10 天帝退位
バーナが宮殿の謁見大広間で集められたおびただしい群衆の中に入って天帝の出御を待っていると、やがて天帝と皇后も玉座につき、主だった閣僚も皆姿を見せた。
そして天帝は異例なこととして、玉座から立ち上がったのである。このようなことは今までなかった。
そして天帝は、いつもの威厳に満ちた様子ではなく、頭を低くして人々に告げた
「このたび朕は、カガリミの世界にて賢者様より激しいお叱りを受けてきた。誰と名前は言わないけれど、とある方がこの世界での不祥事を賢者様方に直訴した。自在の世になったとはいえ、いくらなんでもそれはあり得ないだろうというほどの不祥事だという」
一同はかたずをのんで、静まり返って天帝の言葉を聞いた。皆、意外なその話に目を見開いている。
大広間がどんなイ広くても、その声はそこに集うすべての者たちの心に直接響いている。また天帝の姿も、その頭上に巨大な映像として映し出されていた。
「どんな不祥事なのですか?」
沈黙を破って声を挙げたものもいる。それを皮切りに、あちこちで声が上がった。
「誰の不祥事?」
「そもそも、その直訴したという方はどなたなのですか?」
「教えてください!」
あちこちで同じ声が上がる。天帝は両腕を挙げてそれを制した。
「このハセリミの世界における乱れは、すべて朕の罪である、その責任をどうとるのかと賢者様方は詰め寄ってこられた」
「そんな話はおかしい!」
「そうだ、そうだ」
「その不祥事というのは、本当のことなのですか?」
またもや皆騒然とした。しばらくは収まりそうもなかった。だから、しばらくは皆の言うに任せ、そしてまた天帝はその声を制した。
「もちろん、その不祥事というのは、全く事実ではない。もしそんなことが本当にあったとしたら、朕が処断せずにいるはずがない。すべてが捏造だ」
皆また、元のように波打ったような状態になった。
「だが賢者様方は、聞きいれてはくださらなかった。たとえ捏造だとしても、そのような捏造を創り出すものが現れるということ自体、ハセリミの世界の乱れを物語っていると」
皆、また騒ぎ出した。
「まずはその虚偽の直訴をしたものを処断すべきでしょう」
「カガリミの世界まで自由に昇ることができるものといったら、自ずと限られてくるはずだ」
「そうだ、そうだ」
まさしく自在の世である。上の世界からの縦の糸が切られているからこそ、誰もが自由に、自分の意志でこういったものごとを言えるのである。
「虚偽の直訴をした不届き者は、誰ですか!」
「誰ですか!」
「今、この場にいますか?」
人々の怒りは頂点に達していた。そんな中で、唯一身を小さくしていたのは、バーナだった。あまりの皆の怒りの波動の渦が恐ろしくて、いたたまれなくなっていた。
天帝が話しているいきさつは、実際に「三賢者」とカガリミの世界で話し合ったこととは全く違うが、ハセリミの世界の者たちに本当のことを言うことはできない。
相手の想念を読めばその言葉の真偽など本当はすぐに見抜けるが、さすがに誰しも天帝への畏れと恐縮があって、その想念を読もうとする者はいなかった。
また天帝ほどになると、自分の想念を読まれないようにガードすることもできる。
「皆さん、聞いてください」
大声で皆を制したのは、宰相のユラリーだった。
「実は陛下がおっしゃった不祥事とは、私に関することなのです」
どうも、天帝の想念のガードが漏れている。ユラリーはすでにその虚偽の不祥事が、自分と娘のオラドゥーラ姫のことだということは察していたようだ。
「すべてが私の責任です」
そして天帝の御前に畏まった。
「もちろんそのようなことは全く身に覚えのないことではありますが、娘のオラドゥーラはむしろ被害者、どうかオラドゥーラにはお咎めはなきよう」
「宰相殿、早くお立ちなさい」
「恐れ入ります、陛下」
宰相ユラリーは立ち上がった。
「すべては朕の責任である。そなたもオラドゥーラも罰するつもりはない。そもそも、朕はこのハセリミの世界のすべての者に召集をかけた。だが、今ここにいるのはその半分でしかないではないか。そのような全員を集められないものなど、この玉座に座る資格はない。そこでだ」
天帝はその言葉をここに集まっている者すべてに向けた。もちろん、ユラリーとのやり取りも、ここにいるすべての者に聞こえている。
「朕は決心した。朕は天帝の位を退き、しばらく身を隠す。汝らも帝都を離れて身を隠し、しばらく潜んでおられよ。いつかまた必ず再びここに戻る日が来る。それまで忍び通せ。決して、決して短気を起こすなよ」
言葉の最後の方は涙でかすれ、天帝は号泣を始めた。
もちろん「三賢者」と話し合った自分の隠遁の本当の意味は重大因縁の秘めごと、すなわちトップシークレットであるから、さすがにそれだけはここにいる誰にも悟られないようにしたし、また悟られてはならないことだった。
天帝の号泣に合わせて、ここに集う者すべてが泣き崩れた。
すぐに天帝は隠遁の準備に入る。
なんと天帝の言葉では、皇后シャフォーエ妃は天帝とは全く正反対の方角に隠遁するという。
シーロンはこの場にはいない。よってシーロンから守るために孫娘のオラドゥーラ姫は天帝とともに行くことになった。
オクグランディ龍王の龍軍団は天帝を守護し、アンギルヘーヴァ姫がオクツェントオク・ルモーイ軍団を率いて天帝の護衛に当たることになった。
そのあとにユラリー宰相とその妻で天帝の皇女ユーナ姫が、多くの護衛に守られて続く。
最後にはヴォーヨ将軍が、オーダ女将軍の軍勢とともに殿軍を務めるのだった。
皇太子テーロ将軍と同妃エテールネ姫は警視総督ギリシエロとともに、しばし宮殿に残ることになった。本来なら天帝が退位するのならば、テーロ将軍が皇太子として譲りを受け、次の天帝に即位するはずであった。だが今はそのような状況ではない。
ヴォーヨ将軍の妻であり、皇太子テーロ将軍の娘であるストレチタ姫はオクグランディ龍王の龍軍団に加わっていた。




