外の七人も同様であろう。互いに顔を見合わせてうなずき合っている。
だが、あの時のケルブは実に抽象的な話をしただけで、詳しくは語ってくれなかった。
婆様はもっと詳しく語ってくれるのだろうか。
いったいこれから何があるというのだろう?
だが、婆様にその疑問をぶつけるには、どうにもはばかられる空気がある。なぜなら婆様の波動は未来予知とか予言とかそういったオカルトチックな興味や都市伝説的好奇心などは跳ね返してしまいそうな厳粛さが感じられるからだ。
「これから未曽有の危機がこの世を襲いますけれど、それは決して人類の滅亡とか、この世の終わりとかいうものではありません。一切がよくなるための変化。でも我われは一人でも多くの人を救い、大峠を乗り越えて、この世界を大建て替えに参画しなければなりません」
そのことは、以前に拓也さんからも聞いた。全世界で一万人の志士が今必要だと。その話を聞いたのは俺とチャコだけだが、ほかの六人も天使ケルブから告げられていた。
――特殊な魂である皆さんは「宿命」には逆らえずに、その使命である大仕事をしていただかなくてはならない。
今日はその具体的な話を聴けるのだろうかと思う。
「この世のすべての現象は、高次元の世界の影響下にあります。高次元の世界の写し絵がこの世なのです。ですから、人々を救うといっても物質的に救助活動をするとか、自然災害を食い止めるとか、反戦運動をするとか、宗教を広めて人々を啓蒙するとか、そういったこの世的なことでは追いつきません。ですから、あなた方の今後の活躍は、高次元の世界にまで及びます」
そこで思い出したのは、かつてケルブは「あなた方の力」ではなく、「あなた方の“魂の力”」と言っていたことだ。
話は魂の次元になっていく。でも、宗教を広めるのではないと婆様は言った。
このことは先日、拓也さんからも聞いていた。ただ、聞いていたのは俺とチャコだけだ。
「そうです。宗教ではだめなのです」
さすがに婆様は、俺たち一人一人がこの話を聞いてどういう感想を思い描いているのか、それこそ筒抜けに把握しているようだ。
「私がコンタクトしている高次元のエネルギー体は、こういった指示を受けたからといって決して宗教は作らないようにと釘を刺してきました。それだけでなく、一万人の志士も組織化してはならないと。だから高次元エネルギー体を神様と言ってしまえば早いのですけれど、あえてそういう表現はしていないのです」
前に拓也さんが言った通りだ。
「組織化すると、どんなに高次元からのメッセージに基づいての組織化だとしても、この世のものとして独り歩きしてしまうのです。かつての仏教もそうでしたし、キリスト教もまたそうでした。そもそも、釈尊やイエス様は仏教やキリスト教などという宗教は作っていません」
婆様は悟君と島村さんを交互に見た。だが、実際の宗教関係者である二人が、むしろ大いに賛同しているようにうなずいている。
「その点、松原さん、どうですか?」
いきなり振られた悟君だがたじろぎもせずに堂々としていた。
「全くその通りです。釈尊は僧伽という修行集団は作りましたけれど、仏教という宗教は作っていませんね。経典にしても釈尊ご自身が書いたものは一つもなく、すべて釈尊入滅後に弟子たちが回想して書いたものと言われています」
「そうですね。つまり、ある有識者も言っていますけれど、信仰上の釈尊と歴史上の釈尊は全く別の存在であるということです。その歴史の方は、ほとんど抹殺されておる。キリスト教の方はどうですか?」
今度は島村さんへ話が振られた。悟君はもともと婆様の家のそばのお寺にいてしょっちゅう婆様と会っており、本人も婆様を師と仰ぐと明言していたけれど、島村さんは少なくともこちらの世界では婆様と初対面のはずだ。その島村さんがキリスト教の神学生であることを婆様はすでに知っている。もちろん、これまでの状況からはなんら不思議なことではない。
「はい、その通りだと思います。イエス様にも弟子集団がいましたけれど皆離れていって、最終的に残ったのは十二人の使徒だけ。その使徒もイエス様の十字架の時には散りぢりになってしまいました。キリスト教という宗教になったのは、ずっと後のことですね」
「はい」
婆様はにこやかにうなずいた。婆様の話はまだまだ続いていた。




